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日本と土耳古 その4(全5話)

大使館や民間企業を通じてトルコに必死の要請が行われましたが、他国民を助けていては自国民が犠牲になります。
この後、残された邦人の運命はどうなるのでしょうか。

恩返し

数時間して、森永氏のもとへオザル首相から電話がありました。「テヘランに特別機を出すので、日本のみなさんによろしく」というものでした。
また、野村大使のもとへもトルコ大使から、救援機が来るので今晩中に人数を教えて欲しいと電話がありました。

日本から救援機の打診を受けたトルコの関係者は、非常に危険な任務であるが、日本が困っているこの時、我々が救援機を飛ばさなければならない、エルトゥールル号の恩を返すのは今だと考えました。

アタテュルク空港にはベテランの機長が集められ、トルコ航空の総裁ユルマズ・オラルが任務の内容を伝えました。「20時を1分でも過ぎれば命は無い、日本人を救出に行ってくれる機長はいるか?」

これに対して、全ての機長が手を挙げました。

3月19日になりました。この日の20時を持って、全ての飛行機が無差別攻撃を受けます。

本国から見捨てられたと、逃げる術を失くした在留邦人たちは憔悴していました。

2時頃在留邦人たちの元へ日本大使館から、トルコの救援機が来れそうだとの連絡がありました。10時過ぎには、救援機が来るので空港へ向かうようにと指示があり、脱出する人たちでごった返すメフラーバード国際空港へ向かいました。

メフラーバード国際空港とトルコの位置関係

空港には在留邦人の他、大勢の在留トルコ人が集まっていました。

一体これだけの人数が乗れるのか?飛行機は何機来るのか?在留トルコ人たちは、大使館員に詰め寄りました。

大使館員は彼らに告げました。
「飛行機は2機来るが、1機にはあなたたちが乗る権利がある。しかしもう1機は、ここにいる日本人を救出するためのものだ。あなた達を救出する飛行機は1機しかないのだ」

するとトルコ人たちは「今こそエルトゥールル号の恩を返す時だ、これからの土日の友好の為にも乗ってもらう」と口々に言い、飛行機に乗れなかった人たちは陸路で自国を目指すことにしました。

脱出

やがてトルコからの救援機が到着し、対空砲火や爆発音が響く中、在留邦人たちは飛行機に乗り込みました。生きた心地がしないまま17時過ぎに飛行機は離陸しました。タイムリミットまで3時間を切っていました。

いつ撃墜されるかと誰も口を開かず、重苦しい空気が流れる中、機長からのアナウンスが流れました。

「トルコへようこそ!」

その瞬間機内では、大歓声と拍手が沸き起こり、日本人だけではなく客室乗務員も喜びの涙を流しました。

イスタンブールの空港へ降り立つと、空港には多くの報道陣が詰めかけており、フラッシュが炊かれました。そしてトルコの人々は邦人が救出された事を喜んでいるようでした。

この時救出された人達も、日本国内でニュースを見ていた人たちも、何故トルコが救援機を出してくれたのかわかりませんでした。

最終話へつづく


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