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猫が私にくれたもの。

ずっと猫について書きたいと思っていた。
気分が向いたので書いてみようと思う。

猫の話をする前に、私が3歳頃、母の実家で飼っていた秋田犬の話からしたいと思う。

すごく白くて大きな犬で、名前はロン。
3歳の時の記憶は断片的だけど、大好きだったことは覚えている。保育園から帰宅した私を待って、ロンは天国にいった。未だにロンのことを思い出すと涙が出る。大好きな存在との別れはとてつもなく悲しいという記憶が残った。書きながら涙がでてきているので、これは間違いない。

ロンとお別れした後、数年が経った頃、私は実家のそばのホームセンターに子犬を見つけた。今おもうと、譲渡会だったのかもしれない。
そこで雑種のわんぱくな子犬と出会った。
父にどうしても飼いたいとお願いしたが、最初父は渋っていた。しかし、私が絶対この子はうちにくるんだと譲らず、根負けしたのか飼っていいことになった。名前は、大好きなさくらももこさんの名前からとって、ももにした。

ももは、面白い犬でよく死んだフリをして、焦った私に襲いかかる遊びをよくしていた。アホみたいな顔で小学校の校庭を走り回る犬がいたとおもったら、脱走したももだったこともある。

ある雨上がりに脱走した際は、雨でできた泥沼から光る目がこっちをみており、父と懐中電灯を照らしたら、泥だらけのももだったこともあった。ももは年齢とともに段々と目が悪くなり、大きな病気もせず命を全うして亡くなった。

その後、私が大学生の頃から実家では猫を飼うようになった。6匹ほどの猫と生活し、今は1匹だけが残った。

思い出深いぴーちゃんという黒猫、アメショの雑種のグッキ、シャムの雑種のホニの3匹の話をしようと思う。
当時、母が韓流ドラマにまはり、好きなドラマからグッキとホニの名前がついた。ぴーちゃんは、鼻がぴーぴー鳴るから、ぴーちゃんにしたらしい。
ネーミングセンスがアレだけど、話を進める。

ぴーちゃんは、黒猫だけど小さなライオンのような見た目をしていた。女の子だったが、カギしっぽであまりいない長毛だったためか、近所の猫にいじめられていた。夕方になると、ふと現れて私をジーッと見てくる。叩いたりしないから、こっちにおいでと声をかけると、そばまで来て逃げていった。いつのまにか、飼うことになった。

グッキ、ホニも気づいたら、家で飼うことになったため、経緯を私は知らない。夏休みに実家に帰ると、ぴーちゃんが私にすり寄ってくる。優しい女の子だった。グッキは、たまにしか帰宅しない私を警戒していたけど昼寝してるときだけ腕枕で寝てくれた。ホニは、今では私の人生最愛の猫と呼べる。

ホニも子猫時代から、よく死ぬフリをしたり、寝ていると鼻の穴に肉球を当てて私の酸素を奪ったりして遊んでいた。私が苛立ったり、泣いていると機嫌が直るまで、体の周りをグルグルと走り回った。私によく気がつく。一時期、匍匐前進をしながらワンと鳴く遊びが彼の中で流行っていたのだけど、最近はやらないから飽きたのだと思う。

自分に正直になれずに苦しかった時、彼の気ままさや素直さに、自分以外にならなくていいし、もう選びたいものを掴んでいこうと思った。弱くていいし、狡さや欠落した部分があってもいい。誰かの価値観や正しさに私はハマることができない。それでもいいし、それでも愛されると教えてもらった。
彼が私は大好きで、唯一無二の愛情表現を愛しく思っている。

以前、彼以外の猫を撫でて帰宅すると、非常に機嫌が悪く、畳んだタオルとタオルの間に顔を突っ込んだまま、しばらく鳴いていたことがあった。そして、数時間わたしの呼びかけを無視したりして、人間みたいで不思議で大切な存在だと思う。

なるべくほおっておかれたいけど、たまには構われたい私と彼は、心地よい距離感でそばにいられていると思う。

私はあるがままで生きていく。それが、私の選択。自分を好きでいるための。

🌖

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