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奥羽越列藩同盟(3/5)

世良修蔵

下参謀として鎮撫軍に加わっていた長州藩の世良修蔵は、奥羽諸藩に対して傍若無人な振る舞いが目立っていました。
新選組に斬られた同志も多い事から、新撰組を配下に置いていた会津を目の敵にしていました。
会津を最初から許す気など毛頭無く、敵意剥き出しでした。

世良修蔵

会津藩主松平容保まつだいらかたもりと会見してきた玉虫左大夫たまむしさだゆうがその状況を報告すると「貴様らは奥羽諸藩の中でも少しは話の分かる奴らだから使者にも選ばれたのだろうが、飽きれたバカだな。そんな奴らの主人(藩主)の頭もたかが知れるわ。所詮、奥羽なんかに頭のいいやつはいないな」
等と罵倒する始末でした。

松平容保
玉虫左太夫

自分の事を罵倒されたのであれば、耐え忍ぶ事もするでしょうが、自分の主君を馬鹿にされて黙っている侍はいません。

こうした事が多々あり、世良に対する反感は高まって行きました。

そんな中、奥羽諸藩が会津に同調するとは思っていなかった世良は、新政府軍の増援を求め、白河口から会津を、酒田港から庄内を攻める計画を立て、宿泊していた福島城下の旅館から、新庄にいた下参謀大山綱良に手紙を出しました。

4月19日、その手紙の配達を依頼された福島藩士鈴木六太郎が手紙を盗み見ると、そこには「奥羽は皆敵と見て、兵を増員し軍艦を酒田に派遣し日本海側と仙台を挟み撃ちにするしかない。越後口にも兵を増員し警戒した方が良い。また会津は恭順謹慎など開城すらする気もなく首級を差し出させる方が良い」と書かれていました。

直ちにこの手紙は仙台藩士の手に渡り、その内容に激怒した仙台藩士姉歯武之進あねはたけのしんらは殺害を決意します。
既にそれ以前に仙台藩の主席奉行但木土佐より暗殺の承認を受けていたため、仙台藩士・福島藩士など20数名が翌未明に投宿中の金澤屋を襲撃し、
二階から飛び降りた世良は瀕死の重傷を負いました。

白石まで連行しようとしましたが世良の出血がひどく、児捨川こすてがわ(現白石川)の河原で首を斬られました。
但木土佐は首を児捨川へ投げ捨てろと言いますが、玉虫左太夫は「その首を自分に貸せ」と言います。
どうする気かと尋ねた人に、左太夫は「持ち帰って厠の中に沈めてやる」と言ったそうです。

首は川に投げ捨てられる事も無く、トイレに沈む事もなく、近くの寺に葬られました。

世良修蔵の墓

歴史のIFを考えた時、僕は世良がいなければ、あるいは会津戦争は無かったかもしれないとまで考えます。
会津を中心とした奥羽に未曽有の大惨事を招いた男の末路はこんなものでしょう。

玉虫左太夫

脱線ついでに、世良から罵倒された玉虫左太夫(正しくは玉蟲)についても書いてみます。
こちらはキリンホールディングスのサイトに面白い記事がありましたので、
それを中心に紹介します。

1823年に仙台藩士の子として生まれた左太夫は、江戸の湯島聖堂で学び昌平黌しょうへいこうの塾長になります。
1857年には蝦夷地の調査に向かい「入北記にゅうほくき」を著しました。
この時の詳細な記述や観察眼が認められ、なんと勝海舟、福澤諭吉、ジョン万次郎、小栗忠順おぐりただまさら、そうそうたるメンバーとともに、1860年に咸臨丸とポーハタン号でアメリカに向かいました。

英語が全く話せないにも関わらず左太夫が抜擢されたのは、ひとえに記録係としての能力を買われたからでした。
8か月後、世界一周をして横浜に戻って来ますが、左太夫は期待に違わず克明な記録を残していました。
その中にビールに関する面白い記述が残されています。
(だからキリンのHPで紹介されているのです)

まずは出港後まもなくして、初めてビールを口にした感想ですが

「苦味ナレドモ口ヲ湿スニ足ル」というもの。
慣れぬものを口にして驚きながら、冷静に書き留めようとしている様子がうかがえる。

キリンホールディングスHPより

このように書かれています。

さらに6月に喜望峰に向かって南下していた時に、一行は深刻な水不足に陥りました。

「水はいよいよ欠乏を告げ、食後ようやく一滴の水を分け合うのみ。そのときの騒動は餓鬼が食を争うかのようだ」とまで記されているほどである。

キリンホールディングスHPより

そしてその翌日、船長からビールが提供されたのです。

午牌船将より、ビール一瓶・塩豚一股を出し、従者一同に分ち与う

そうした状況であっただけに、船長より与えられたビールは使節たちののどを潤し、気を晴らしたことだろう。
玉虫の長大な『航米日録』の中で、ビールを飲んだという記述は数えるほどしかない。
船内で貴重品だったビールを飲むことは、特筆すべき「一大イベント」だったわけだ。

キリンホールディングスHPより

ここでいう午牌はお昼の事、船将は船長でウィリアム・マッキーン大佐です。ちなみに船はナイアガラ号でした。

ちょっと話が脱線し過ぎましたので、次回から話を奥羽越列藩同盟に戻します。

その4へつづく

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