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【小説感想&紹介】冬虫夏草

ご存知の方も多いと思うが、冬虫夏草とうちゅうかそうは虫に寄生した菌糸が、子実体を伸ばしてキノコとして地上に出る、というちょっとグロテスクな代物。

これを機に調べてみたら蜘蛛やとんぼ、蜂やキノコにも寄生するみたい。
わりとなんでもあり!
漢方として名前を聞くけれど、寄生する生き物次第で効力も変わりそうに思えるが…そこらはよく分からない。
(作中には、漢方で使う本物は支那の奥地に棲みついているコウモリガの幼虫が変化したもの…とある)



さて本題。 
(ストーリーの内容を含みますのでご注意ください)
文筆家の主人公綿貫が、学生時代の友人高堂の実家の家守を始め、不思議な体験を重ねた前作・家守綺譚いえもりきたん(著者:梨木香歩)の続きとなるお話。


サルスベリや小鬼、河童、狸にイワナ、カワウソ…それから神様。もちろん人間も。
それらが日常に溶け込んで同じ線上に存在している世界。
昔話に出てきそうな不思議だけど何故か少し懐かしいような。
今回も個性的なものたちが続々と登場する。

各章は前作同様、植物の名前となっているのだが、冬虫夏草の別名サナギタケの章もある。

綿貫の飼い犬ゴローは、高堂(学生の頃に亡くなっているが時々綿貫の前に姿を現す)に言わせれば、『この辺では有名な仲裁犬』とのこと。
綿貫も気後れするほど、方々からの信頼を集めている徳の高い犬である。
前作では鈴鹿の山の主(大きな鳶)の背に乗って帰宅したくらいだから神様界隈の信頼まで得ているようだ。
凄いぞゴロー。
迷い犬としてやってきて、高堂の勧めるまま飼い犬となったゴローだが、実のところちゃんと道理があって綿貫の前に現れたとしか思えない。

そんなゴローは隣のおかみさん(犬好き)にも大変気に入られている。

綿貫は、ゴロー見たさに訪ねてくる隣のおかみさんからよくお裾分けをもらっている。
今回も柿の葉ずし(鯖寿司を柿の葉で巻いたもの。私も大好き)を頂くのだが、わざわざゴロー用にと炊いた鯖の頭にも柿の葉を敷いてあるという愛されぶり。
(こういう優しさ、ゆとりって尊い)
鯖を食べ終わっても名残惜しそうに柿の葉をなめる姿は犬らしくかわいい。  

葉っぱで包まれた食べ物ってなんであんなにワクワクするんだろう。
昔話の竹の葉で包んだおむすびや、絵本にでてきた木のみを包んだ葉っぱのお土産のせいだろうか。

わたしは桜餅(道明寺粉の方)が大好物だけど、今住んでいる地域ではガメ葉餅といって柏とは別の葉っぱで餅を包む。
ガメとは、サルトリイバラのこと。
ちょうど節句のころに新葉がとれる。山を歩けばわりとすぐみつかるけど、その名の通り棘には要注意。
団子だと他には笹団子とか…茗荷の葉で包むところもあるみたい。
他の国の料理でも、葡萄の葉やバナナの葉…防腐作用や抗菌効果なんか昔の人は色々考え、身近な葉っぱでいろいろ包んできたのだなぁ。

ああ、また脱線してしまった…
もとい、柿の葉ずしの話のくだりに『龍田姫たつたひめ日枝ひえにおいでになったまま、なかなか動かれない』というのがある。
家守綺譚で毎年琵琶湖(綿貫の住むあたり)を治める浅井姫のもとを訪れるとあった龍田姫。
秋の女神とも言われる龍田姫の故郷は吉野(奈良県)なのだが、そこへは戻らず、日枝の景色の美しさを気に入ってそこに留まってしまっているという。

龍田姫が動かないと日枝の秋が終らないということで、何か姫の里心を誘うものを献上しろと高堂。
綿貫は、明日が食べごろと言われて取っておいた柿の葉ずしを渋々半分差し出すこととなる。
(おかみさんの夫が姫と同じ吉野の出なので里の秋の名物、柿の葉ずしを作っていた!グッジョブ)
それもあって無事姫は吉野へ渡ることとなる。

現実の季節の移り変わりもこんなふうだったらと想像したらなんと楽しいことだろう。
この頃あちこち伐採ブームだから姫もつまらないと素通りしてしまう地域もありそうだけど。
こんな世界なら無粋な大量伐採計画なんて起こらないのだろうな。

それにしても食べ物にまんまと釣られてしまう女神なんて、人間臭くて面白い。
古事記でも、神様は病気になったり、煩悩があったりする。
完璧に見える人だって、不完全さがあって当たり前ということか。
神様だってこうなんだからと思えば心の慰めにもなる。

そんなある日、ゴローが行方不明となる。
仲裁犬らしく、方々に呼ばれて留守は元から多いようだが、二ヶ月をすぎても帰って来ず、綿貫も嫌な予感を覚える。
なにか大きな揉め事に巻き込まれているのでは…。
一匹の小さな背中にどんな重荷が、ともうここで泣きそう。(動物ネタはだめだぁ…)

編集者であり、後輩でもある山内の話から鈴鹿山にあたりをつけた綿貫は、丁度自身の研究のために山へ行くという友人の南川を連れ立ってゴローを探しに鈴鹿の山へ分け行っていく。  

南川とは途中別れたりしつつ、山を歩き続ける綿貫。
蒟蒻屋のお話、それからもうひとり、お菊さんのお話は胸がギュッとなるところ。
時代の女性の苦しみが、悲しみが…。
(今の日本においても十分言えることだ)
お話には救いどころはあるとはいえ、本当に胸が詰まる思い。
そしてここでも土耳古トルコに渡った友人、村田の名前がチラリと出てくる。(別タイトル:村田エフェンディ滞土録)

他にもイワナの夫婦や河童の少年、天狗など様々なものと出会い、不思議な体験を重ねていく綿貫。
そのひとつひとつの出来事に彼なりに向き合い、心を砕きつつも、ゴローと再会し、家に帰るという思いはブレずに進み続ける。
みんながゴローを頼って、ゴローはそれに応えているのだろうが、そんなこと綿貫には関係ないのだ。
長虫屋を共に追い払い、ごはんを分け合ってきた綿貫とゴローとの絆。

前作のラスト、彼岸と此岸ですら曖昧なこの世界で、綿貫は自分の感覚を決して手放さなかった。

目の前にある楽しそうなことを、楽そうな方を選ぶのは必ずしも悪ではないけど、そこに小さな違和感を感じたとして、そういうものを無視しないというのは案外難しい。

見逃さず向き合った綿貫は、だからこそ自分の居場所に帰ってくることができたのだと思ったし、対局に描かれていたのが高堂かなと感じた。
でも。高堂自身は別の世界のものとなってはしまったが、彼は彼で渡った先の世界でゴローのような役割を担っているのだなと感じられ、それはなんだか救いでもあった。

高堂は高堂で、自分の選んだ世界と向き合ってたんだ。
綿貫は高堂に『お前も大変だな』と言っていたが、いや、綿貫さん、貴方だって結構…とは思うけど。


そうして各地でゴローの痕跡を辿り辿り、唐突にその時はやってくる。


来い、ゴロー。手に負えぬ煩いは放っておけ。


涙なくして最後は読めない。

前作【家守奇譚】感想はこちら
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