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【鋼の錬金術師】原作・1期・2期比較 旧鋼の錬金術師とは何だったのか

鋼の錬金術師原作(アニメ2期)と2003年版、アニメ1期の比較です。
基本は後者を軸に違いをまとめていきます。
※自己満記事なのでネタバレ含みます



あまり思想を入れたくないので淡々といこうと思います。

構成比較

原作は、
漫画全27巻アニメ64話、ちょうどいい感じです♪

旧鋼は、
アニメ全部52話+劇場版で完結です。

見る順番は
原作→FA→旧鋼 がおすすめ



ストーリー比較

原作、つまり本物の鋼の錬金術師は、
「主人公の心の成長の物語」です。

主人公の旅の道中だんだん仲間ができて、トラブルの解決で心身成長していき、家族や仲間の力をかりて敵を倒す。全て解決して幸せな家庭を築き、主人公の旅は続く。王道な少年漫画ですね。






旧鋼はまずテーマが違います。

「エルリック兄弟の兄弟愛の物語」

きれいに言えば、どちらかがいない世界なんて嫌だ!みたいな。アニメ最終話〜劇場版はもう兄弟愛MAX。


エドワードは2人の旅を「失ったものを取り戻す旅」と言っていますが、

結論から言うと、取り戻せません。


あの、何も元通りではないんです。


まあアルフォンスは身体を取り戻したんですがね。
でもそれは「エドワードの元いた世界の身体」の代価です。


エドワードがいう「取り戻す」とは、「アルフォンスの身体、エドワードの右腕と左足を元に戻す」ということです。でもそれらはすでに人体錬成の対価として支払ったものです。
つまり、
「取り戻す」行為が遠回しにエルリック兄弟が信じる等価交換を否定していることであると。
そしてそのことにエドワードは途中からなんとなく勘づいています。


それでも等価交換を信じて、気づかないふりをしてまで、失ったものを追い求める。「世界に等価交換なんてない」と、「等価交換は子供が信じるものだ」と大人に図星を突かれて言葉を飲み込むエドワードですが、「等価交換が子供の言い訳だとしても、努力は報われると信じたい」と、とりあえず自分に都合のいい理想の真理を信じることにします。

個人的にはここはエドワードの性格の違いが分かりやすく表れていると思います。
原作エドワードなら、理想からかけ離れていても、都合が悪くても、世界の真理なら苦い思いをしながら受け入れて変わっていくと思うので。少なくとも「子供のままでもいい」というような考え方は原作エドワードはしないと。
旧鋼はアニメ最終話に近付くにつれてエドワードの発言・決断が、その過去の経験の違いによって原作エドワードとひどく乖離していくように感じます。

まあ結局エドワードの右腕と左足は永遠に戻ってこないし(辛辣)


あともう一つ
旧鋼ではエネルギー保存の法則の存在が物語に影響してます。(劇場版ではほぼ質量保存の法則を無視してますが笑)
原作と違って龍脈の存在がないので、錬金術に必要なエネルギーをどこから供給しているかもオリジナルです。

旧鋼には、エドワード達の世界(錬金世界)と異世界(現実世界)が並行しているというオリジナルがあります。

そして、エドワード達は錬金術を行うたびに現実世界の人間の生命エネルギーを使っている、ということです。

アニメの最終話では、消滅したアルフォンスを自分の命と等価交換しようとしたエドワードは結局現実世界に消えていき…そこから劇場版に繋がっていきます。


旧鋼では、大きく言うと主人公が罪を犯しまくります。無知で非力な子供であったこと、故意ではなかったこと…かわいそうだけど、罪は罪です。原作より写実なジャッジなのでしょうがない。どんまいっっ(主人公の罪だけではない償いもありますが)
旧鋼は、「主人公が罪をつぐなって生きていく物語」だとも、言えると思います。


(追記)
原作はホーエンハイムの物語とも言われてます。たしかに、すべてのきっかけはホーエンハイム、こいつがいなければ始まらない。
だとすれば旧鋼はエドワードの物語といえます。前述と後述より、旧鋼とはあくまでエドワード主体です。劇場版に限っては、初見だと弟とヒロインの活躍少なすぎてびっくり。
ホーエンハイムのせいスタイルは変わりませんが、旧鋼のこいつは本当に何もしないので、結局ぜんぶエドワードが物語を進めます。旧鋼は弟>ヒロインという存在意義序列なので、ウィンリィはほぼサブに振られてるし、それでもアルフォンスはエドワードと対等な存在とはとても言えない。エドワード一強体制の完成。主人公好きからしたら最高の構造。


