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洞爺丸沈没 あとがき

今回は9話に分割しましたが、いつもは書きながらアップしていくので、何話で終わるのか、最終話を書くまでわからずに進めていました。

初めて一気にメモ帳に書いて、それを分割しながら下書きに貼り付けて行きましたが、結構面倒くさい作業でした。
これぐらいの塊じゃないと話が中途半端になるな、と思って貼り付けると4,000文字ぐらいになって、ちょっと一回で読むのは長いなと。
一応一回あたり1,200文字~1,500文字ぐらいにしようと考えていたので、何度もコピペを繰り返して9話になりました。

さて、青函連絡船ですが、僕は何回か利用したことがあります。
昔は青函トンネルがありませんでしたし、飛行機は高くて庶民的では無く、本州から北海道に渡ろうとしたら、ファーストチョイスは青函連絡船でした。

春や夏は、薄暗い船内よりもデッキに出て海を眺めていると気持ちがいいですし、僕は見たことがありませんでしたが、運が良ければイルカが並走するのを見る事ができました。

国鉄が運航していましたので、扱いは列車と同じで、指定席やグリーン席、寝台室までありました。

一番安くてポピュラーなのは、升席というのでしょうか、カーペット敷きの小上がりのようになっている一角で、空いていれば寝っ転がる事もできましたが、大抵は労働者風のおっさん達が一升瓶やビールを並べて、珍味を食べながら飲んでいました。

座席もあり、特急電車のような座席が並んでいました。こちらは指定席もありました。

さて、とある真冬の事、函館を22時頃(だったと思うのですが)に出る連絡船に乗った事があります。青森に着くのは深夜2時なので、乗客もあまり見かけませんでした。

その日は猛吹雪で、札幌から函館に向かう列車が運休にならないか心配するような天候でした。なんとか遅れも無く函館に到着して連絡船に乗ったのですが、あまりの風の強さに今度は連絡船が欠航になるのではと心配しました。

僕の心配をよそに、定刻通り連絡船は出港しました。
流石に酔いはしないだろうと思いながら、指定座席で本を読んでいました。
その船室内に僕以外の乗客はいなかったような気がします。ただ、遠くから子供か赤ん坊の泣き声がずっと聞こえており、外の雰囲気と相まってなんとなく凄惨な雰囲気が漂っていました。

沈没なんかしないよなぁと心の隅でチラリと思いますが、そんな状況なら欠航してるはずだしと、読書を続けていると「カラカラカラ~カラカラカラ~」と空き缶が転がる音が聞こえてきました。
誰かが飲み終わったコーラの缶を座席の下にでも置いていったのが倒れたのでしょう。

ところで、なんで缶の転がる音があっちまで聞こえて、しばらく間が開いて近づいて来るんだ?とよく観察すると、左右に大きなスパンで船が傾いています。
真っ暗な窓の外を見ていると、はるか遠くの陸の灯りが見えました。そしてその灯りがゆっくりと下に移動して見えなくなりました。
しばらく見続けていると、窓の下から明かりがゆっくりと上に移動して、やがて窓の上に消えて行きます。

つまり、恐ろしく船が左右に傾いているのです。その揺れのスパンが大きいので正面を向いていると揺れているのに気づかないのです。
その揺れに気づいたら急に怖くなり、転がっている空き缶を探し出してゴミ箱に捨てました。
出港してから15分も経っていないのにこれです。津軽海峡に出たらどうなるのだろうとドキドキしていました。

船員さんがたまに通りますが、いつ「お客様、救命胴衣を着けて下さい。本船は何の問題も無く航行していますが、万が一に備えての事です。大丈夫です」なんて言われるのだろうかと心配していました。

冬場に乗ったのはあの時だけなので、きっとあの程度の揺れは当たり前なのだと思います。船酔いもしませんでしたし。
結局何事も無く、深夜の青森港に無事到着しました。

今になって、あの時は洞爺丸の事を知らなくて良かったなと。
知ってたら、恐怖が倍増していただろうなぁと思います。

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