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No.90 1981年・2019年 ローマ教皇訪日の年は聖心教師最初と最後の年という巡り合わせ

 ローマ教皇フランシスコが2019年11月23日(土)~26日(火)まで訪日されました。ローマ教皇の訪日は2回目です。初めての訪日はローマ教皇ヨハネ・パウロ二世で1981年2月23日(月)~26日(木)でした。
 私は1981年4月1日に聖心女子学院初等科の教師になり、2020年3月31日に定年退職しました。キリスト教カトリックの学校に39年勤務する中で、カトリック信者ではありませんでしたが、ローマ教皇の存在には常に関心をもっていました。西暦30年頃のペテロが初代教皇でヨハネ・パウロ二世が264代教皇、フランシスコが266代教皇になります。教皇が誕生してからおよそ1989年間で、その二人のローマ教皇の初めての訪日が教師1年目の1981年、2回目の訪日が2019年で教師最後の年になります(定年退職は2020年3月でしたが)。私にとっては全くの偶然に驚いています。お二人の訪日が23日~26日、ごミサの日が25日というのも偶然なのでしょうか。
 私は高校まで公立学校に通いましたので、キリスト教に関しては全く無知でした。大学は青山学院大学に通いましたので、キリスト教プロテスタント・メソジスト派ということは分かっていましたが、それ以上のことはよく分からず、大学院に進学した立教大学もキリスト教プロテスタントの聖公会ということは分かっていましたが、十分な理解はありませんでした。聖心に勤務して多くの神父様やシスターの方々にたくさんのことを教えて頂き、少しはキリスト教カトリックのことや他の宗教についても理解でき関心を持つことができました。5・6年生を校外学習で清里清泉寮に引率をしましたが、清泉寮は聖公会の施設です。近くにある聖アンデレ教会を訪ねると、教会内には磔刑の十字架(たっけいのじゅうじか、イエスキリストが十字架にかけられている)がありました。磔刑の十字架はカトリックの教会で見られるもので、多くのプロテスタントの教会では十字架にかけられていることはありません。聖公会はカトリックに近いプロテスタントと学びました。
 
 教皇の初めての訪日はヨハネ・パウロ二世で1981年2月23日(月)~26日(木)でした。私は聖心への内定が決まっていましたので、どのように教師生活を送ろうかと考えていた時期で訪日のことは知っていましたが、現在と違ってネットから情報を得ることができず、新聞やテレビから情報を探していましたがそれほど多くの情報を得ることができませんでした。ヨハネ・パウロ二世の訪日のようすは次のホームページで紹介されています。
カトリック中央協議会
https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/pope/johnpaulii/popeinjp/
NHKアーカイブ
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009030644_00000
 
 教皇として2回目の訪日をされたのがローマ教皇フランシスコでした。2019年11月23日(土)~26日(火)まで滞在されました。
この時の日程については次のホームページを参照して下さい。
カトリック東京大司教区
https://tokyo.catholic.jp/info/diocese/36246/

 1981年2月25日(水)には教皇ヨハネ・パウロ二世が雨の中当時の後楽園球場でミサを行っています。私が教皇フランシスコの訪日に関わることができたのは、11月25日(月)の午後に東京ドームで行われたミサでした。
 当日は初等科の5・6年生の信者の子どもたちが参加するので、その引率として私も東京ドームでのミサに行くことができました。東京ドームにはかつてプロ野球ジャイアンツの取材や観戦で何回か行きましたが、20年振りの訪問です。次の写真は20年前に行った時のものです。

 今回ミサに参加するのはとても厳重でした。事前に登録しその登録した住所にカトリック中央協議会事務局から参加証が送られてきます。

 当日東京ドームに入るには、この参加証と身分証明書を提示します。座席も学校ごとに決まっていて、私の席も指定されています。初等科の席はバックネットのグランドに近い所でした。

 事前に頂いていたものがあります。
 バチカン市国の国旗。会場で振って教皇を歓迎していました。

 ごミサの式次第。これに従ってごミサが進められました。


 教皇フランシスコからのメッセージ

 ごミサの時以外は写真撮影が許可されていました。いくつかの風景をご紹介致します。

 教皇フランシスコの訪日のようすです。
朝日新聞デジタル「ローマ教皇『平和の巡礼者として』 被爆地訪問」
https://digital.asahi.com/articles/ASMCR7346MCRUEHF008.html

 実は恥ずかしい話なのですが、私は教員最後の年になるまで「日記」を書いたことがなかったのです。それで、教員最後の年ぐらい日記を書こうと「聖心女子学院勤務ラスト1年日記」を毎日書くことをしました(この話題は後のエッセーでご紹介致します)。366日(定年の2020年は閏年でした)全て書きました。教皇フランシスコのごミサが行われた日にはどのようなことが書かれていたでしょうか。
 
11月25日(月)東京ドームでのローマ教皇フランシスコのごミサに行く。
今日は東京ドームで教皇フランシスコのごミサがあった。お昼は白い麻婆豆腐。
12:55に5・6年生の信者が揃い東京ドームへ。久しぶりのドーム。チェッ
クが厳しく入るのに時間がかかった。
1981年2月、聖心に就職する年に教皇ヨハネ・パウロ2世が来日。雪を運んできたことを覚えている。当時の後楽園球場でのミサは寒そうな映像で見ていた。38年ぶりの教皇フランシスコの来日。私が最後の聖心での勤務の年である。こんな偶然を持つことができた人はめったにいないだろう。東京ドーム一杯の教皇フランシスコのごミサは迫力があった。ミサ中は撮影が禁止のため、教皇が参加者の近くを回る行為が盛り上がっていた。「バチカンの旗」、参加が許可された「座席指定ハガキ」、「フランシスコの写真つきメッセージ」、「教皇ミサ」など記念に残る品々がプレゼントされた。私にとっては記憶に残る1日になった。    
 こんなごミサは初めての体験である。本当に聖心の教師になってよかったと思った瞬間であった。5・6年生の引率も面白かった。明日は最後の授業参観日である。

 教皇フランシスコの訪日に合わせて、6年生社会科では「教皇フランシスコ事典」をひとりひとり作成していました。教皇のイラストも入れている子どももいました。よく描けていたのでコピーさせてもらいました。本当にそっくりですよね。いつでも初等科の子どもは素晴らしいです。

参考
NHK 被爆体験語るきっかけは法王のことば
https://www3.nhk.or.jp/news/special/pope2019/story/story_04.html
 

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