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カラオケ採点

私はカラオケの採点機能が嫌いだ。
それを楽しむ人々が多いのも知っている。
だからそれ自体を否定するつもりは全くない。
だが、たかがAIが判定した点数で歌唱力の
良し悪しを決められてしまうのは腑に落ちない。

ひと昔前、私がカラオケデビューした頃は、
単なるパーティーコンテンツの一つというか、『今日の運勢』くらいのゆるーい指標に過ぎず、誰もそれを鵜呑みにしている人はいなかったと思う。カラオケで何点取ろうが、そんな事でマウントを取ってくる輩もいなかったように感じる。
各々が歌唱の良し悪し、好き嫌いを自分の耳で
判断していた古き良き時代である。

当時に比べてカラオケ採点の精度は飛躍的に向上し、『ビブラート』『しゃくり』などの技術や特徴までが採点基準になり、歌い終わりにそれぞれの項目に対する評価や、総評コメントまでくれる機能の充実っぷりだ。これはこれで面白いとは思う。ただ、歌唱に対する一つの観点に過ぎないということを私は強く主張したい。

中学生の頃、私には夢があった。今思えば、
それは何でもよかった。何かで成功したかった。とても漠然としていたが、人より優れた何かで勝負をしたかった。もし私に『将棋』の才能が少しでもあれば、プロ棋士を目指すこともあったかもしれないが、残念ながら将棋を覚えてから、割と早い段階でその道は完全に封鎖されている事を知った。

『何に成りたいか』ではなく、『何に成れるか』を考えた結果だったのかもしれない。
私の唯一の才能は親譲りの『歌唱』だった。
才能と言っても、カラオケで周りのみんなに
多少褒められる程度のレベルだったと思う。

ある友達から言われた
『歌手になればいいじゃん』という
社交辞令を真に受けた私は、高校を中退し、
数ヶ月後に16歳で四国から上京した。
(正確には転校)

音楽の専門学校と、通信制の高校が同梱されてにいるような謎の学校で、そこを足掛かりにサクセスストーリーを歩んでいくことにした私だったが、コミュ障ゆえに周りとあまり馴染めずにいた。(特に方言の壁はなかったはず)

それでも私には自信…いや、確信があった。
『誰よりも上手いボーカリストになる』
そう信じて疑う事はなかった。と言うよりも、
疑っていてはやっていけないと思っていた。

そもそも『誰よりも上手い』とは誰がどのように決めるのか?そんな事すら考えず、漠然としたNo.1を目指していた。実際、その当時の私にとって自分の方が劣っていると感じるようなライバルはそんなにいなかった。ただ、1人だけ心から負けを認めた女性ボーカリストがいた。

校内で一番のパフォーマー(音楽、ダンス、お笑い等)を決めるコンテストみたいなのが開催された。狭いコミュニティ内でのミニ大会など、優勝して当然だと慢心していた私は、彼女の歌唱力に正直、鳥肌が立った。その当時は自分に色々な言い訳をして、負けを認めなかったが、完敗だったと思う。

後日、そんな彼女に話しかけられた。
「歌、すごく上手いね」

意外な一言だった。社交辞令なのか、嫌味なのか、それでも悪い気はしなかった。

「いやいや、そっちの方が上手いよ」

すごく動揺した私は、心にもない言葉を返した。

「ありがとう。でも、
上手いだけじゃダメなんだよね…」

少し悲しそうな顔をしていた気がする。
私は歌唱力が全てだと思い込んでいた。
それさえあれば評価されるし、プロにだってなれるし、異性にも超絶モテるし、莫大な財産を築く事もできるはずだと…

そうではなかった。歌が上手いだけで通用するような甘い世界ではない。歌が上手い奴なんて星の数ほどいる。レベルや定義もそれぞれで、好き嫌いだってある。売れるボーカリストになるには、それ以外にルックスや、パフォーマンスや、トーク、楽曲にも恵まれる必要がある。

数年後、私は音楽を辞めた。正確には、どこから始まって、どこで終わったのか、よくわからないし、今は長い休憩期間で、まだ終わっていないのかもしれない。ただ、『夢』は終わった。
自分より優れたボーカリストなんて、いくらでもいるし、勝負しようと思えるほどの歌唱力でないことは、もう知っている。

ボーカリストを辞めた私は、その当時、一番なりたくなかった『歌が少し上手いおじさん』に成り果ててしまった。そこで何よりも苦痛なのが、カラオケの点数で歌唱力の良し悪しを決められる事だ。過去の栄光というか、変なプライドであることは自覚しているが、私の魂を込めた歌を
DAMとかJOYごときに安易に判断されたくはないのである。私の中で常に『100点』な訳で、
それ以上でもそれ以下でもない。

もちろん採点しなければいいだけだし、気にしなければ良いだけの問題なのだが、カラオケの採点文化は意外と浸透していて、採点絶対主義者が少なくない。その中で『採点するな』とか『点数で俺の歌を評価するな』とはなかなか言いづらい。

自分の中でカラオケ採点の点数を目標にしたり、モチベーションにしたりする分には、何の文句もないし、素晴らしいことだと思う。
だが、その価値観を他人に押しつけないでほしい。上手い下手は自分の耳で決めるべきだし、
機械の決めた指標で、それだけを盲信して
歌唱の優劣を決められるのは非常に不快だ。

これは将棋にも言える事で、AIの評価値はあくまで視聴者が楽しむための補助的な機能であり、
ただの目安である。渾身の一手一手に点数をつけられるのは仕方ないにしても、その数字だけを見て良し悪しを語るのは違うと思う。

『○手で○○の勝利』これも腹立たしい。
投了するまで負けじゃないし、最後まで
何が起こるかはわからない。

私の歌はAI的には90点前後かもしれないが、
誰かの心に響いて、その人の人生を何か変えることがあるかもしれない。

『数字は嘘をつかないというが、嘘つきは数字を使う』
という言葉を目にしたことがある。本件とは全く関係ないが、いい言葉だなと思った。

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