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スポーツがくれたもの

「スポーツがくれたもの」シンプルで、絶妙なこのお題。
このお題を考える機会こそが、スポーツがくれたものなのではと思わせるくらい、私にとっては最高のタイミングでこのお題に出会うことになりました。

幼少の頃からスポーツが好きで、気づけばスポーツに関わる仕事をし、心のどこかで憧れていたオリンピックに関わる経験もできました。
今までの日々を振り返り、そしてこれからの過ごし方、自分ができること・やりたいことなどを整理する日々の中で出会った「スポーツがくれたもの」というテーマ。
今まで自分のすぐそばにありすぎて当たり前だったものを改めて俯瞰し、それを文字で表現する。
そんな面白いことがあるでしょうか?!
私にとってはどんなお題よりも難しいかもしれない。難しいけれど、やってみたら意外な答えを見つけられたり、文字を書く中で気づくことがあったり。
これはやってみたい、やってみよう。
人生折り返し地点40歳になる私の人生の通過記録として書いてみようと思います。


1、 パフォーマンスビルダーという名前

私は、社会人になるタイミングで「トレーナー」という職業を選択しました。
主にトレーニングの仕方を教えていたのですが、ただ、トレーニングを教える・体をつくるのではなく、選手やクライアントのパフォーマンスを構築するのが私の仕事かなと考えるようになり、自分で自分の肩書を作ることになりました。アスリートをはじめとするクライアントのパフォーマンスを構築する。それがパフォーマンスビルダーです。
自分のやりたいことやできることを整理して、それを的確に表現してくれるワードを探す。
パートナーや周りの仲間たちと話をしながら、このパフォーマンスビルダーという名前を見つけられた時の嬉しさ、初々しさ、気恥ずかしさ、と同時に何だか凛としたような気持ち。
ちょっとした甘酸っぱさもあり。私が好きなスポーツという分野をきっかけに、自分自身を表してくれる、こんな名前に出会えたこと。

まず、この名前がスポーツがくれたもののひとつです。


2、 メイキング@スポーツ

パフォーマンスビルダーは、完全に裏方仕事。
その裏方仕事の始まり。

選手をじーーーーーっと観察する。
その選手がどんなことをするのか、どんな体の動きを得意としているのか。観察することで私の仕事の9割は終わっているんじゃないかと思うくらい、その選手をじっくり見る。
その競技のことや選手のことなど、事前にいろいろな情報に触れてからその場に出向くが、その選手と対峙する時には、日常の出来事、そしてさっきまで話をしていたこと、事前に情報として知っていたことを全部忘れて、頭と心を空っぽにして選手のことを観察する。
私は私の目を通して、映像として選手の動きをたんまり観察する。
どうしても自分の中に先入観があると、その先入観にそって物を見てしまいがちで、それだと本当の答えにたどり着けないような気がしている。
ある意味それは、私の中で恐れなのかもしれない。
相手と自分は全く違う人間であり、自分が正しいということはない。
だから、この空っぽの状態で選手を観察するということが、まず肝心かなめの一歩なのだと思う。
そして、私にとってもこの空っぽ状態は心地いいもので、この観察タイムは常に自分自身をリセットし、今いる自分の世界から、全く違う世界へと自分を連れていってくれる時間でもある。
このように観察タイムを過ごしていると、次第に少しずつわかってくることがある。
その選手が何を課題にして、何に取り組もうとしているのか。
「これはできるけれど、これは苦手なのかな」
「この課題に取り組んでいるのかな」
という、うっすらとした候補となるトピックだ。

スポーツって、永遠にゴールが無いものかもしれない。
対戦相手やタイム、点数との戦い、そして自分との戦い。
もちろん試合や大会の直前になれば、今できることをしっかり確認する時間という練習もあるが、常に自分のパフォーマンスを前進させていくための時間を過ごすことが多いだろう。
選手はいつも発展途上にいるものなのかもしれない。

