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ラーメンを食べに行って異国での不安な気持ちを思い出す(後編)

今から30年ぐらい前のある日、僕はアメリカのミネソタ州にあるセントポール国際空港に、今は亡きノースウエスト航空機で降り立ちました。よく覚えていませんが、成田から13時間ぐらいは掛かったでしょうか。
飛行機から降りると思いのほかこじんまりした施設で、日本の地方空港と変わらない感じです。
とにかく英語も話せないのに、薄っぺらい旅の英会話的なガイドブックを握りしめて来てしまった僕は、とにかく入国手続きでは「サイトシーイング」と答えなければと、そればかりをブツブツ繰り返していました。
おかげでどれぐらいの期間滞在するのかと聞かれた時に「アバウト10イヤーズ!」と答えましたが、スルーしてくれて助かりました。

無事にグルグル(アレ何と言うんだろう?)から荷物も受け取りました。最大の難関はここで乗り換えをしないといけないのです。ここからサウスダコタ州のラピッドシティというところまで国内線で向かうのです。

乗り換えまでの時間は1時間半ぐらいだったと思います。
カウンターしかない小さなコーヒースタンドらしきものがある以外は、何もありません。
仕方なく小さな待合室のようなところの椅子に座っていました。
あたりをそれとなく見渡してみましたが、発着便の時間や行き先を表示するパタパタが動いていません。黒一色です。(昔は電光掲示ではなく、板がパタパタするやつでした)

30分ぐらい経って不安になってきましたが、職員らしい人もうろついていないし、インフォメーション的なところもありません。
もちろんスマホなど無い時代です。何一つ自力で調べられる事はありません。

何か情報は無いかと観察していると、定期的に人がどっと増えます。恐らく飛行機が着いたためです。そしてその人たちはそそくさと建物の外に出て行きます。
逆に入ってくる人はいません。
いくら旅慣れている地元の人とはいえ、少しは早く来て待っている人もいるはずなのに誰も来ないのはおかしい・・・そう思って外の様子を見に行きました。
なんとなく気持ちが萎縮していて、建物から外に出るのが怖かったので、外は見ていませんでした。

外に出るとバスが停まっていて、スーツケースを持った人が次々と乗り込んで行きます。駅や街に向かうリムジンバスかと思って見ていましたが、椅子が少なくほとんどの人は立っています。
リムジンバスではなく、短距離を移動するためだけのバスの様に見えます。やがて動き出したバスの先を見ると、はるか向こうに要塞のような大きな建物が見えるではありませんか。

あれは何だ?ひょっとしてここは臨時の発着場的なところで、あっちが空港のターミナルビル?よく見るとたくさん飛行機も見えます。
でもこのバスはやっぱり最寄り駅などに行く連絡バスかもしれないしと、判断ができずに不安ばかりが大きくなっていきました。

気付くと飛行機が出るまで30分もありません。
えーいままよと次のバスに乗り込みましたが、普通にお金がかかるバスだったらどうやって支払うのだろう?と次々と疑問が湧いてきて、すっかりパニクってしまいました。
幸いにしてバスはターミナルビルに到着し、誰もお金を払わず降りて行きます。
やっぱりこれで正解だったんだ、と喜んだのもつかの間、すぐに搭乗手続きをしないといけません。

このあたりの記憶ははっきりしないのですが、なんとか手続きが済むと係の人に早く早くと急き立てられて、一緒に走りながら無事飛行機に乗り込む事ができました。
どうやら最後の客だったらしく、乗り込むとドアが閉じられて間もなく離陸したのでした。
最後部の座席だったので、乗客の冷たい目線が痛かったのを覚えています。

帰国の時もよく覚えていませんが、なんとか飛行機にも乗れて成田まで戻ってくることができました。
ただお土産などで荷物が入らなくなってしまい、お土産に買ったウエスタンブーツの中にパンツや靴下を突っ込んでいたらそれが怪しまれたらしく、成田の荷物検査の台の上にくしゃくしゃのパンツを何枚も広げて並べられて生き恥をかいたのはいい思い出です。

そんなわけで、あのベトナムの人は無事東京に着いたのかなと心配しながら、閑散としたセントポール空港の待合室の光景が目に浮かぶのでした。

おしまい

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