【MPP授業感想】Housing Policy⑤+【読書メモ】「仮住まい」と戦後日本

講義では、主に欧米における住宅政策を扱ってきたわけだが、これにより日本の住宅政策を相対化して見ることができるようになったように感じる。戦後日本における住宅政策に関する分析・批評が記されている「「仮住まい」と戦後日本(著:平山洋介)」の内容をざっくりと振り返りながら、自分としての考えをまとめていきたい。

持ち家政策・賃貸住宅政策

我が国における戦後の住宅政策は、住宅ローン供給による持ち家促進に注力してきた。実家で育ち、賃貸住宅を経て、持ち家の所有に至るという住まいの「はしご」が標準的であるとされ、こうしたライフコースを辿る人々への支援を重点的に行ってきた。代表的なのは、住宅金融公庫による固定・低金利での長期融資、その後の住宅ローン減税などだ。住宅確保の手段は、次第に貯蓄から借金へと移行し、マイホームの大衆化と住宅にかかる負担の増大が並行して進行した。政府がこうした持ち家を優遇した政策を採用してきた目的としては、中間層からの政治的支持の獲得、住宅投資による景気高揚が挙げられる。

しかし筆者は、こうした政策が前提としてきた人生設計の確実性が失われていることを指摘する。すなわち、収入の停滞等により住宅ローンの負担は重くなり、結婚・家族形成を行う若い世代の割合は低下した。特に前者に伴う可処分所得の低下は、持ち家優遇の理論的根拠であった景気発揚との矛盾をはらむ。さらに、住宅価格の低迷により持ち家のキャピタルゲインは失われる傾向にあり、資産形成の観点から住宅を所有するメリットがなくなりつつある。以上のことから、筆者は、政府が推進してきた持ち家政策は、社会・経済が一定の要件を満たして初めて効果を発揮するものであり、現在においてはそうした要件をもはや充足していないので、持ち家政策を推進する正当性は失われていると述べている。

一方で、賃貸住宅への支援は限定的なものに終始してきた。借家が持ち家に至るまでの「仮住まい」であるという前提のもと、比較的劣悪な居住環境を許容し、政策投資は小規模にとどめられた。高家賃の賃貸住宅が増加した上に、狭い住宅が多いままになっている。しかしながら、上述のとおり、持ち家を得るハードルが高くなる中で、若年層を中心に持ち家市場からの離脱が進んでいる。こうした状況下において、アフォーダブル住宅の不足が問題となってくる。

欧州では社会賃貸住宅の建設により、アフォーダブル住宅の供給を果たそうとした。一方、日本では伝統的に社会賃貸住宅を建設しなかった代わりに、企業が低家賃の給与住宅を供給するとともに、借家法で賃借人を保護してきた。すなわち、民間の企業や家主にアフォーダブル住宅の供給を依存してきたのである。また、公営住宅の供給も限定的であった。

こうした伝統をベースに、昨今では「脱商品化住宅」の再商品化(給与住宅の減少、定期借家制度の導入など)が進んでいる。これにより、低家賃の賃貸住宅が衰退し、低所得者層を中心に家賃負担が増加している。高齢者が老朽化した公営団地で孤立し、若年の貧困層が親との同居から抜け出せないでいる。

貧困層向けの住宅供給策として、政府は住宅セーフティネットの充実を図ってきたが、筆者はその限界を指摘する。本制度は民間空き家を活用するものであるが、空き家の住居としての質は往々にして低く、貧困層の居住環境の改善にはつながらない。また、支援対象を絞り込もうとするあまり、実態を直視しない形で制度の残余化が進んだ。

上記を踏まえた筆者としての結論は、欧州と同様に、公共住宅のストック増大と家賃補助の創設が必要であるというものだ。これらは、貧困予防のための投資として捉えることができる。また、筆者は、災害からの復興に当たって、公営住宅など政府・自治体が有する住宅支援ツールが果たしている役割を指摘した上で、こうしたツールの縮小が災害大国である我が国のレジリエンス機能の低下につながりかねないと主張する。

