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デジタルを使いこなしたいと思った背景

自分とデジタル

始めまして。40代の会社員の男性です。アナログの時代に生まれたので、デジタルの進化とともに成長してきたように感じています。

そして、デジタルの進化のスピードに並走して自分もデジタルを生活の中に取り込んでいっている実感がありました。

例えば、仕事でワード、エクセル、パワーポイントを使い、Dropboxにファイルを保存し、Evernoteに記録しています。ショートカットを含め、PCをある程度使いこなせていますし、ネットからの情報収集も普通にできる。アマゾンを始め、様々なWebサービスも日常的に使っている。これで十分だよね、と正直思っていました。だからCANVAなどのデザインツールは縁遠い世界の話と思っていましたし、その他のデジタルツールを使うこともほとんどありません。また、情報がどんどん入ってくることに圧迫感を感じていたためです。SNSは煩わしいのでやりません。こんな感じですが、十分だと感じていました。

しかし、最近デジタルの進化のスピードに並走できなくなっているのではないかと感じます。だんだん置いてきぼりをくらっているような感覚です。

その感覚は最近ますます強くなり、今は危機感を持っています。そしてデジタルツール自分の中にもっと取り込んでいかないと時代に取り残され、仕事を失ってしまうのではないかと思うようになってきました。

そう思うようになったきっかけについてお伝えしたいと思います。

デジタルの波に飲み込まれる危機感

自覚したきっかけは生成AIの誕生

きっかけは生成AIの誕生でした。ChatGPTは自分たちの仕事を一変する可能性がある。でも、自分はそれをどう活用してよいか分からない。そもそもAIとどう向き合い、活用していけばよいのか分からない。そんな感覚を持ちました。

自分が乗り遅れていると痛感・自覚

デジタルの進化に並走できていると思っていましたが、どんどんついていけなくなっているのではないか、と思い始めました。

そう思い始めると、実はついて行ってたのではなく、ついていけていないところを見ないようにしていただけではないか、という自分の本当の姿に気が付きました。

例えば、以下のようなものです。

Webページを自分で作れないままで良いのか?
Webページ
は、デジタルの世界で自分(や自分のビジネス)を表現するための手段です。しかし、そのためのデザインをしたり、ライティングをしたりすることも自分はできません。(文章はもちろん書きますが、webライティングについての知識がない)

動画撮影は自己流、動画編集はできないままで良いのか?
動画制作もデジタルの世界では重要な表現手段ですが、動画は作るものではなく見るものと正直思っていましたし、自分とは関係ないと思っていました。そのため、どう人を惹きつけるためにどう撮影し、いかに編集するかもわかりません。

デジタル上でのデザインもできないままで良いのか?
デジタル
の世界では、直感的に理解できるビジュアルデザインでコンテンツが表現されることが多いと感じています。読み手(消費する側)なら必要ないですが、作り手(創造する側)になるのであれば、文章を書くだけでなく、ビジュアルイメージを製作したり、動画で表現できることが絶対的に必要なのではないか、と考え始めました。

プログラミングができないままで良いのか?
仕事でプログラミングを使うことがないので、プログラミングはいつか必要になるかもと思いつつ、何もしないままここまで来てしまいました。デジタルの世界で社会活動をするために、プログラミングをいい加減できるようにならないといけないのではないか、と考え始めました。

こうやって考えると、今の自分はデジタルの世界で自分を表現できない、ということに気づいたのです。このままじゃいけないですよね。デジタルの世界では今のままではとても不自由だ、と実感しました。

デジタルの世界で自分を表現・発信できるようになりたい、と強く思うようになりました。

こういった経験を経て、今私はデジタルの世界でも自分を表現できるようになるための基礎的なスキルを使いこなせるようになろうと思っています。

#デジタルファーストキャンプ #D1C #デジタルな振る舞い #リスキリング

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