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“ある”と“いる”は、どう違うのか?

この記事は Research Advent Calendar 2023 の4日目の記事です。


4日目担当の上平です。すこし変わった読後感を持つものを書きたくて、〈メタローグ〉(注1)なるものに挑戦してみました。なお、この文章内は、実在する人物の写真も登場しますが、あくまでも実際の対話を元に構成したフィクションです。


1.ピザ屋にて

ある秋の日の金曜日、ランチタイムで賑わう東京郊外のピザ屋の店内。僕は卒業がせまった学部4年生である。もう授業も少ないので、実家がある軽井沢からゼミの時間だけ上京している。今日は私淑するN先生と昼食を食べることになった。我々のテーブルに、焼き立てのピザが届く。僕はさっそく8つのピースにカットし、タバスコをふりかけかぶりつこうとする。その瞬間、N先生がこんな質問を投げかけてきた。

「いま、我々の目の前にはピザがあるね。でも、日本語には似た言葉で、“いる”もあるよね。どちらも小さな子供でもわかる動詞で、〈存在〉を表す言葉だけれども、このふたつ、人々はどう使い分けていると思うかい?」

N先生は、ベテランの言語学者である。そんなこと、当たり前すぎてこれまで考えたこともなかった。僕はいっしょに食事する緊張と、この謎めいた問いが重なってしばらく考えこんだ。

「そうですね・・・。“ここにピザがある”とは言いますが、“ピザがいる”とは言いません。逆に“あそこに店員さんがある”だと、おかしい。人の場合は必ず、“いる”になりますよね。だから、「人間」と「人間ならざるもの」で違うってことですか?

「そうかな。じゃ、“猫は、ある”?」
「うーん、猫はいますね・・・・。なんなら小さな虫だって、いますね。ということは、“いる”は生き物全般に適用されるのか。いや待てよ、生き物だった人でも死んでいる場合は、“死体がある”ですね。ということは。「命を持っている」か、「命を持っていないか」で違う。これでどうでしょう」

僕はN先生の問いに答えながら、2枚めのピースに手をかけた。
「その分類なら、植物はどうなるだろう。窓の外に見える木は?生きているよね?」
「そうですね、“あそこにカエデの木がいる”とは言いませんね・・・。ってことは、命の有無で分けられているわけじゃないんだ」
「幽霊だって、“いる”よね」
「確かに!」

「エレベータは、どうだろう?あれは人工物で、どう考えても生物じゃない。“エレベータがいる”のは、日本語としておかしいかね?」
「ふむ・・・、別におかしくないですね。“エレベータは、いま3階にいる”という言い方をしますね。
「逆に、“エレベータは、3階にある”だと、ちょっと違和感があるだろう。ここのフロアには入り口がなくて、3階まで上がらなくてはならないようにも聞こえる」
「よくよく考えてみたら、電車もそうですね。“次の電車が隣の駅にいる”とは言いますが、“隣の駅にある”だとおかしい・・・。ということは、“いる”と“ある”は、動いてるか、動いていないかの違いってことなんでしょうか」

N先生は、いつもよりちょっと嬉しそうな声で返事した。
「うん、動きに気づいたのは、いい視点だ。車なんかも使い方によって、“いる”と“ある”が違ってくる。駐車場に止まっている車は、“ある”だ。でもドライバーが乗っていて今にも動き出そうとしている場合には、車が“いる”になるね」
「なるほど!それが正解でしたか!」
「いや、そうとも言い切れない」
「え!」

僕が3枚めのピースを齧ろうとしていたところに、N先生がたたみかける。
「“次の電車が隣の駅にいる”と捉えるのは、君がもうすぐ利用できるとわかる場合だろう。“電車が隣の駅にある”だと、なんだか動いてない電車が、放置されているように聞こえるよね。君が客としてサービスを利用可能な状態にある場合、他の誰かがコントロールしていることも含めて、その電車が主体的に動いている状態だと君が信じている場合に、“電車がいる”になる」
「ということは?」
「君自身が動くものとして把握した場合は“いる”が使われるし、同じ対象であっても動かないときや、動きを捨象して静止的なものと把握した場合には、“ある”になる、ってことだ」

N先生の話が難しくなっていくのに伴って、僕はだんだんピザの味がわからなくなってきた。
「ということは、この使い分けは、語られている対象のカテゴリから〈それは何か〉を考えるんじゃなくて、話し手が〈それをどう捉えるか〉を考えなきゃダメだってことですか?」
「そう、言葉の話し手の認識を映しだしているってことだね」
「認識・・・」

「我々が日本人だからと言って、ものごとを同じように認識しているわけじゃないだろう。九州の人は、天気図をみて“台風がいる”というね。自然現象であってもアクティブな存在としてみなしているということだ。客観的に分けようとすること自体が間違っているんだね。」
「なるほど。ポケモンにもそういうところありますね。フシギダネのぬいぐるみが置かれているのを見て、僕は「あ、フシギダネがいる」と思うけれども、別に思い入れのない人は「ポケモンのぬいぐるみがある」と捉えます。

