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2020東京オリンピックシリーズ #2~私の2020東京オリンピック、 そして2人の銀メダリスト(赤穂ひまわり選手/野中生萌選手)との関わり

2021年8月8日、17日間に渡り熱戦が繰り広げられたオリンピックが閉幕しました。
今回のオリンピックも様々な記録が生まれ、栄光に輝く選手・競技団体もあれば、その裏で怪我に泣いた選手や望む結果を手にできなかった方々も多くいたと思います。
私が今の仕事をするきっかけになったバルセロナオリンピック、そしてまた今後に向けて一つのターニングポイントになるであろう今回の東京オリンピック。
今日は東京オリンピックの備忘録として、noteを書いてみたいと思います。

1、 幼少期の記憶にあるオリンピック

私が小学生だったころ、バルセロナオリンピックのニュースに心が惹きつけられた記憶があります。
元々スポーツが好きだったので、自然とニュースを見ていたのだと思いますが、様々な肌の色、そして様々な色のユニフォーム。
世界中の国旗がはためく中で、競技を行い歓喜に声をあげる選手たち。
その光景が小学生だった私にはとても魅力的に見えました。
「楽しそう」
そう感じたことだけは鮮明に記憶しています。

その記憶が根底にあったのか、私は社会人になるタイミングでスポーツに関わる仕事を選択し、日々目の前の仕事に夢中になって取り組みました。
「オリンピックと関わりたい」
そう思って仕事を選択していたわけではないのですが、結果的に今回の東京オリンピックにご縁があり、身近な選手が2名銀メダリストになりました。

2、赤穂ひまわり選手(女子バスケットボール)

彼女の出身チーム(昭和学院中学校/千葉県)をサポートしていました。
このチームを指導している監督さんが、中学生はアスリートとしての入り口の時期だという考えのもと、フィジカルトレーニングやメディカルケアを導入され、女子バスケットボールにおける最たる怪我である膝の怪我の予防を前提に、地道な体づくり、バスケットボールの基本を指導される環境を整えていました。
その監督からのリクエストは「股関節と膝、足首をしっかり曲げられる体」「シュートの際に空中でぶれない腹筋と背筋」というもので、その方針のもと、監督はシューティングやディフェンスフットワークなどの基本的な技術を徹底的に指導され、私はそのスキルに見合う基本的な体づくりを行っていました。
そして走るバスケットボールのベースとなる基本的な走力やスタミナの向上のためのトレーニング。毎週火曜日が私の担当トレーニングなのですが、たんまり走り、基本的な腹筋背筋にスクワットに…という時間を想像し、選手のみんなは前日は憂鬱な気持ちで過ごしていたようです笑(卒業生が口を揃えて言うコメントです笑)

赤穂選手が中学生だった時も例外ではなく、基本的な、そして地味なトレーニングをコツコツと積み重ねていました。
今回オリンピックの試合を見て私が驚いたのは、いい意味で彼女のプレーが変わっていなかったことです。それは進化・変化していないということではなく、基本が洗練され、磨きがかかっていたことへの驚きです。
私はバスケットボールの指導者ではないので、細かい戦術論は述べられませんが、あらゆるスポーツ現場で仕事をさせてもらい感じることがあります。
勝負のかかった本当に真価が問われる場面では、付け焼き刃は通用しないということです。
基礎技術、戦術、それに伴う体と、基本的なことに始まり、その上に応用、そして膨大な練習量と経験を積み重ねて一つのプレー、チームができ上がる。
中学生の時に見ていた赤穂選手がより洗練され、ぐっと来るものがありました。
そして、今回彼女のプレーを見ていて嬉しかったのは、膝の怪我をしそうな気配(膝の怪我をしそうな動きやプレーは何となく目星がつきます)が少なかったことです^^
赤穂選手はまだ22歳。
これからきっとまたたくさんの経験をし、ひとつずつ階段を登っていくと思います。簡単な階段ではないと思いますが、誰もができる経験ではないその道のりを、赤穂選手らしく進んで欲しいなと感じた観戦記でした。

そして今回女子バスケットボールの試合を観戦したことで、アメリカに勝つための私の考えがまとまってきたので、これは後日またnoteにしたためたいと思います。


3、野中生萌選手(スポーツクライミング)

今回からオリンピックの種目に加わったスポーツクライミング。
今回銀メダルを獲得した野中選手はかつてパートナーでした。出会ったのは彼女が13歳の頃、そして19歳になるまで一緒に活動していました。
彼女と実践したのは「登りをつくること」です。
以前別の投稿にも記載しましたが、当時私が関わり始めたころのクライミング界は「前腕」「保持力」のニーズが飛びぬけており笑、ひとつのパーツを酷使することを良しとしない私は大層苦労しました…苦笑
私の中での目的はまず、怪我をしないこと。
特に肩の怪我をさせない登りをつくること。
クライミングは他の競技と少し異なり、スポーツの側面もありますが、根底には生涯スポーツの文化があります。若いころにコンペで勝つ、要は一時の利益のために、大切なパーツである肩や指を壊さないこと。
スポーツの側面を離れても、彼女からクライミングを奪わないこと。
これが私の第一ミッションであり、その上でコンペでの成績を積み重ねること。
そのために指や前腕だけではなく、体全身を使った登りをつくる。

(この中にある「2、パフォーマンスビルダーの具体的な仕事の内容とは」の「①フォーム(動き)の見直し及び構築」の部分ですね)
野中選手も出会った時はまだ13歳。若い10代のうちだけ成績を残せる選手ではなく、いくつになっても半永久的に発展し続けられるフォーム、登りをつくる。
ちょうど成長期で体の変化が大きく難しい時期だったので、彼女にとってはもどかしい時間も長かったかと思いますが、悔しさをバネに小さなことをコツコツと積み重ねられる彼女の強さを糧に少しづつ前進してきました。
今回のオリンピックで、まずひとつの結果が出ました。
もちろん大変な大変な道のりだったと思いますし、苦しく悔しいこともたくさんあったと思います。
本当にお疲れさま!!
と伝えたい、と同時に、伸び代あるねとも言いたい笑

また、今回クライミングが、「スポーツクライミング」になったことで思うことがあれこれ出てきたので、またこれも改めてnoteを書きたいと思います。


4、 おわりに

今回私はオリンピックの現場ではなく、クーラーのきいた部屋でオリンピックを観戦しました。
幼少期に心惹かれたオリンピック、それから大人になってご縁を感じたオリンピック。
私は、スポーツは好きですが、スポーツが私のすべてではありません。
もちろんスポーツでも、音楽でも、何かその人にとって大切なこと、はたまた家族のためにご飯をつくったり仕事を頑張ったりその人らしくいられる何か。人によって必要なパフォーマンスや求めるパフォーマンスは違うと思います。
なので、その人がその人らしく幸せでいるために、私ができることをやっていきたいと思うようになった今の私。

だけど、今回オリンピックを観戦し、「その人らしく」の答えがスポーツにある人が怪我なく、より高みを目指した挑戦ができるように、私の持っている経験やノウハウを伝え、私は私の立場から挑戦したい、そう思うようになりました。
より高いレベルを目指した挑戦をする、
私は挑戦する人が好きだし、私自身も挑戦し、挑戦から得たことを回りに還元したり、シェアすることがこれらかの私の一つの指針かもしれないなあと感じます。

と、思いつつ、そんな自分の頭の中を俯瞰しながら、ゆっくりコーヒーを飲んでこのnoteをしめたいと思います。

2021年夏。


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