筆者の主張には基本的に同意できる。今や持ち家に固執する必要性は薄れていることは理解できた。一方で、公営住宅の拡充や家賃補助の創設に関しては、どのように財源を確保するのかが課題となるだろう。貧困防止に向けた投資になるとのことだが、貧困問題がそこまで表面化していない中で、これまでの住宅政策を転換させるための論拠としては弱いように思う。貧困問題の進行による治安の悪化や、或いは経済的な格差の拡大を切り口に説明するのだろうか。また、筆者は、あたかも欧州を住宅政策の先進地域であるかのような書き方をしているが、例えばイギリスの住宅事情は日本よりも悪いし、解決策として紹介されている家賃補助も副作用を引き起こしている。万能の解決策ではないことを認識し、我が国の文脈を踏まえた検討が必要だろう。とはいえ、民間賃貸市場の充実は不可欠だと思うので、筆者の言うように公的資金を民間賃貸市場に投入し、当該市場の成長を目指すべきであろう。

家族の捉え方

戦後の住宅政策は、家族世帯を優遇し、単身世帯を排除する方針であった。これは、家族世帯による将来の収入増が、政府・自治体の経済や財政を支えるという想定に立脚する。他方で、結婚・家族形成というライフコースをたどらない人々の割合が増加しているため、多様化する人生の道筋それぞれに対して中立に対応する住宅政策を実践する必要が高まっていると筆者は指摘する。

この点に関して、個人的に同意できない部分がある。政府・自治体は、国家としての持続可能性を担保していく責務がある。特に、人の集まりとしての社会を存続させていくことが非常に重要になってくる。この観点から、人々が家族を形成し、次世代へとバトンを受け継いでいくライフサイクルを途絶えさせないことは、政府・自治体としての最大の関心事といえよう。日本政府による家族世帯への重点的な支援は、こうした視点からは正当化できるように思う。確かに、多様な家族のあり方、生き方を尊重することも重要であるが、社会の存続に貢献する方向に人々を誘導する政策は否定されるべきではない。

また、筆者は、自民党・政府が推し進めた三世代同居・近住の推進には、「家族主義」の伝統が内在しており、少子化対策としての有効性を持たないと指摘している。男女別姓への反対などに代表されるような、合理性のない家族主義には私も懐疑的である。他方で、筆者も触れているように、三世代近住には子育て世帯から一定のニーズがあることから、既存の家族組織を基盤にした子育て支援もニーズに即して進める必要があるだろう。

最後に

戦後成長期の経済・社会情勢を前提として構築された住宅政策をアップデートしなければならないのは間違いない。ただし、その改革の程度は、それぞれの国家観に大きく左右されるように思う。例えば、私は若年層や子育て世帯の選択肢を狭めないようにする目的での民間賃貸住宅市場の充実、公営住宅の拡充には賛成だが、筆者が言うような、あらゆる世帯を対象とした公営住宅の提供・家賃補助の導入には懐疑的だ。フィンランドなどのスカンディナヴィア諸国が充実した住宅政策を実施しているのも、国家としてのイデオロギーと関連して理解できるだろう。この点に関して、何が好ましくて何が好ましくないという答えはないように思うが、少なくとも言えるのは、国土交通省が所管する住宅政策と厚生労働省が所管する社会政策を一体として進める必要があるということだろう。国土交通省が主体として進めている限りは、(自戒を込めて言うが、)貧困解消や格差是正の観点から捉える視点が弱くなってしまうことは否定できない。住宅政策が社会政策上も非常に重要な役割を果たすことを認識し、緊密に連携していくことが求められる。

また、半世紀以上に渡って積み上げられきた現在の制度を、世論や政治家の理解を得ながら、どのように組み替えるのかも大きな問題だ。欧米と異なり、目に見えて大きな問題が発生していない中で、弱者支援に大きく振り切ることができるのか。財政的な窮状は言わずもがな、昨今は社会全体として、自己責任論が勢いを増しているように思われ、低所得者支援への風当たりは強い。イデオロギーによる政策判断だと片付けられないように、エビデンスを積み上げていくことも重要であるし、一方で、政治的な力を動員することも求められてくるだろう。



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