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シャアが幸せに生きる道を考える2



前回
〈https://note.com/pero2daimyojin/n/n661c92c81210〉
の続き。


シャアは本当に不幸な男だったのか。

決め付けて走り出してしまった手前今更否定は出来ないが、今一度考えてみたいと思う。

シャアは自らが手こずった木馬の活躍もありザビ家抹殺に成功する。
ここまでは良い。
しかし同時に拠り所にしていたララァを失う。

費やしてきた時間を成就させ、新たな目標に向かおうとした時にまた独りになる。

かなり極端な意見になるがシャアは死にたかったんじゃないかと感じる。

以後の主張である「人類の革新(と地球環境の保護)」が成される世界にシャアは存在しない。

ずっと自分(達)が死んだ、先の話をしているのがクアトロであり総帥である。

自分が生きていたい、生きなきゃならない世界だと考えていればあんな長期的なスパンで捉えることは出来ないんじゃないか。

生きたいと思えずに生き延びて宇宙世紀を彷徨うシャアのことは幸せとは言えそうにもない。


『Z』と『逆シャア』をシャアにフィーチャーして評するとしたら、人類の先導に失敗したのが『Z』でその失敗を全部背負って落ちるのが『逆シャア』だと思う。

しかしこれは宇宙世紀0080〜を生きる人として見た場合の評価だ。

シャアの視点から見ると人類の革新という主張が『Z』でその具体的な解決策が『逆シャア』になる。

前回、シャア(2期)を闇落ちと評価してしまったが、それは誤りだった。
シャアの主義主張はクアトロと何も変わっていない。
甘かった評価を改めた、メジャーを1世紀単位から10世紀単位にしたというのが正しい気がする。


シャアは人類全体をNTにするためにアクシズ落としを決行する。
今生きている人の為では無く、2世代、3世代、それ以降の世代に託す形で。

一方でアムロとの決着も試みる。

(ナナイはアクシズ落とし自体がアムロを誘き寄せるための餌みたいな言い方をするけど女みてえな意見だな、と思う。)

アムロ(連邦)がやってくるのは分かっている。アデナウアー曰く「当たり前」らしい。

シャアの心境はどんなものだっただろうか。
サイコフレームを渡したのは何故か。

一番大きなところは「情け無いMSと戦って何になるのか」で間違いないだろう。
アムロと本気でやり合いたい。シャア最後の我だ。

シャアは死ぬとしたらここしか無いと考えていたのではないか。
人類の業を背負って、宿敵アムロに倒され、文字通り父の元へ召される。
人類の行く末を白鳥になってアムロの周りで見ていれば良い。
完璧な終わり方じゃないか。
ケチを付けるところが何も無い。

一方で全く逆の事も考えていたはずだ。
アムロを断ち切って先に進む。
憎くて仕方がないアムロを真っ向から捩じ伏せて次のステップへ。

この2つの結果を霞ませるくらいにやっぱりアムロに没頭していたいたとも思う。

ララァが居なくなりカミーユも消え、結局シャアと対等に話せる人間はアムロしかいない。

考えれば考える程アムロに腹が立つ。
マジでこいつなんやねん。
クソが。

個人として生きる目的を失ったシャアは人類全体という人間の最大単位で物を考える。
ダイクンの長男として賢明な心臓の使い方だと思う。
立派だよシャアは。

何だよアムロって。何なんこいつ。マジで。
MS好きにいじって乗り回して。
16歳の時と何も変わってないじゃないか。
そのくせベルトーチカだチェーンだ、好きに女たぶらかして。
夢にララァ、苦し〜。
ふざけんなよ。ぶっ飛ばすぞクソが。

アムロという男に大義というものは全く無い。
シリーズ通して一切そんなシーンは無い。
明確に断言出来る。

そんなアムロをシャアは見捨て切れない。
NTとして、パイロットとしてアムロを認めてしまっている。

だからこそ、その才能を無駄に消費しているだけのアムロに腑煮え繰り返って仕方がない。

アムロは所詮設計者でパイロット。
そうは分かっていても言わずにはいられない。
自分がこんなになってしまったのだから。
アムロだって同じじゃないか。
何で自分だけ。

大義が無いアムロを、のうのうと生きているアムロを、ただ心臓が動いているだけのアムロを許せる訳がない。


アムロはアムロでシャアを真っ向から否定する。
情けない男だよアムロレイは。

「急ぎ過ぎもしなければ人類に絶望もしちゃいない」
だろうよ。そうだろうよ。
1秒でも人類のことを考えた事があったのかよ。
違うからそんな事が言えるんだ。

「お前は人の事を見下すしかしないんだ」
そりゃお互い様だよ。お前だってそうじゃないか。
お前にシャアのことを否定する権利がどこにある。
頭ごなしにシャアの事を否定するのと見下すこと、何が違うのか言ってみろよ。

アムロという男に大義は無い。
にも関わらずアムロはシャアの事を完璧に理解している。
だからそこアムロのシャアに対する評価は全く持って正しいし信用出来る。
しかしその言葉は全部アムロに跳ね返ってくる。

アムロが人を見てこなかった、MSという乗り物に甘んじた結果がこれだ。

そんな男に執着するしか無い、命を託す事になったシャアを幸せとは呼べない。

だけどずっと孤独だったシャアに(敵対する形だったとはいえ)寄り添ってくれたのもアムロという見方は無視出来ない。

『逆シャア』での対話は正常な大人二人によるそれではない。
むしろ子供の取っ組み合いに近い。
実際取っ組み合ってるし。

どっちも正しいしどっちも間違ってる。
相手を刺すのと一緒に自分も刺している。


シャアがサイコフレームを渡して叶えたかったものはこれなんじゃないか。

シャアの要求にちゃんと応えてくれたアムロにはありがとうと言いたい。


あれでアクシズが落ちていたら文句は無かった。
だけど止めてしまった。
アムロを道連れにしてシャアは死ぬ。

アムロと自分、どっちも死ぬなんて考えていなかったのではないか。
しかも地球に巣食う為政者を残して。

シャア個人としてみればまずまずな死に方かもしれない。
しかし人類の革新を貫いた者としては悲惨な死に方だったと思う。
報われない。
これを不幸と言わずに何と言う。


ちなみに『逆シャア』を無理心中と例える意見がある。
時代背景やリアルタイムで見たメタ的な意見は知らない。
しかし、物語に限っていえばそれは結果だけを見た上辺の意見だと思う。

シャアはアムロと一緒に死のうなんて思っていないはずだ。

道連れにするとしてもそれは為政者であって、そこには心中の要素は無い。


まだここまで。
次こそ先に進む。


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