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ペルタニの知っても知らなくても「哲っちゃんラーメン」

「定める」

物事を一定の状態に落ち着かせる。揺れ動かないようにする。
そして、その固定されたものを食う。
それこそが「定食」である。
だとするなら「日替わり定食」も「店主の気まぐれ定食」も、はたして定まっているだろうか?

当然、答えはノーである。

日替わりは日が定まっておらず、気まぐれは気持ちが定まっていない。
そもそも、定めなくてはいけないのは店側なのか、こちら側なのか。
この問題を真正面から取り組むにはそれ相応の心構えが必要だろう。
そのためにもまず、お気に入りの映画を観て己れの心と対峙したい。

みんなは観た事がある映画やドラマ、漫画を繰り返し観る派?観ない派?

何度もデンゼル・ワシントン主演「イコライザー」を観ながら、この時間に他の映画を観れば新しい感動や知識が得られるのになあ、と一瞬思ってしまう。でもそれはオープニングの一瞬である。その後は最高!の連続なので、やっぱり観て良かったなあ、となる。
新たな発見や感動は得たいが、一度や二度体験したくらいで全てを理解した気になるんじゃない!と自分を責め立て、何度も何度も鑑賞する。
それは修行僧が写経を通して仏や己と向き合うが如く、俺はイコライザーを通して心の深い部分と向き合う。
その先にある高みを目指して・・・

19秒で悪を抹消する元CIAの戦いを描く痛快アクションエンターテイメント映画「イコライザー」をぜひご覧下さい。
1を観たら2も観て下さい。宜しくお願い致します。あと、ぜひ3を製作して下さい。ハリウッドさん、宜しくお願い致します。

で、本題に戻しますが定食は何をもって「定」なのか。個人的には日によって変わらず、店主の気持ちにも揺るがないもの、つまり、メニュー表や札に刻まれ、長年定まっているものが正しき定食だろう。
また、定食を定めているのは誰なのか、それは私でもあなたでも誰でもなく「食」そのものなのです。
ただし、食をその状態にするためにはそれぞれの力が必要です。
店主が定める食、我々が定める食、その2つの定めによって、力の中間地点でピタリと定まった食べ物、それこそが真の「定食」なのです。
じゃないかな?
だよね?
だと良いなあって感じ。
違う?
俺もそう思いながら書いてた。
例えば、麻婆丼とスープのセットは定食じゃない訳じゃん。それは麻婆丼スープセット、な訳よ。でも麻婆豆腐とライス、スープは定食な訳よ。
その差は何かって言うと独立したライスな訳。
店主の力とか、中間地点とか、何言ってんの?
そんなこんなで今回、ご紹介するのが「哲ちゃんラーメン」
このお店で定食を注文すると、明らかに主役が大盛りのライスなのだ。麻婆豆腐やレバニラは添え物に過ぎず、あくまでメインは山盛りのライス。山盛りのライスはその重さにより微動だにせず定まっている。流石だ。
俺が思っている「定食」の真髄がここにはある。
その店主が定めた食を頂き、満足して帰路に着く。俺はこの社会に、この大地にしっかりと定まっているか?
そう自問自答しながらコンビニに寄ってスイーツを買う。そして家で観るんだ。イコライザー2をな。


哲ちゃんラーメン
東京都中野区松が丘2-32-18 哲学堂ヴィラ 1F

看板が中華料理ではなく、中華定食なとこに店主の定めに対する意志を感じます。
定められたライスと麻婆豆腐。
定められたライスとレバニラ。
定められたライスと野菜のうま煮。



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