そんな中で選手が今取り組みたい課題がうっすらと見えてくる。
けれど、それも決めつけずに「候補」として私の頭の中のメモリーに置いていく。

選手の動きを観察する中で気づけた映像やトピックを頭に入れながら、
選手や指導者と会話をする。
あるいは会話をしながら選手の動きの映像を蓄積していく。

言葉だけではなく、言葉と映像を基に選手と会話をする。

「こういう動きをしたい」
「こういうことをしたいけれど、ここが上手くできない」
あるいは「この動きをするとこういう痛みがある」

選手が話してくれたことに対して、さっき蓄積した脳内メモリーの映像を基に話を返す。

「だからこういう動きをしているんだね」
「なるほど、ということはこれもできるね、あるいはこれも苦手かもしれないね」

目の前の選手と対峙し、会話をする。
パフォーマンスビルダーとして。
体と動きを基に対話を繰り返す。

こうやって選手の解決したいこと、やりたいこと、困っていることをやり取りし、基本的な会話が終わると、私が提案できることがまとまる。

「課題解決のヒントはここにあるよ」
「こういうアプローチはどうだろう?」
というように体の面からできる提案をする。

選手からすると、その提案がわかりやすくイメージがつきやすい時もあるだろうし、
「え?」という意外性たっぷりという返事のこともある。

このように一つ一つのキャッチボールを繰り返しながら、やり取りを進める。
言葉を使って、体を使って。
このキャッチボールの瞬間、私の頭には何かしらのホルモンが出ていることは間違いない。
熱量はあるが、熱だけにはしたくない。
冷静さと情熱を併せ持ったような状態。
私にとってはこのフラットな状態が心地いいのだ。

そして、このような時間を過ごす中で、選手と私、双方がマッチする瞬間がやってくる。
言葉で理屈を説明した方がいい選手、言葉よりも実際に動いて体感した方がいい選手、それはケースバイケースだが、選手の現状を把握し、その解決策を提案し、それを実技として試してみた時のあの感じ。

「ヤバイ、これは来た」
語彙の問題か、頭の構造の問題か。
でもあの時のフィット感を表現するとしたらこの言葉なのだ。

「この感覚はいい」

選手はきっとそう感じている、そしてそれを見ている私もそう感じる。
あの時の双方の一体感、新しいものへの期待感。
手応え、殻を突出した感覚。

その場の選手とのわくわく感がたまらないのだ。
正確にはわくわくする前の感覚かもしれない。
新しいものを手にした時の、真っ新な感覚。
そしてそれを手にして、これからのパフォーマンスを想像する喜び。
にやりとしたくなる時間。

そして、その後にはその新しい感覚を「モノにする」ためのコツコツとした練習が待っている。
「いい手応え」を確実に、自分のモノにするための時間。

この時間を積み重ねることによって選手のパフォーマンスができてくる。
もちろんそこは一筋縄ではいかず、この場合はこう、こういう時はこうと様々な応用編があり、それを何度も繰り返す、そして体づくりをコツコツと行う。
その中で選手から課題をもらい、その答えを私から選手に提案する、そして選手はそれを受け取りイメージする。
そのイメージが自分の現実になるように、コツコツと練習やトレーニングを繰り返す。
そして、そこでまた状況を確認し、良くなって来た点と違和感がある点などを洗い出し、再度練習やトレーニングを繰り返す。
自分の思い描く姿に近づく嬉しさ、近づいたと思ったら離される難しさや苦悩。


スポーツは、本番が楽しい。
コロナ禍になって改めて実感したことだが、本番の大会やコンテスト等があるから、目標があるからこそ、そこに向けて練習を積み重ね、その本番で力を爆発させる。

だけど、その本番に至るまでの小さな小さな積み重ねはみんなが見られるものではない。
その小さな小さな積み重ねの延長に、大きなパフォーマンスがある。
その結果試合に勝ったり、負けたりという結果がつくわけだけれど、私は完全にその裏方、そしてメイキングに立ち会う人間だ。


3、 スポーツがくれたもの

「この選手との一体感、共有感、わくわく感」を感じられる喜び。
これこそ、スポーツがくれたものです。

おそらく選手も私も双方が絶えず前進することを望んでいるから、そのわくわく感を共有できるのだと思います。
選手は「上手くなりたい、もっと強くなりたい」という想い。
私は「もっとこういう体の使い方ができる」という想い。
だから、その「いい手応え」を感じた時に、そこにわくわく感が生じるのでしょう。


そして、冷静に分析すると、そこには挑戦する楽しみがあるのかもしれません。
今日の自分より、もう一回り成長した自分に近づくための挑戦。

私は今後やりたいこと、叶えたいことがあります。
「こういうことをやりたい、おそらくできるだろう。その自信と経験値はある。」
でも、心の中に不安がないわけではない。
けれど挑戦しよう。

こうやって挑戦しようと思う気持ちこそが、スポーツがくれたものかもしれません。

ただし、この「挑戦」というワード、要注意。
その目標が達成できた時の嬉しさはすごいもので、中毒性ありです。

目標はあるけれど、そこに到達するまでの様々な時間を楽しみ、味わいながらこれからの時間を過ごしたいと考える今日この頃です。


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