行ってしまうと、旧鋼は全体通して退廃的です。劇場版を考えると、良い方向に向かったことはないです。
エドワードの手足は戻らない
兄弟は別世界に行ってしまった
タッカーはニーナもどきを生成し続けている
大佐は片目失明


あと細かいところの話だと、


旧鋼ではブリッグズの話は出てきません。
シン国は存在すらありません。。

そして序盤からオリジナルのサイドストーリー満載で威勢のいい滑り出しですねーー
まあ私はラッセルとフレッチャー好きですけどね。
エルリック兄弟とは違うけどバランスが良い。
この2人の番外編ovaください。



キャラクター比較

原作と旧鋼に登場する、特に違いがあるメインキャラクターに絞ります。

あえて主人公は最後にします。長くなるので。


アルフォンス・エルリック

原作と比べると、かなりなよなよしてるように感じる。

序盤から若干ブラコンで、最終話近く、エドワードの言うことを聞かずに行動した結果、敵に捕まってしまいます。

でもラースに付いているエドワードの右腕と左足を引きちぎってでも戻してあげたいと、兄弟愛を伺える発言もしてます。


上で書いたように旧鋼は「兄弟愛」についての作品なので、それを考えればアルフォンスのオリジナルもあながち改悪でもないですね。。

中盤から賢者の石in鎧のスタイルだったアルフォンスもアニメ最終話にてエドワードと入れ代わりで生身をやっと取り戻します。

生身アルフォンスは劇場版で活躍しますが、おにいちゃんだいすき弟なのでエドワードの格好を真似ています。
年齢や顔のデザインの違いもあって、原作の生身アルフォンスとは別人レベルでメタモルフォーゼしています。


ホーエンハイム・エルリック/ヴァン・ホーエンハイム



旧鋼に関しては、だいたい全部こいつのせいと言われてます。

まあその通りですね。エルリック兄弟の苦労は元を辿ればだいたいこいつです。



原作では「人の形をした賢者の石」というスタイルでしたが、旧鋼では「賢者の石の力で死を先送りしている人間」です。
個人的に主人公の父親が人外なのはちょっと疑問だったので、この設定は旧鋼の方がしっくりきます。



原作では最強親父として大活躍、家を出た理由も「老いない身体を捨て、妻と共に歳をとる方法を見つけるため」なんて格好いい理由でしたが、

旧鋼では「崩れていく体を妻(後述)に見せたくないから」家出し、謎のタイミングの帰省、そしてエドワードよりひと足先に異世界転生、最後はエドワードを元の世界に戻すために目の前で砕け散る…

(劇場版の、噛み砕かれるホーエンハイムの血飛沫越しに膝から崩れ落ちるエドワードかわいそうだったな…)

お前は飛び散る血液しか息子に見せてやれなかったのか??

大事な時にいない父親って割と失格ですねーー

父として、夫として、人間として原作よりかなり落ちていることで有名。
でもなんか憎めないんですよね。

後述
旧鋼のエドワードの母、トリシャはホーエンハイムの後妻で、その前に最初の妻と息子を捨てています。前妻がラスボスとして息子であるエドワードに立ちはだかり、前妻との息子の人体錬成の失敗から生まれたエンヴィーにエドワードが殺され、最後は自分がエンヴィーに自ら殺されにいく。エドワードを助けるために。
ドロドロすぎる。やっぱりこいつがぜんぶ悪い。


