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自己紹介させてください

こんにちは。パフォーマンスビルダーの三浦千紗子です。
ここでは簡単に私の経歴を紹介します。

1、かんたんな経歴

2004年立教大学社会学部卒業、在学中は体育会女子ラクロス部にて主将を務めました。その後、専門学校(ヒューマンアカデミースポーツカレッジ)を経てトレーナー業界、スポーツ業界へ。2006年よりトレーナー派遣業務を行う有限会社ジェイ・スピリットにて正社員として勤務の後、2011年に退社以降フリーランスで活動しています。

〇有限会社ジェイ・スピリットでは、  
・コンディショニング・トレーニング指導(チーム/パーソナルサポート)
・トレーナーの養成・教育活動
・トレーニング施設の管理・運営 
・アスリート、コーチ、トレーナー等の
    マネジメント
・コンディショニングに関する研究・開発
・スポーツ及びコンディショニングに
     関するコンサルティング 
に携わりました。

2、競技指導歴

①クライミング
<選手サポート>
◯野中生萌選手(2009-2017)
 2018年ボルダリングW杯年間総合優勝 
 東京オリンピック出場権獲得
◯藤井快選手(2013-2018)   
 2019年五輪予選大会(コンバインド)優勝
◯是永敬一郎選手(2013-現在)
  2017年ワールドゲームズ優勝

<選手育成>
東京都山岳連盟(2012-2018) 

<クライミングジム>
「PUMP」フィジカルコンサルティング
「Climber’s BIBLE」発刊 
  

  

②バスケットボール
昭和学院中学校(2004-2019)
 2009年全国中学校体育大会優勝
 東京オリンピック出場予定 …赤穂ひまわり選手

③バレーボール
◯市立船橋高校男子バレーボール部(2007-2019)
 2018年関東大会準優勝
◯勝田工業高校バレーボール部(2005-現在)

④ハンドボール
◯東邦大学付属東邦中学校・高等学校 ハンドボール部(2005-現在)
◯昭和学院高校男子ハンドボール部(2011-現在)
   2017年愛媛国体準優勝(少年男子)
   東京オリンピック出場予定…北詰明未選手


⑤新体操
戸板女子中学高等学校新体操部/CREA RG  (2006-2019)

⑥その他
テニス、クラシックバレエ
  

3、 分岐点

自身の進路を選択するにあたって、一つの分岐点がありました。
それは大学4年生の就職活動の時です。
就職活動の時期を迎え、結果的にいくつかの会社から内定をもらった後、とある会社への就職を考えていました。その会社(業界)は1月~3月が繁忙期になるため新卒で入社する前にその時期を経験することが大事だという考えのもと、私は大学4年時の1月~3月にその会社での研修(という名のアルバイト)をしたのです。
繁忙期なだけあって、朝から晩までよーく働きました。
そこで日々ふつふつと感じることがあったのです。
「これから社会に出てこれだけ働くのなら、自分の本当にやりたいことを選択したいなあ」と。というのも、私は高校進学の時、大学進学の時にいつもスポーツ系とそれ以外への進路を天秤にかけて、毎回少しだけスポーツ以外の道への興味が勝って、スポーツ系を選択せずきたからです。実際に社会へ出ることを目前にしたとき、会社で実務経験をする中でやっとスポーツ系へ突き進む決心ができたのです。
せっかく内定を下さった会社へ申し訳ない結論でしたが、その際にその話を受け、「頑張って」と言って下さった方々へ本当に感謝しています。

4、 キャリア第一期

大学を卒業した後、専門的な道に入りました。自分の性格を考えると、なんとなく、ずっと仕事をしていそうだなあと感じていたので、長い目で見て20代は投資・学びの時だとひたすら頑張ろうと思っていました。もちろん楽な道ではないと諸々覚悟の上でしたが、やはり実際に専門的な業界に入ると、大学から専門分野を選択してきている人、すでに資格を取得している人など、周りの方々の経歴がとてもまぶしかったのを思い出します。でも、まあなぜか雑草の様に頑張ることだけはできる性質だったので、とりあえず限定せずに目の前の仕事を頑張ろうと思い、今日までやってきました。
頭のお勉強も大事ですが、私は経験することから学ぶスタイルが好きだったこともあると思います。スポーツの仕事をしたいと思っていましたが、一般の方へのトレーニング、大学のトレーニングルームの管理の仕事、ジュニアの育成の仕事、産後の女性への運動指導、会社のHP作成、掃除からチラシ配布まで、20代の体力と特権を活かしてさまざまな経験をしました。この中で出会った方々とのご縁には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。今、自分がこの年齢になって、その時の上司が私を育てようとしてくださっていたことを強く感じるようになりました。そして会社での経験を始め、様々な活動が少しずつ血となり肉となり、今の自分を作っていることを感じています。
言葉で書くと上手くまとまってしまいますが、たくさん失敗もしましたし、今思えば恥ずかしい行動も多々あり、怖くて簡単に過去を考えることができません笑
最初は自分の専門性の低さが気になってばかりのお仕事でしたが、自分なりに進んでいく中で少しづつではありますが専門家のはしくれとして仕事ができてきたかなと感じることもできるようになってきました。

5、もっと根本的な分岐点

そして、そもそも今思い返すともっと根本的な分岐点として、母から言われていた言葉が頭にあったような気がしています。「あまり早くから専門的なことに絞らない方が後々楽しいと思うよ~」と。小さい頃からあれをしなさい、これをしなさいと言われずに育ってきましたが、進路に関しては折々でこんなささやきを耳にしていました。
もちろん早くから専門性を究めることで見える世界もあると思いますし、どちらが良い悪いという話ではありません。ただ結果的に、私にはこの選択が合っていたのかなと最近やっと感じることができるようになってきました。なぜなら、早くから専門性を持たずに少し回り道をしていたことで、人と違った観点や価値観を持てたということが、私の個性だと、やっと、やっと最近認識できたからです。
人と異なる観点があったからこそ、あれこれ疑問に思ったり感じたりすることができ(疑問に思ってしまう自分の性格が嫌だなあと感じることは多々ありましたが)、自分なりの答えを探すようにしていた結果、既存の概念に自分を当てはめるのではなく、自分は自分の考えや個性を持てばいいと認めることができるようになりました。
そのことに気が付き、この度“パフォーマンスビルダー”としての活動に一歩踏み出せたわけです。

6、これからの活動~キャリア第二期

今まで蓄積してきた経験や知識という商品を棚卸して、整理整頓し、世の中にお届けするということが、次のステップかなと感じている今日この頃です。社会に出て、突っ走ってきたキャリア第一期、そしてやっとキャリア第二期が始まるタイミングかと感じています。
新しいことを踏み出す時は、いつも少しの不安が伴いますが、これからの日々が楽しみです。
世の中がこれだけの変化を遂げる中、誰もこの先のことはわからないと思います。
自分の芯を持つことは大切ですが、そこに変なこだわりを持ちすぎず、柔軟に、その変化を楽しみながら自分らしい判断を積み重ねていきたいと思っています。


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