ピーナッツくんに見るHIPHOP的文脈 「HIPHOPってのは内から殺しにやってくるぞ」
親方の親方です
何やこの物騒なタイトル!、と思ったかもしれませんが、これはフリースタイルダンジョンのじょう対呂布カルマ戦で、呂布カルマの地元の先輩TOKONA-Xを引き合いに出したじょうに対して、
「ええなぁ、大阪の先輩優しいから。俺の名古屋の怖い先輩、名前なんか出せない。お前は怖さが分かってない、HIPHOPってのは内から殺しにやってくるぞ」
と返した部分からの引用です。
これはHIPHOPに対する「リスペクト」、もっと言えば「畏怖」を表したバースです。
その辺については詳しい解説をした動画があるので気になった方はそちらを見てください。
笑けずり出てたダイキリは今こうなってんのね。解説してる人の元相方は今やひょっこりはんです。
名古屋のHIPHOPシーンの怖さを知っている呂布カルマは、安易に名古屋のレジェンドTOKONA-Xを引き合いに出して上辺だけなぞるじょうの言葉を、様々な文脈を含むHIPHOPそのものの軽視に繋がる事であると指摘しました。
HIPHOPは音楽的な特徴と同じくらいその裏にある様々な文脈を汲み取りぶつけるものです。
逆に言えば上辺だけなぞったものは軽さを指摘されます。
よく言われる「HIPHOPを感じない」というのは、こうした文脈や自身の芯の部分が見えない、上辺しか見ていない事を意味していると思います。
というかさっきからHIPHOP、HIPHOP言ってるけどそもそもHIPHOPっ何?と思う方もいると思いますが、それを説明しだすと卒論くらい長くなるので、こちらを見て下さい。
これを見れば分かると思いますがHIPHOP=ラップではありません。
ラップはHIPHOPを表現する要素の1つであって、それだけではHIPHOPを語れません。
しかし、フリースタイルダンジョンを発端とした所謂「ラップ流行り」によって、「ラップ」の部分が強くフューチャーされる事になりました。
芸能人からCM、そしてvtuberにもそのブームの波が来ています。
1.vtuberとHIPHOP
ようやくvtuberが出てきました。
いつピーナッツくん出てくんねん!と思っている過激派お友ナッツの皆んな、もうちょい待ってください。
「ラップ流行り」によってvtuber界でもいくつかラップをモチーフにした動画が投稿される様になり、普段ラップやHIPHOPを聴かない層がそれらに触れる事になりました。
ただ、自分はvtuberとHIPHOPはとても食い合わせが悪いと思っています。
現在のvtuberはキズナアイの様なある程度バーチャルの持つ「無機質さ」と向き合っている、つまりメタ的な部分を排除した形を維持している存在がいる一方で、(キズナアイ分裂問題はまた別次元の話なので省きます)にじさんじを筆頭として「魂」の部分にある程度の自由を与えた上で、それらの関係性を楽しむvtuberもその勢力を広げています。
この自由というメタ的な部分は例えば、
「事務所に打ち合わせに行った」とか「オーディションで体を手に入れた」とか、SNS等に写真や動画でリアルをリンクさせる事を指します。
またsnsやyoutube上でのvtuberとファンとのコミュニケーションによって「人格」がより強調され、「意思」を持った存在であると我々に認識させました。
このメタ的な自由は「人間性」の部分にフォーカスを当てる事となり、人格とバーチャルが密接にリンクする事となりました。
これによりバーチャルと人格の同一視がより強くなった事で、声優をアイドル視する感覚と2次元のキャラクターを推すという感覚が一致するという、今までにあまり無かった概念が発生しました。
(この感覚に1番近いのが「アイドルマスター」だと思いますが、声優の人格がキャラクターに影響するのは僅かで、逆に独立した声優とキャラクターの一致する部分をファンが見出す、という方が正しいかなと思います)
例えば声優に何かスキャンダルがあった場合、声優が非難を浴びても演じているキャラクターが非難を浴びる事は少ないですが、vtuberの場合キャラクターと人格がマッチした上でそれが独立している為、人格への攻撃はそのままキャラクターへの攻撃となり、キャラクターへの攻撃は人格への攻撃になります。