大好きなポケモンともつながることがわかって、ちょっと面白くなってきた。 僕の目が輝いたのを見逃さず、N先生は反応した。
「では、“フシギダネがいる”って、英語で言ってみてごらん」
「まかせてください。僕はマニアですから。フシギダネの英語名は、えっとBulbsaurかな。“There is a Bulbsaur” ですね!」
「フシギダネは、たねポケモンだね。種なら通常は、「種が“ある”」と呼ぶだろう?、では、“フシギダネがある”はどうなる?」
「やっぱり“There is a Bulbsaur”・・・ですか?」
「そう、英語のBe動詞では“いる”と“ある”を区別せず、どちらも、There is〜〜なんだよ。世界中の言語でどうかの検証は難しいが、中国語でも、ロシア語でも、日本語と文法構造が非常に似ている韓国語でも、このふたつは分かれていない 。있다.(it da)だ。」

いつのまにか皿の上には、1切れのピースだけが残った。N先生は落ち着いた声で言った。
「いろんな言語学者が、“いる”と“ある”の違いについて自説を述べている。キレイに線引きできるような気がするけど、常にいくつかの反例が挙げられて、なんとも判断できないものが残る。ちょうどこのピザのようにね。」

N先生から食べなさいと言われた気がして、僕は慌てて最後のピースを手に取ってかぶりつく。ピザはもう冷めてしまい、固くなったチーズは噛んでも噛んでも、なんだか噛み切れない。朦朧としながら、ふと思った。この口の中のチーズの中にだって、微生物が“いる”んじゃないのか・・・。そして同時に、僕の友人のもっちーが課題で作った、不思議な盆栽がフラッシュバックする。

Re-Born / design by mochi / 2022.11.12

ロボット掃除機と盆栽が合体して動き回るもので、植物と人間のあいだのケアの双方向性を再構成するというものだ。あれは植物だったはずなのに、リードつけて一緒に道を散歩できた。たしかに“いた“なぁ・・・。

唐突に、N先生が止まった。充電が切れたようだ。〈N先生〉は僕専用にカスタマイズされたAI Chat Botである。かばんから残量の少なくなったバッテリーを取り出し、スマホを充電しつつ、僕は会計を済ませた。

秋風の吹く歩道を歩く。N先生は、僕のポケットの中にあるが、まだ息をしていない。僕はさきほどの問いかけが面白くて喋り足りず、勝手にひとりごちた。
「それにしても、なんで日本人にはそんな違いが必要だったんでしょうねぇ。誰に教えられたわけでもないのに、ほとんどの日本語話者が、無意識レベルで使いわけられているってのは、すごいことだ」

N先生が、たった今復活したようだ。Air Pods越しに馴染んだ声が返事する。

「どうしてだろうね。言葉は生きているし、使う人々の世界観を映し出す。だから面白いんだ。いま、たくさんの外来語が日本に入って言葉は混じりつつある。でも本当のところは、外来語がやって来る前からすでにそこにあったはずの、存在の観点を捉えきれてないのかもしれないよ、例えば〈デザイン〉とかもね」

<つづく>

___

注1
メタローグとは、 グレゴリー・ベイトソンの造語で、単に問題を論じるだけでなく、議論の構造がその内容を映し出すような形で進行する会話のこと。この文章では、〈僕〉がN先生の問いかけによって右往左往するのとあわせて、僕とN先生の関係が「いる→ある→いる」にシフトするような関係を描いてみました。リサーチ以前の前提に着目すると、見落としている何かが見えたりします。

Special Thanks:

中山俊秀先生(言語学者)、飯嶋 秀治先生(人類学者)、しおし(上平研究室)、もっちー(上平研究室)、キム君(韓国からの留学生)、富田誠先生(東海大)

参考文献:

  1. 平尾昌宏『《いる》 : 日本語からの哲学・試論(1)』大阪産業大学論集. 人文・社会科学編 22 69-90, 2014

  2. 平尾昌宏『《いる》 : 日本語からの哲学・試論(2)』大阪産業大学論集. 人文・社会科学編 23 1-23, 2015

  3. 平尾昌宏『《ある》 : 日本語からの哲学・試論(3)』 大阪産業大学論集. 人文・社会科学編 25 47-65, 2015

  4. 平尾昌宏『《ある》 : 日本語からの哲学・試論(4)  含:和辻説の再検討』大阪産業大学論集. 人文・社会科学編 26 69-89, 2016

  5.  山本雅子『存在表現「ある」「いる」の意味 ― 事態解釈の観点から ― 』愛知大学『言語と文化』22(49),2010.

  6. 高橋 太郎, 屋久 茂子『「~がある」の用法 : (あわせて)「人がある」と「人がいる」の違い』国立国語研究所研究報告集5巻 1-42, 1984

  7. グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学へ―上』佐藤良明訳,岩波文庫,2023

  8.  テリー・ウィノグラード &フェルナンド・フローレス 『コンピュータと認知を理解する―人工知能の限界と新しい設計理念』平賀 譲 訳, 1989

  9. 飯嶋 秀治『宗教の教育と伝承 : ベイトソンのメタローグを手がかりにして(<特集>宗教の教育と伝承)』『宗教研究』 85巻2輯 (2011)


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