トリシャ・エルリック

これも、原作より酷いです。


原作では静かに微笑んでる優しいお母さんです。


でも旧鋼のトリシャは、夫が出て行ったあとエドワード達の錬金術を見て夫に重ねて見るようになり、外をぼんやり眺めることが増えたり。。

そして自分の病気に気付きながら何もせず、消極的自死のような形で病死します。




たぶん、四捨五入したらネグレクト




トリシャの姿をしたホムンクルスがスロウス(怠惰)であるのは、ネグレクト(育児放棄)からきてるという説が有力です。


ウィンリィ

ウィンリィは改悪、とは言い切れませんが原作とは少し印象が違う、気もします。


分かりやすく言うと

・原作にあったウィンリィ活躍回のカット、改変
・ウィンリィの両親はマスタングに銃殺されたという改変により、ウィンリィがマスタングに詰めよるシーン

とかのせいできつい印象になってるのかなー、、

あと、エドワードと2人きりのシーンとかも少ないし、、

エドワードとのフラグ不足か、2人は最後に生き別れになってしまうので、結局結ばれません。


まあ原作の濃度で仲良しされたあとに劇場版であのセリフを聞いたら耐えられませんね…何かの拷問でしょうか。


ロゼ


原作より肌の色が濃いです。
これはイシュバールと人種的に近いというオリジナル設定からきています。


ロゼは原作勢の批判が特に多い。。
紛争に巻き込まれて、国軍の軍人に暴力を受けたオリジナルが改悪だとかで話題になってたし。。

まあ確かに荒川先生は絶対そんな描写はしないでしょうが、こんな残酷な事件も旧鋼の雰囲気を形作っている一部だと思っています。私はすごく好きです。

そんな幸薄で社会的弱者キャラに生まれ変わったロゼですが、原作より出番が多いです♪もはや裏ヒロイン。

敵に利用され最終回まで主人公といっしょにいます。

エドワードの死に顔を知っているのもロゼくらいですしねーー


スカー

原作より若めに改変されています。
原作と違って主人公のライバル、敵として設定され主人公の年齢に少し近づけたから、らしいです。


まあ、原作より苦労人ですね。。

アルフォンスに託すという名目で、アルフォンスを勝手に賢者の石そのものに錬成し、自身もその一部となり逝きます。

かわいそうだとは思いますが、ありがた迷惑ですね


マリア・ロス

サブキャラクターですが個人的に好きなので書きます。

旧鋼ではヒューズ殺害の騒動に巻き込まれなかったのでしばらくエドワードの護衛が続きます。ビンタはちゃんとします。
賢者の石の真相を知り、ショックを受けふてくされた態度でアルフォンスにあたるエドワードに説教をします。
第五研究所で義兄のエンヴィーにボコられているエドワードの救助に向かうと、赤い水(賢者の石)に反応して暴走状態のエドワードが。力に溢れすぎてまさに溺れているような状態のエドワードにロスは1人近づいて優しく抱擁します。エドワードは「母さん…」とだけ呟き目を閉じて、そのまま気絶します。

なんなんだこれは…作画も丁寧で…この空間、すべてが優しく美しい。


旧マリア・ロスってね、母性なんですよ。
子どもが心配だから、子どものために怒る。子どもが苦しんでいたら、優しく抱きしめる。もうお母さんでいい。
前述のような実母だった旧エドワードにその母性がぴったりはまったんでしょうかねー。


エドワード・エルリック

作中のキャラクターでは1番原作との差があります。
ある意味オリジナルの被害者ですね。

オリジナルストーリーとはいっても、原作の構成、設定から少しずつ小さな部分が改変された結果の末の原作との差ですし。




原作と比べると精神的にかなり幼いです。
(身長も原作よりかなり低いですが)


旧鋼では、幼い頃からエドワードの脳が変形しそうなことばかり起きます。


大きなものを挙げると、

・壁にへばりついたニーナの死体を目の当たりにする
・正当防衛の形だが殺人を犯す
・快楽殺人鬼に拉致られて追いかけ回される
・自分のせいで紛争が起きたと自責する中、
 目の前に赤ちゃんを抱いたロゼが現れる
・母親の姿をした敵から攻撃される
・敵を殺す(少し後述)
・弟が知らない間に賢者の石にされる
・自分の義兄に殺される

あたりでしょう。

つまり、
原作にあった、主人公を成長させる経験は存在せず
原作になかった、主人公の精神を削る事件がオリジナルで追加された

といえますかね。

そうしてオリジナルによるいろんな経験の有無を精神面にマイナスな方向へダメージを受け続けていった結果、エドワードの少し不安定な精神、一部の消極的な思考、原作と別人のような性格など旧エドワードの人格が形成されていきます。

上に書いたように、原作はエドワードの心の成長を描いているのに、旧鋼はまるで逆をいっています。。勇気ありますよね。。私はそこが旧鋼のエッセンスだと思っていますが。


まあ子どもの頃からこんな経験ばかりだったら、
グロい母親の錬成失敗作をフラッシュバックして気絶したり、敵を殺して発狂してしまうのも仕方がない。仕方がないです。


すごくかわいそう。本当に。

(後述)
「敵を殺す」という行為は旧鋼の中でもかなり印象的で、エドワードに大きな影響を与えました。
原作では、ホムンクルスなど敵はだいたい自死を選んだり、他のキャラクターに殺されたりで、エドワード自身が死に至らしめたのはラスボスのお父様ぐらいです。そこが原作であり本物の鋼の錬金術師の魅力の一つですが。
あと、旧鋼のホムンクルスは命が尽きても消滅しないので、エドワードはこの殺したホムンクルスを埋葬します。この設定、この行為も旧鋼のリアルで重暗い雰囲気の一部であり、作画も相まって、もはや美しさすら感じます。




劇場版では少し雰囲気が変わります。

どう頑張っても元の世界に戻れない焦燥感、無力感に打ちひしがれて厭世的になっていて、「醒めない夢に囚われ続けるような毎日」を送っていた、らしいです。
いよいよ小説家さんのような台詞もさらりと出てきます。