なのでvtuberと関わる場合、そのキャラクターの奥にある人格とその人格を推しているファンを考慮する必要があります。
HIPHOPについての話に戻りますが、今流行っている「フリースタイルラップ」「ラップバトル」は「dis」を基本としています。
相手をディスる場合、例えば
「自らの持つHIPHOPの定義と異なる」
「やっている音楽がダサい」
「そもそもラップが下手」
といった自らのHIPHOPの文脈を基準として相手の芯の部分、相手が図星に思う部分を揺さぶります。
この相手の芯の部分を攻撃する場合、vtuberはキャラクターと人格がリンクしている為、キャラクターへのdisが結果的に人格へのdisになってしまいます。
なので、アイドル視されやすいvtuberをディスる際その奥のファンを考慮する必要が出てきます。
また単純にdisという強い感情の発露自体が推しをアイドル視するvtuberファンから忌諱される傾向にある為、かなり表層的で浅いものにせざるを得ません。
さらに、vtuber自体の定義が定まっていない為、どこまでメタな部分に突っ込んで良いかは基準がバラけていて、芯の部分を攻撃し辛い側面もあります。
様々な文脈を汲み取り、自らの美学を持って相手をディスるラップバトルは、元々のキャラクターと魂の人格が複雑に混ざり合ったvtuberをすくい取れない、逆に言えばそれだけvtuberは矛盾を抱えているという事です。
なのでvtuberが行うラップバトルにはHIPHOPの文脈を付与出来ないし、するメリットがないのでとても表層的で皆が共通で持っているイメージをただなぞるだけになってしまいます。
記事の頭で出てきた「HIPHOPってのは内から殺しにやってくるぞ」というのは、HIPHOP的な文脈を蔑ろにして上辺だけを見ていると、HIPHOPの深淵に触れられずにとても空虚で軽いものになる、という解釈を自分はしていますが、vtuberのHIPHOPはこれと同様の形になってしまっているのではと思います。
vtuberが例えばHIPHOPの音楽を作った場合も、信念や思想、生い立ちといったものを付与するにも、キャラクターと人格が強くリンクしているが故に、その定義を明確にする事は所謂「顔バレ」に近い状態になる為、深みを持たせる事は難しくなります。
この辺りがvtuberとHIPHOPに食い合わせの悪さを感じる理由です。
2.ピーナッツくんに見るHIPHOP的文脈
やっとピーナッツくんが出てきました。
ここまでvtuberとHIPHOPの食い合わせの悪さについて書きましたが、そんな中でも
「オシャレになりたい!ピーナッツくん」
はvtuberの中でもHIPHOPに真剣に向き合っている存在だと思います。
自分はHIPHOPとは「美学」だと思っています。
決して譲れないぜこの美学、です。
自らの生い立ちや思想によって築かれてきた自己を表現する、自らの美学をぶつける事がHIPHOPだと思っています。
ピーナッツくんの普段の活動の中ではそういった思想の部分が垣間見える瞬間がいくつかあります。
これはピーナッツくんに対する考察の面もあるので、推測に近い部分がありますが、推しに対する愛だと思って許してください。
①vtuber「シーン」に対する抵抗
ピーナッツくん及び兄ぽこは度々vtuber界に対して割と攻撃的な発言をします。
1年前に生放送で行った「ピーナッツ講座 〜バーチャルYoutuber 中級〜」の中で17:44辺りからにじさんじを紹介する際、
「箱推しという文化が横行してきました。」「ユニットで売り出してお金を儲ける、そういった手口。」
と発言しています。
この頃はにじさんじを筆頭とした「箱推し」「関係性」の文化が一気に勢力図を広げていた時期でした。
これをリアルタイムで見ていた時はピーナッツくん攻めるなぁと思っていました。
また、ピーナッツくんが「剣持刀也のSharpness radio 第4回」に出演した際に行われた「バーチャルラップバトル」の中で、とても印象に残るバースを蹴った場面がありました。
剣持刀也が
