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自己愛性パーソナル障害と気付いた今日

今日、妻と喧嘩しました。


毎日ぼくの事を喜ばせようとして作ってくれた料理を
「料理を作ってもらわなくても良い」と心無い言葉を投げてしまった。

自分では気付かなかったが、義理のお父さんに言われて気付いた。
言葉のDVであると。

そして医者に行くことを勧められた。
妻が許してくれる・くれないで全て物事を運んでいたのではないか?
妻にしていた尽くしも結局は「その人が幸せになる為」ではなくて
「その人を幸せにしてあげられる自分」に酔いしれていたのではないか?

これではいけない。
沢山の事をしてくれた。

  • 就職に悩んでいた時も背中を押してくれたこと。

  • 初めての同棲で慣れない中お弁当を作ってくれたこと。

  • 僕の朝帰りが原因でストレスが半端なかった時に結婚式の段取りや不動産の手配もしてくれたこと。

  • これまで人を好きになった事が無かった妻が僕を信用してくれて傍に居続けてくれたこと。

  • 僕の度重なるミスを積み重ねていたのにも関わらず我慢してくれたこと。

ぼくも沢山尽くしてきたつもりではあるが、それは「客観的に誰かに話して心が満たされる内容」だったり「自己満足のため」ではなかっただろうか?

「ぼくはぼくのままで良い。」
自尊心の低い自分を認めたくて必死でこの言葉を言い聞かせた。
でも、これは果たして本当にその言葉の持つ意味の通り動けているだろうか?

本来であれば「妻が大好きだと言ってくれる自分」を努力しなければならないのではないか。


「自分が出来る事より、出来ない事の方が多い」


今日学んだこと。それを念頭に置いて、普段の関わり方を考えていきたい。

  • 妻が職場の愚痴についても話をただ聞くことをしないで、解決策やアドバイスを提示してしまう。

  • 家事をやった際に「やっておいたよ」とついつい言ってしまう。

  • 喧嘩の際に感情的になって、何かを指摘されると素直に認める事が出来ず言葉に言葉を重ねてしまい論破しようとしてしまう。

  • 毎日何かにストイックにやってる自分に対して押しつけがましい自分

  • 自分主体で考えてしまい、相手の感情を確認しない

  • 自分のやりたい事に相手の感情を進めてしまい、また論破しようとする。。

明日は精神科に行く。
今日話を聞いてくれた義理のお父さんに感謝しつつ、これでも猶予をくれている(ないかもしれないが)妻に対してもひとつずつ罪滅ぼしをしていきたい。


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