熱意がなくなって、周りの人と一線を引いて、いつでも夢の中気分なエドワード・エルリック、嫌すぎる
と、原作FAファンなら思うかもしれませんねーー


最後は頑張って異世界から帰国します。一瞬だけ。
でも結局ヒロインと結ばれません。
自分の罪を償い(後述)、「兄弟愛」エンドを見せつけられます。

まあ、エドワードは最終的に罪をつぐなうためにウィンリィ達と離れて現実世界に戻ることを選んだ後、アルフォンスが自分から勝手についてきた形なので、実際はアルフォンスからの兄弟愛なわけです。

後述
一瞬帰ってきたエドワードは、現実世界(異世界)側の門を壊すために、自分の犯した罪を償うためと言ってに現実世界に戻っていくのですが、これホーエンハイムがエドワードのためにと開けた門なんですよね。これが結局ぜんぶエドワードが片付ける羽目になる旧鋼の、フィナーレです。
あと、このエドワードの錬金世界ないしはウィンリィやアルフォンスをあっさり諦める決断は、原作エドワードと比べてあまりにかけ離れた行動すぎるので、原作勢とウィンリィガチ恋勢から批判されがちです。

個人的にはアルフォンス・ハイデリヒが殺されたのすごくショック受けてそう。劇場版の最後の葬式の後しばらく寝込んでそう。偏見です。


私は旧鋼を4周はしていますが毎回泣いていますけどね。

本当になんなんだろう。

やっぱり「原作では幸せな家庭を築いてハッピーエンドした主人公が、こっちではなぜかすごく悲しそうな顔をしている…?」という事実がショックだったんでしょうか。

ロゼやウィンリィの改変が話題になりがちですが、旧鋼で一番変わってしまった、一番辛いのはエドワード・エルリックでしょうね。。



追記
本編とは本当に関係が薄い内容です。公式だけど内容もアレだし、一応線を引いておくので、読みたい人だけ読んでください。

劇場版の公開後発売された「鋼の錬金術師 PREMIUM COLLECTION」というdvdに入っている番外編ショートアニメのひとつ「子供編」について。知名度は低いけどネットで探したら見れるのでよかったらぜひ。
内容
映画公開当時である2005年の夏、東京、ちょうど100歳になるエドワードの元を訪れる3人の小さな子供、エドワードに、「お誕生日おめでとう。」と。
ここに出てくる子供、エドワード・アルフォンス・ウィンリィそっくりなんですよ。つまりエドワードとアルフォンスの孫達、たぶん現実世界にいるウィンリィのそっくりさんとの家族。
どうですか?
エドワードがウィンリィとは別人のアナザーウィンリィと結婚して家族作っている世界線。私たち視聴者がいる東京のどこかでエドワードは今でも静かに生活しているかもしれない、というシナリオを追加したんですよ、水島は。本人も二次創作のようなものと言ってるけども、正直いうと蛇足にしか感じませんねーー
良いとも悪いとも感じるのはファンそれぞれだけど、やっぱりつらいです。


〜シャンバラを征く者〜プロトタイプシナリオ

!追記!
↑鋼の錬金術師シャンバラを征く者シナリオブックの、プロトタイプ版を読んだ感想。
割とエドワードがきもちわるいのでおもしろいです。
決定稿でカットされたとかいうレベルではない。もはや別の物語です。暇だったら見てね。


まとめ

旧鋼はキャラクター、ストーリーなど特に原作勢から批判もあります。そもそも賛否両論な作品なので。

でも、ただのアニメオリジナルではないと、
アニメオリジナル作品の中でも特別な存在だと思います。



漫画はもちろん、アニメ作品としてどちらも本当に質が高いものだと思います。

旧鋼はやっぱり気疲れします。泣いちゃうし。(見応えがあると言える)

アニメ64話のFAより、アニメ52話+劇場版の旧鋼の方が「濃く」て精神的に削られてくので、比較しながら見るのもおもしろいけど

とりあえず気楽に見たい人ならFAですねーー


最後に

個人的には旧鋼が好きです。2003年の作品なので古さも感じるけど、それが良い。作画も音楽も構成もストーリーも声もぜんぶすき。作画が丁寧だし。正直にいうと、FAのovaも旧鋼の作画で作り直して欲しい。

5000字書いてしまった。オタクの熱量はすごいね♪
ぜんぜんまだ書きたいことはあるけど10000字超えてしまいそうなのでここまで。
鋼の錬金術師はアニメの中でも一番好きな作品なので、思うところまでまとめられてとりあえず満足です。

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