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犬と誕生日

以前にも書いたことがあったか忘れたが、
私は犬が苦手だ。遠目で見ている分には可愛いと思うのだが、半径数メートル圏内にいると、恐怖のあまり全身の穴という穴から体液が飛び散りそうになる。猫はそこまで怖くないが、シャーってされると後退りするくらいに動物が怖い。

今まで数十年生きてきて、誰もまともに話を聞いてくれたことはないが、私の前世は多分、犬だと思う。根拠は色々あるが、どうせ書いても共感を得られることはなさそうなので、その話は割愛させてもらう。ワンチャン猫かもしれない。
(ワンチャンスと犬をかけたダジャレ)

小学生の頃、公文式に通っていたことがある。
教室の敷地内に民家があり、外には犬小屋が設置されていた。そこから鎖に繋がれていた動物がいた。そう、『犬』である。名前は知らないが、とにかくよく吠える。その教室に通っている生徒は必ずそこを通らなくてはならないのだが、私が通る時は必ず、200%くらいのアグレッシブさで吠えてくる。つないでいる鎖が今にも引きちぎれそうな勢いだった。実際の耐久度は不明だが、少なくとも私の目にはそう映っていた。

私はその教室に通うのがとても嫌だった。
こう見えても私は男の子なので、犬が怖いから中に入れないなんて口が裂けても言えなかった。
いつも教室から少し離れた壁の陰から犬の動向を観察し、良さげなタイミングをうかがっていた。
他の生徒と遭遇した時は、偶然を装って同行するような姑息な戦法を多用していた。

外に出る時はダッシュすれば切り抜けられるのでまだマシだったが、それでも犬の吠える声に萎縮して、なかなか帰れない時もあった。その時もなんだかんだ言い訳をしていたが、だんだん私の正体に気づく者が増えてきた。時には、ずっと教室の外からヘルプを求めていた私を見かねて、年下の女の子に連行されて教室に入ることもあった。

何故か私以外、そこまでその犬を怖がる生徒はいなかった。理由は、その犬が鎖につながれていて、こちらを襲うことが不可能だから。私は納得がいかなかった。鎖をMAXまで伸ばせば、ギリギリこちらに攻撃を与えることは可能なのではないかというのが私の見解だった。戦闘力でいうとあちらの方が確実に上だと見積もっていた。

そんな戦いが数年続き、犬に慣れるどころか、恐怖心が日に日に増大していき、犬が苦手な人間になってしまった。『マルチーズ』とか『フレンチブルドッグ』的な犬もやはり恐怖の対象だ。
高校を卒業してもそれは変わらず、19歳の誕生日を迎える前日、悲劇は起こってしまった。

その頃、建設現場でアルバイトをしていたのだが、あまり仕事がない時期だったらしく、休みになることが多かった。ただ家にいるだけだが、腹は減る。近所の弁当屋に行こうとアパートを出て自転車に乗ろうとした時、100メートルくらい先の何かと目が合った気がした。

『犬』だった。全速力でこちらに向かってくるではないか。私は命の危険を感じた。すぐに今いる場所から逃げなければ殺されてしまう。その感じた私は咄嗟に走り出した。しかし、犬の速度が私の速度を遥かに上回っていた。ここまでの戦力差があるとは誤算だった。私も諦めなかった。武力では勝てずとも知力ではこちらが優っているはずだと。そう過信していた。

弾丸のように迫り来る『犬』に背を向けて走っていたが、『犬』の正面にターンを試みた。
その刹那、私の右足だったか、左足だったかがグリンとした。頭の中が真っ白になった。この上ない絶望感を味わった。左肩を地面に叩きつけ、激しい痛みが全身を駆け巡った。このまま『犬』に食われて一生を終えるのだと覚悟を決めた。

『犬』は倒れ込んでいる私を完全にスルーして、
颯爽と駆け抜けて行った。逃げる意味など最初からなかったことに気がついた。しかし、反射的に、本能的に身体が動いてしまったのだから、どうしようもない。こうして私の左肩には脱臼癖がついてしまい、一生それと付き合っていくしかなくなった。その『犬』が悪いわけではない。

その『犬』を放し飼いにしていた飼い主が、
倒れ込んだ私にこう言い放った。
「いつもはこんなことしないのにねぇ」
そんなの知らねぇよ。痛みと怒りと悲しみと憤りが混ざった何とも言えない感情のまま、19歳の誕生日を迎えた。私は毎年、誕生日を迎えるたびに、この日の出来事を思い出す。

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