【MPP授業感想】Politics⑥

Week 6 Social movements and Interest-group politics

今週のテーマは社会運動と利益集団。

まず利益集団に関して、自分の所属する省庁は業界団体との関係性を特に重視しているように思われ、まさに講義で扱ったRegulatory capture(支配的な産業が規制当局に影響力を行使すること)が起きているように思う。若者(だと信じたい)の一人としては、正直なぜ旧態依然とした業界の肩を持つのだろうかと感じることも多いが、おそらく内部(幹部)にしか分からない事情もあるのだろうから、そうした情報にアクセスした上で判断した方が良いのかもしれない。

また、直近の動きとして、デジタル化などを奇貨として、異業種の企業が新規参入してくるというケースが増えている。こうした企業は往々にして新しい業態を採用しており、既存の規制体系では捕捉できないことも多い。こうしたトレンドにいかに主体的に対応できるかが、省庁としての存在意義に影響を与えると思う。自分が所管する法令の範囲でディフェンシブに対処しているようだと、将来はないのではないか。組織として、どれだけアンテナを高く持ち、意思決定に食い込んでいけるかが重要になってくる。在任中にしばしば見られた専門家目線の冷笑的なスタンスはよろしくないと思う。講義ではrevolving door(官庁と民間を行き来する人のこと)への言及もあったが、組織としてこうした人材の育成・交流も必要になってくるのではないか。近年、退職者の増加が問題として取り沙汰されているが、退職者が業界におけるロビーイング人材へとキャリアをシフトしても、〇〇省アルムナイコミュニティとして緩やかな連帯を維持しておくことは有用なのではないか。昨今の労働市場を踏まえても、官庁だけ退職者を抑え込むことはほぼ不可能なのだから、そうした退職者をいかに近い位置で抱え込んでおくかという視点を持つことが重要だと思う。

社会運動に関しては、WUNC (Worthiness, Unity, Numbers, Commitment)、Framingがその成功に当たっては重要であるとのことだった。日本における社会運動というと、そもそも同調圧力の強い社会であるためあまり活発ではないが、いわゆるリベラルによる運動が一番ポピュラーなように思う。個人的には、政党による独善的な動きを抑制する観点から、こうした社会運動が変革をもたらせるような社会であるべきと考えているのだが、いかんせんやり方がまずいのではないかと感じてしまう。講義で示されたコンセプトに照らすと、Worthinessを示せておらず、Framingが適切ではないと思う。前者に関して言えば、例えばジェンダーについて言えば、国際標準から日本が遅れているから対処しなければならないという説明をされていることが多いと思う。しかし、正直なところなぜ海外で一般的であるものを日本でも採用しなければならないのか、腹落ちしない人も少なからずいるように思う。特にリベラルが取り扱う分野は、万国共通の規範と各地域特有の文化の違いが曖昧であることが多く、この観点からだけの理屈づけは無理があるように思う。なぜ、我が国においてもこうした変革が必要であるのか、いわゆるリベラルが敵視している「遅れている」日本の伝統的な人々の視点まで降りていって説明する必要があるのではないか。フレーミングに関しては、この観点とも関連するが、リベラルのある種選民的な意識が反感を買っているように思う。つまり、国際的な標準を旗印とした我々(リベラル層)は高い知識水準を持っており、こうしたものを持っていない旧態依然とした人々を啓蒙してやっているのだというスタンスが主張の端々に見て取れる(私は主にXを見ているだけだが)のだ。本来、社会運動として成立するためには知識水準に関わらず、幅広い人々を動員する必要があるにもかかわらず、とても限られた層を対象にしてしまっているように見える。なんとなく、社会運動に関わっている人々は、一般的に見て面倒な人々というステレオタイプすら形成されつつあるように思う。これは悪手だろう。そもそも、彼らの社会運動の目的が社会変革ではなく、自らの承認欲求の充足にあるのだとすれば、こうした提案も意味をなさないわけであるが。さまざま書いたが、まとめると、日本の社会運動家には、自らのエゴを剥き出しで表明するのではなく、社会運動の成功に向け、強かに、戦略的に活動することを期待したい

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