「にじさんじの配信 まるで千本ノックさ 勢いだってハンパねぇ さながらジェットコースター
一人一人がモンスター その中でも目立ったジョーカー 百獣の王者 虚空のオーラ 俺こそMC 剣持刀也」
とvtuber界におけるにじさんじの勢いと組織の大きさ、そしてそこで輝く男性vtuberとしての矜持でピーナッツくんを攻撃しました。
これに対してピーナッツくんが
「君のバックには岩永、田角 でも僕の背後に誰もいない 羨ましいけどなんかちょっと違うから 続く僕は僕の地道な歩み」
と企業勢と個人勢の違いと自らの立場、信念をぶつけます。
続けて、
「巷じゃ僕はピーナッツだ イかれたやつさ ほらほらどけ 敷かれたレールなんか放り出す 招かれた 今日の相手 お前にじさんじじゃねぇか!!」
と返します。
この「敷かれたレール」は剣持刀也の「さながらジェットコースター」に対するアンサーだと思います。
ジェットコースターの様に勢いがあると思っていても、それは企業という組織によって敷かれたレールの上であって、そんなに自信満々に言う事なのか?自分は個人としてそんなレール放り出してやってる、という結構キツいdisだと自分は解釈しています。
こう言った部分にピーナッツくん、ひいては兄ぽこの個人勢、そしてクリエイターとしての矜持、企業が席巻するvtuber界に対する疑問と抵抗を感じます。
②レオタードブタという人格
そして兄ポコのvtuberシーンに対する抵抗や疑問を色濃く表していると思うのが
「レオタードブタ」という存在です。
元々ピーナッツくんのアニメのキャラクターとして登場したレオブタは、アニメの中ではHIPHOPアーティストでありピーナッツくんの友達です。
このレオタードブタから派生して「レオタードブタとヤギ・ハイレグ」というvtuberユニットを結成し、「粗密-somitsu-」というHIPHOPのEPを出しています。
このEPの中の一曲「Ctrl,Alt,Del」で
「誰も学ぶつもりないよ
Historyたち落ちた最後
絡まる足で
飛べるわけがねぇ
(Fxxk it)
誰と誰のクソな話いずれ外に出る
(Fxxk it)
お前が該当者
Kid’s流行りで建てちゃった株式会社
数字ばっか見て
みな振り回されほんとバッカみてぇ」
というリリックが出てきます。
vtuberというブームに乗っかってきた企業が様々な問題を噴出させ、企業主導の利益追求で生まれる弊害をdisした攻めたリリックじゃないかなと解釈しています。
ニコニコ動画辺りでも昔ボカロや歌い手といったブームが起きた時、企業がそこに入ってきて「消費」という流れに一気に向かった事がありました。歴史は繰り返され、クリエイティブが蔑ろにされていないか?という疑問をこのリリックから感じます。
また、前述したHIPHOPとvtuber食い合わせの悪さについて言うと、レオブタというピーナッツくんとは異なるキャラクターを使い分ける事で、人格は殆ど同じながら別のものとして認識させ、兄ぽこの考えを主張するという上手い形をとっています。
良く目を凝らしてみると、ピーナッツくんや兄ぽこから「美学」持って主張するHIPHOP的文脈が見えてきます。
他にもピーナッツくん、兄ぽこの持つレジスタンス精神の部分が垣間見える部分がありますが、余りに文章が長くなるのでまた別で書きたいと思います。
「ファイトクラブ」とか「壁と卵」「アニメ本編」「vtuber有識者会議」辺りですね。
3.さいごに
ここまで結局推しに対する愛を語る激長文章になってしまいましたが、それだけピーナッツくんは「深い」存在なのです。
個人としてクリエイターとして、vtuberとは何か、vtuberとはどう或るべきか、様々な活動から我々の「芯」の部分を揺さぶってきます。
HIPHOPが危惧する事と同様にvtuberがvtuber自身に内から殺されない様に、様々な角度からvtuberを見て、「ブーム」で終わらせない為のvtuberシーンを作っていくのは見ている側の我々ヘッズの責任でもあります。
MASS VS COREではなくシーン全体を盛り上げていくクリエイティブな才能を見つける「目」を我々は求められています。
世界は思ってるよりもっと広いのです。