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アナタハンの女王 最終回

閉鎖された極限の空間で暮らすことになった32人のその後の運命です。

島では魚介類やバナナ、タロイモなどを食べていましたが、一か所に32人もいると食料を取りつくしてしまうため、やがて気の合う者同士数人のグループに別れ、女は農園技師の男と二人で暮らすようになりました。

やがて終戦を迎えますが、この島に日本人がいる事など誰も知りません。
彼らは終戦を知る事なく暮らしていました。
ただ、最近は米軍機の空襲が無くなったと感じていました。
女はおおらかな性格で、男たちからはカズちゃんと呼ばれていました。

終戦からさらに1年が過ぎた昭和21年8月、彼らは山中に墜落していたB29を発見します。
島で不自由な暮らしをしていた彼らにとって、それは宝の山でした。
機体のジュラルミンは包丁や皿に、パラシュートは衣服に加工されました。
そして4挺のピストルと弾丸が見つかったことから、事態は急変します。

ピストルは壊れていましたが、彼らはそれを分解して2挺のピストルを作り上げたのです。
水兵二人がそれを所持する事になりましたが、5日ほどしてそのうちの一人が、ピストルを片手に農園技師と女の小屋に行き銃を突きつけ、女を連れ出し強引に同棲を始めました。

ところが、それから23日後、その水兵が突然行方不明になります。
農園技師は水兵が夜釣りに行き、誤って崖から落ちて死んだと告げました。
誰もこの言葉をそのまま信じる者はいませんでした。
落ちていたというピストルは、軍属の一人が持つことになりました。

すると今度は一か月もしないうちに、軍属がピストルを手に農園技師と女の住む小屋へ行き、農園技師を射殺してしまいました。
そして、軍属は女と同棲を始めます。

それから10か月あまりが過ぎたころ、軍属が射殺死体で発見されます。
このままでは殺し合いになると、協議の上ピストルは海に捨てられました。
ところが殺人はこれでも収まらず、刃物での殺人が続きました。

これ以上争いが行われないよう協議が行われ、女は全員が指名した男と同棲する事になりましたが、彼女自身貞操観念は強くなく、他の男と密会し情交する事も度々ありました。
男たちは彼女にこっそり手紙を渡したり、草陰から身振り手振りで合図を送り、それに対して彼女から可否の返事をする事で密会していたのです。

男たちが命がけで会いに来てくれると、それだけで愛おしく感じて無下に追い返す事は出来なかったと語っています。
一見すると男たちに物のように扱われ、性の対象としてしか見られていないようにも取れますが、ある意味彼女も女の武器を最大限に活かして、男を支配していたとも言える不思議な関係が構築されていったのです。

その後も女を巡って殺人は続き、病死者も含めると11名が亡くなっていました。
その頃、島に日本人がいるという情報を得た米軍が、盛んにビラをまいたり、スピーカーで戦争終結を告げましたが、彼らは米軍の策略だと信じていました。

やがて昭和25年4月、女が姿を消しました。
彼女は身の危険を感じて、自ら姿を隠したのでした。
あの女がいるから殺し合いが起きるのだ、いっそのこと殺してしまえと言う声が上がったのです。
それを伝え聞いて、逃げたのでした。

島内を逃げ回っていた女は、5月23日に沖を通るアメリカ船を見つけ助けを求めます。
こうして救助された女は40日ほどして、飛行機で日本に帰る事ができました。
それにより、アナタハン島にまだ日本人がいる事がわかり、救助活動が行われるようになりました。
家族の手紙を飛行機で投下したり、新聞や雑誌を海岸に置いたりしましたが、それでも彼らは米軍の策略だと信じていました。
そして、日本軍が来るまでは絶対投降したりしないように誓い合ったのです。

しかし、そのうちの1人が手紙などを読むうちに、日本が負けたのは事実だと認め、米軍に投降しました。
彼はメンバーの中でも指導者的な立場にいたので、男たちに動揺が走りました。
やがて彼らは敗戦を信じるようになり、結局翌26年6月30日に白旗を掲げて浜に整列し、米船に救助されたのでした。
彼ら20名が日本の土を踏んだのは7月6日の事、実に終戦から6年近く経ってからの事でした。

帰国した彼女=比嘉和子(ひがかずこ)の夫は既に再婚して二人の子供がいました。
行き場の無くなった彼女は「アナタハンの女王」として全国の劇場を回るようになりました。

島では彼女が女王のように振舞い、男たちがそれに従っていたかのように喧伝され、世間の人々の注目を浴びました。映画化もされるほどでした。
やがて人々の関心が無くなると、故郷の沖縄でアナタハンという食堂を開き、再婚します。
しかし数年後夫が死亡し、彼女はたこ焼き屋を営み、昭和48年に病死しました。

これが世にいう アナタハンの女王事件のあらましです。
人間は環境次第でどうにでもなる生き物です。
毎日生きるか死ぬかの中で本能の赴くままに生きている中で、若い女性が一人だけいると、なんとなく想像はつきますが、このような状況になるのでしょう。

何とも言えないやりきれなさが残る後味の悪い事件ですが、間違いなく彼女も戦争の犠牲者の一人だという事は言えます。
救いがあるとすれば、生還した男の話では、彼女はおおらかな性格で誰にでも優しく、過酷な環境の中でも笑顔と歌声が絶えないような人だったそうです。そういう性格の人でも無ければ、耐えられなかったかもしれません。

おわり

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