![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/143429339/rectangle_large_type_2_9d10ca7a63db2af1ccd0e59ad19b41a8.png?width=1200)
アニメed曲史上1切ないMotherlandを真面目に考察
鋼の錬金術師アニメ1期3クール目ed、Motherland
ガチでアニソンedで1番切ない曲だと思う
でも誰も言及しない。作品が古すぎるから。
ぱっと調べても考察なんて出てこなかった。だから漏れが書く。
本当に、3クール目にバラード調のあまりにも優しい静かな曲を持ってくるセンスが卓越している。
本編でエドワードが傷つき傷つけとても悲しそうな表情をした後、このed曲とともに(かわいすぎる)ウィンリィのみの映像、ヒロインの笑顔と少し寂しさを含んだ表情、100点。
確実に、この作品の格というか品を上げている要素の一つ。
歌詞考察の前にひとつ
このed映像にはウィンリィのみ登場、周りの状況は全くわからない様になっている。本編の進行状況と同時期のウィンリィか掴めないのである。
そして、このedと全く同じ服装のウィンリィのグッズイラスト(キラカード)がある。この服のウィンリィと生身12才アルフォンスの2人のイラストである。つまり、そのイラストの状況ではエドワードは現実世界に行ってしまった後、錬金世界にはいない。となると、edウィンリィはエドワードが現実世界へ消えた後(アニメ1期最終話〜劇場版の間)の時期の可能性がある。この考察は、その状況を前提にして書いてみる。
君が旅立つ日は いつもと同じ
「じゃあね」と手を振った
まるで明日もまた この街で会うみたいに
終盤、エドワードがイズミの所に向かう時かな、アニメでは最後の対面。
この頃はエドワード自身もまさかこの後消えてしまうなんて知らなかったしなあ
愛を信じるのは 自分にも負けないこと
夢が叶う日まで 笑顔のまま星を見て祈り捧げここにいるから
エドワードへの愛(ここではloveよりlike)を信じて、いつかリゼンブールに、家に、帰ってくることを諦めず祈るウィンリィ、健気すぎる
私は君にとっての空でいたい 哀しみまでも包み込んで
いつでも見上げるときは ひとりじゃないと
遠くで思えるように 帰る場所であるように
優しく、美しいすぎる。愛情と母性の塊。
実際に孤独と悲哀の真っ只中にいるエドワードに聞かせてやりたい。涙が止まらない。
君がいない街で 相変わらずに元気で過ごしてる
それが今私にできること そう思うから
エドワードが消えた後も、落ち込んだりそんな素振りを見せなかったのは、やっぱりエドワードのためだった
もうはやく結婚してしまえ
どんな出来事にも 隠れてる意味があるの
夢が消えかけても 自分らしくいてほしい
ここ、劇場版エドワードさんに響きます。
18才エドワードは夢が消えかけてちょっと雰囲気変わってしまったからなあ
どんなときもここにいるから
後述
涙失くすほど強くなくてもいい 疲れた心休ませてね
実際、アニメ1期エドワードは原作より割とよく泣くしね。まあ疲れた心は休める暇もなくておかしくなっちゃったみたいだけど。これをウィンリィの口から言えていれば、また少し違っていたのかも。
素敵な明日を願い眠りについて 小さな子供のように
愛情と母性。
小さな子供のように、なんて、お母さんすぎる。
この広い世界はつながってる 白い雲は流れ風になって
君のもとへ
この頃は、エドワードはこの世界のどこかにいる(生きている)って思ってたんだろうなあ。まあウィンリィが見ている雲はどこまで流れてもエドワードの元へ行き着くことはないんだけど。
私の声は届きますか?
あふれる気持ち言えなかった
切ない。こっちの気持ちが溢れてんだ。
あふれる気持ち=エドワードが好き(これはloveの意)の気持ちを伝えられずにエドワードは消えてしまった(アニメ1期最終話)。
でも、劇場版終盤の、結局気持ちを伝えられずに永遠に離ればなれになってしまった後の思いでもあったら…切ないを越えて辛い。ウィンリィの気持ちを全てくみ取ることはできないが、涙が止まらない。
私は君にとっての空でいたい 哀しみまでも包み込んで
いつでも見上げるときは ひとりじゃないと
遠くで思えるように 帰る場所であるように
帰る場所であるように
後述について
「どんなときもここにいる」「帰る場所である」これらは、アニメ1期最終話〜劇場版まで間のウィンリィの、ここ(リゼンブール)でエドワードの帰りを待ち続ける(生きていると信じている)という思いを表している。
しかし、劇場版では、ついにリゼンブールから動いて、自らエドワードの方へ向かっていった。その結果、一瞬だけども再会できた。この細かい描写で、2年の期間で待つヒロインから動くことを決意できるほどウィンリィも変化していたことが伺える。
アニメ本編(3クール頃の、鬱屈とした薄暗い空気が強くなっていくストーリー)が終わった後これが流れるの凄すぎる。感情の振れ幅がぶっ壊れる。さらに当時土曜夕方にこれを眺める情景、想像すると、こんな現実はなかったのに強いノスタルジーの波が迫ってきて、本当に泣きそうになる。
やっぱアニメ1期のedはいいよなあ。3、4クール目のedは、雰囲気が終盤の重暗くて切なくて苦しくて美しい本編の内容と重なって助長し合って、もうすごい領域にいる。ここまでノスタルジーを感じさせるアニメed曲、映像なんてなかなかない。漏れは感動しているんだ、この2003年のセンスに。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?