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白い地獄 その3

それでは5連隊の動きを中心に追ってみましょう
5連隊行軍予定ルート(田代新湯までの往復)

5連隊ルート


1日目(1/23)
朝7時前に屯営を出発しました。積雪は90Cm気温-6.7℃と記録されています。雪は降っていましたが風はあまりなく、穏やかな天気と言ってもいいぐらいでした。
やがて平野部を抜けて八甲田山麓へつながる緩やかな登りにさしかかります。
このあたりを幸畑(こうばた)村といいます。このあたりから気温が下がり始め、雪の量も多くなってきました。
人馬の往来も殆ど無くなるため、雪はフカフカの新雪で、先頭のカンジキ隊が踏み固めても雪は固まらず、ソリの進みが悪くなりました。
また、雪が柔らかいとカンジキを履いていても身体が深く沈み込んでしまい、さらに足を引き抜く際にカンジキが邪魔になり、歩行も非常に困難になります。

前にも書きましたが、ソリはかなりゴツイもので2本の滑り板、というか脚があります。
雪が柔らかいと沈み込み、ソリの本体で雪をラッセルするような状態になってしまいます。そうなると押しても引いても進まなくなるのは当然です。ましてや80kgの重量があります。
前回の予行演習で目的地としてた小峠(大峠の少し手前)にソリ隊が着いたのは、お昼も近い頃でした。

部隊はソリ隊の到着を待ちますが、ソリは14台もあります。全ソリ隊が到着するまでにはかなりの時間が掛かったと推測されます。
一方通常の兵たちは、吹きさらしの山の上で、ソリ隊の到着を待つ羽目になりました。

ここで昼食を取ることにしましたが、持参した昼食(ごはん、おにぎり、ゆで卵、餅など)は石のように固く凍っており、殆どの兵は昼食を取らずに捨てました。
今までの雪中行軍でこのように飯が凍る事はありませんでした。この時点でかなり気温が下がっていたと思われます。
また休憩中に汗で濡れた下着が冷えて、急激に体温を奪いました。

この時点では吹雪いていましたが、視界はまだ効く状態でした。
ここで一部の士官から帰営してはどうかと意見具申がありました。
ここから先はもっと傾斜もきつく、雪も深くなる、気温も下がってきているという尤もな理由です。
山口少佐が将校から意見を集めましたが、意見は分かれます。
若手の下士官からは、この程度で引き返してどすうる、田代新湯はもうすぐそこだ、早く温泉に浸かってゆっくりしようと意見が噴出し、進軍を決定しました。

やがて行程中で一番高い場所にある馬立場(うまたてば)に到着したのは16時半頃で、既にあたりは暗く猛吹雪になっていました。
ソリ隊はもはや長く伸びて、どこにいるのかもわからないような状況になっていました。
ここから田代新湯までは3km程の距離です。

ここで部隊はソリ隊に応援を出すとともに、先発隊15名を田代新湯に向けて出発させました。
しかし先発隊はリングワンダリングを起こして、視界の利かない雪原を大きく円を描くように彷徨い、部隊の後尾に追い付く形になってしまいました。
実は、指揮官以外は磁石も地図も持っておらず、田代新湯の正確な場所を誰も知りませんでしたから、当然といえば当然かもしれません。

この馬立場から田代新湯までの間に、鳴沢という渓谷があります。
ここを迂回して進めば問題無いのですが、当時の粗末な地図をもとに、方位磁石で方向を定めて最短距離を進もうとすると、この鳴沢渓谷に行き当たります。
本来なら急な崖ですが、雪が深く積もっているため、腰まで雪に埋まりながら部隊は鳴沢の谷へ降りて行きました。
その先は胸まで雪に埋もれながら、崖を登り返さなければいけません。
ここでソリの殆どは放棄され、積載していた炭や鍋釜食糧などは、ソリ隊員が背負って歩く事となります。

やがて田代新湯まで1.5kmというあたりで田代へ向かう事はあきらめ、露営する事にしました。

露営地


深さ2.5m幅2m長さ5mで40人程度が立って入れる程度の穴を5つ堀りました。
掘るスコップも十分な数を持参しておらず、雪濠が完成するまではかなりの時間がかかりました。その間、兵たちは吹雪の中立って待っていました。
やがて21時頃、荷物を背負ったソリ隊が到着します。

雪濠の面積は6畳程度です、そこに40人が立っているのでかなり窮屈だったと思われます。
また上を覆う屋根も無いので、風が直撃しないというだけで、寒さはそのまま兵に襲いかかりました。
とりあえず火を起こして飯を炊かなければいけませんが、地面が出てきません。

2.5mの深さの雪濠ですが、底は雪です。そこからさらに地面を目指して2.5m程堀進めましたが地面は現れず、あきらめて雪の上で火を炊いて、飯を炊きお湯を沸かそうとしました。
しかし当然ながら火を燃やせば雪が融けて、鍋が傾きお湯はこぼれ火は消えてと、まともに飯が炊けません。
このあたり、明らかな準備不足が判ります。
本気で温泉宿の畳の上で寝れると思っていたのではないかと疑りたくなります。
ようやく日付も変わった午前1時頃、缶詰と生煮えのわずかな米と焦げ臭い温めた酒が配給されます。
酒は臭くて飲めたものではなく、朝から何も食べていない兵たちは、飯盒の蓋半分程度の生煮えの米を口にしました。

この頃から猛烈な寒さが部隊を襲い始めます。

午前2時頃、山口少佐が将校を集めてこの後どうするかを検討しました。
ここから田代新湯を目指して、休憩を取ってから帰営するか、ここで露営して明日帰営するかです。
ここで朝まで頑張っていれば、結果は変わったかもしれませんが、猛烈な寒さに耐えられなくなったのか帰営する事に決め、2時30分頃出発を命じます。

軍隊というところは員数といって、物の数が帳簿と合わないと大変な事になります。
大変だから置いて行こうとか紛失しましたなどという事はあってはなりません。
そのため、全ての荷物の数を数え、ソリ隊員はそれをまとめて背負わなければいけません。遭難している状況なのに、鍋や釜を背負って歩かないとけないのです。

こうして、真っ暗闇の猛吹雪の中、兵たちは一睡もしないまま露営地を出発しました。

つづく

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