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フィールドノート集「阿久根に投げ込まれた11個の小石」

  • 専修大学上平研究室によって2023年6月に行われた阿久根市でのフィールドワークをまとめたフィールドノートの冊子を作成しました。

  • 学生が記述したノートと、各自のノートへの研究者3名による講評で構成されています。フィールドワークに取り組むデザイン学生に向けて、フィールドノートをどんな風に書くのかの参考資料となることを目指して冊子にまとめました。

  • このコンテンツの売上は、10月に行われる本調査の際に、ノートを執筆した学生たちの調査費・滞在費に当てさせていただきます。

  • A4変形の全120P。

  • 冊子のPDF版ですので、大型ディスプレイでの閲覧を推奨します。

  • 上平による序文を公開します。

  • 本文PDFは有料部分(¥500)にリンクがあります。

  • BOOTHでの販売だと、ID作成が手間とのことでこちらに支所をつくりました。



(冊子より序文を転載)

はじめに

上平崇仁 (デザイン研究者 / アクネ大使)

国道三号線は、湯田川を越えたあたりで大きく右に旋回する。道なりに車を走らせていくと、木々の濃い緑を抜け、急に視界が青く染まった。眼前に広がった広大な水平線と窓から吹き込んでくる潮風に、後部座席に座った学生達が「わあ」と歓声を上げる。背の高いワシントンヤシの木たちが潮風でゆっくりと揺れ、東京から来た我々に沿道から手を振ってくれているようだ。そうして海沿いの道の先に「ようこそ阿久根市へ」と書かれた看板が見え、「道の駅あくね」に到着した。ここは40年前、子供の頃のぼくの通学路だった。そして今回の旅の出発点となった。

と、このまま筆が滑って思わず長編サスペンス小説を書いてしまいそうな気分になってきたので、時を戻したい。阿久根市は、鹿児島県北東部に位置する小さな市である。令和5年度事業として、旧港地域にある青果市場の跡地を活用する計画を進めている。専修大学上平研究室ではこの事業における基礎調査を委託され、学生たち、KDDI総合研究所、合同会社メッシュワークの計14名のプロジェクトを組んで阿久根市に滞在し、予備調査を行った。

さて、今回の跡地活用事業とも深く関わる「まちづくり」は、実に厄介な問題である。過疎化に悩む街がある一方で、人々が吸い寄せられた側の地方都市の街並みは似たり寄ったりである。人口が多いからと言って、その街独自の文化が育つわけではなさそうだ。それぞれの街における人々の生活は、まさしくそこで施された仕組みによって作りだされているし、その「歪み」は誰もがうすうすと感じている。

何を持って豊かさとするかは、価値感のものさしの当て方次第で変わる。だから人の量「だけ」をものさしにして街を見るべきではない。近隣にある人口の多い街よりも、条件の厳しい阿久根市の方が、他にない素晴らしい体験をつくりだしている人が多いのは、決して気のせいじゃない。刻々と姿を変えていく好きな街のために、自分事として問い、立ち向かう真剣さが明らかに違うのだ。

今回の我々の研究室の役割は、そうした阿久根の街で実現できる「場」のための要素の洗い出しが目的となる。そこに存在する生態系や眠っている資源(リソース)は何か。そのポテンシャルを活かして何ができるのか。訪れた人々はいったい何に心を動かされるのか。市民はなにを誇り、その共有資源(コモンズ)をどう育てていくか。それは都市生活とは別のものさしによる、阿久根市ならではのコンヴィヴィアル(共愉的)な生き方へと連れ出していくものに違いないし、それらを実現していく取り組みは、さまざまな立場の人が新しい価値を描き、対話するきっかけともなるものだろう。それは阿久根市の未来の問題でありながら、同時に縮小し続ける日本の未来においてもまったく通じる問題に他ならない。

これらの調査活動を元に、この冊子が作られた。ただしこれは今回の跡地活用事業の調査における直接の成果物ではない。(跡地活用に直接的につながる本調査は、秋の滞在時に行う予定であり、別途まとめる予定である)では、なにがコンテンツなのか。

ここには、2023年6月29日〜7月2日の4日間、現地でフィールドワークを行い、ヨソモノでありワカモノである著者らがはじめて阿久根を歩いた時の記録がまとめられた。短い滞在とは言え、初めてその地域に触れた感情は重要である。座談会で人類学者の水上氏が話しているように、「初めて訪れた時の感情は、初めて訪れた時にしか起きない」ものだからだ。その瑞々しい経験が、そのまま泡がはじけるように消え去っていくのはあまりにも惜しい。その意味を重く感じたことから、上平研究室で編集して冊子化したものである。

想定する読者は、大きく2つ。まずは阿久根市の関係者である。若者たちが阿久根を旅した際に何を感じたか、それをできるだけ丁寧に文章にする。それを今回の阿久根の事業に関係する人や地元の人たちが読むことで、自分たちの街がどのように見えるのか、他者からの見え方を知るための一つのツールとなることを狙った。もうひとつは、フィールドワークする学習者である。今後、間違いなく地域でのデザインはもっと活発になるし、様々な人がフィールドワークする時代となっていく。しかしデザインの領域では、言葉よりも視覚が重視されることが多いし、フィールドノートをどう書くかの知見の少なさは、多くの学習者に共通する問題だと感じている。そこで人類学の専門家の助言を取り入れて、同じように地域のフィールドワークやデザインに取り組む若者たちの参考資料となることを試みた。

短い滞在とは言え、訪問したところは両手両足の数を超える。そこで、見たこと、聞いたことのデータは事前に全員で共有した上で、訪問した場所をざっくり人数分11ヶ所に分けてそれぞれを分担してノートを執筆した。フィールドワークでは身体感覚を総動員するため、膨大な情報量を追いかけるだけで必死になりがちであるが、シェアしあうことで負荷を下げ、なるべく自分自身がその場で感じたことにフォーカスを当てて書くことを心がけた。これらの記録は稚拙なものかもしれないが、ざっと眺めるだけでもそれぞれの執筆者が真摯に現地を解釈し、厚く記述しようとした姿勢が伝わってくる。そして、若者11名が担当した各章の後ろに、研究者3名でふりかえりながら対話したものを収録した。各章の文章と照らし合わせて読むと、重層的に解釈できて理解が深まるだろう。

タイトルの「阿久根に投げ込まれた11個の小石」は、ある学生の記述から拝借した。執筆者の11名の若者たちも背景となる人生はバラバラである。しかしこの度、偶然ながら阿久根の街に同時に投げ込まれ、全く知らない世界を眺めることとなった。これを縁と言わずなんと言おう。小石は水面と相互作用して小さな波紋を生み出す。そしてきっとそれに共鳴した他のだれかへと伝播していく。それでは、読者のみなさんも、ここから始まるページに綴じられた波紋を感じる旅へ、いっしょに出かけていこう。

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