マガジンのカバー画像

詩歌ーmy poetry

29
自作の詩歌です
運営しているクリエイター

2023年3月の記事一覧

夜中に台所でぼくは谷川さんに話しかけたかった

十六歳の感傷に腰掛けて ぼくは詩を書き始めた ぼくの孤独といえば せいぜいコップ一杯分の涙ほどしかなかったけれど 二十億光年の彼方の星からの引力で コップの水が波立つことを幻想するのだった 十六歳の感受性の扉は あけてもあけても無限に続いているようで めまいを覚えながら ノートのなかに扉の鍵をしまう毎日だった ところが ある夏の昼下がり いつものようにノートを開けたぼくは たいせつな鍵をなくしてしまっていることに気づいた あれ以来 鍵を探し続けて過去の町々を放浪したぼく

ふるさとは1行の詩よりも価値がない

ふるさとは1行の詩よりも価値がない と 少女は似合わない口紅のような言葉で 潮騒を1行に書きとめます 1行の言葉の地図を広げ 次の1行へと飛び移る くりかえせば 言葉が連れて行ってくれる 何処へ? それは少女にはわかりません 詩を伴侶と決めた時から ここではない何処かが ふるさとになるのです

紫陽花の森

六月の森に泣く 道化師の ガラスの涙 こぼれる すべての助詞 〈をとととがとで  とのとへと…〉 遠心力のない世界が 一回転すると 不意に頬よせる 少女の 杏子のくちびる 〈紫陽花や暗き道化の横顔に習いおぼえし賛美歌と接吻(キス)〉

おれは左利きの言葉のソリスト

おれは左利きの言葉のソリスト ミューズはすべての音を叩き出されたピアノのように 今はベッドに裸で横たわる 想像力とは飛翔することではなく 墜落することだろう つかまえたぞ! と誰かの間抜けた声がする 遅れてきたことも知らずに、と ナポレオン・ボナパルトは 読み終えた書物を 馬車の窓から投げ捨てた

自転車に乗ってさようならといいながら書いた詩

------〈十五歳抱かれて花粉吹き散らす 寺山修司〉 十五歳の海から とんでくる一羽のかもめ 十五歳の海から きこえてくる潮騒 十五歳の海から およいでくるひとりの少女 わたしの十五歳はあまりに無傷な日々だった 大人になったわたしは 夜になると 十五歳の海から汲んできた ちいさな水槽の水に 魚類図鑑の魚を放してやる 十五歳の海を永遠にしようとして 十五歳の海にあがる花火を 記憶の空に閉じ込める 一本の樹のように わたしのなかに直立している十五歳の海 そのかたわ

少女よ 地平線のすべてよ

昏がり 伸ばされた少女の白い腕 僕の地平線のすべて そうよ 私がいなくなれば 永遠に陽はのぼらないわ 僕は鳥 魂は地平線の彼方--- 不意に少女が腕を下ろす 僕は 真昼の雑踏の中に 立ちつくす 少女の姿は 何処にもなかった                                                                 ”inspired by Max Jacob”

詩人を撃たないでください

夜の酒場で 言葉の手品師が 流れ弾に当って死んだ あの人は詩人でした 種も仕掛けもございましたが ハンケチの瀑布に身を投じ コップの中は大嵐 意味の早変わりのすばやさは ねずみを追うエジプト猫さながら どうか手品師を撃たないでください 踊り子の代わりはいても 詩人の代わりはおりません

「お気に入りの季節」

鍵盤の上をいつもおくれてくる指のように わたしはすでに取り残されてひとりで立っている ビー玉を空に撒いたような ボールパークの歓声に耳をふさいで 美しい惰眠をむさぼる緑色の猫の舌が 春の栞に そっと触れる

泣く女

鏡の中の 泣いている顔は 忘れられた女の みじめな顔ではありません なぜなら鏡は すべてを裏返しにする悪戯なプリズムだから ゆがんだ顔にも 思い出の紗をかける

【贋作】『サラダ記念日』

女宛送る手紙に『友情論』を引用してるだあれあなたは 愛告げてしまいたけれど遠景の似合うあなたをしばらく惜しむ 「その歌はよせよ」と君がぽつり言うこの曲と決めマイクもつ吾に 愛ひとつ受けとめられず泳ぐ君太平洋も花いちもんめ さっきまで鏡にあった抽象画 誰の泣き顔?知らない知らない 愛人でいいのとうたう歌手がいて 愛したいの?愛されたいの? 言の葉の裏を返して見てみたい 時には長い手紙を書いて 一プラス一の答えにたどりつくまでの迷宮なのか人生は クロッカスの花閉じ