ガス抜き1

昨日のことですら、朧げにしか覚えていないから、先週のことはするっとまるっと忘れてしまっている。覚えていたら過去を探訪することもできるけれど、忘れているからには過去と未来は限りなく対称的で、時間旅行はいつでも楽しい。最近は自分の年齢も怪しくなってきて、現在すらぐらぐらと揺れはじめているわけだが、それを他人に悟られると厄介なので、日頃は平然を装っている。近いうちに、時間軸を超越して静止した存在になれるかもしれない。スマホがなくなったら、曜日からなにから分からなくなってしまいそうだ。きっと、大切じゃないから、忘れてしまう。では、私はなにを覚えているのだろう。スマホが水曜日だと言うから、今日は水曜日でした。


架空のマナー教室があったとして、人から褒められたときの応対を教えてほしい。色々と嬉しい言葉をかけられているのに、それを受け取り損ねている気がする。再配達を頼むのは忍びない。最近まで、褒められたって自分のトクになることなんて1ミリもないと思っていたけれど、褒める側からすれば、褒め言葉を受け流されたら、さぞ手応えがないだろう。自分が人を褒めるときにも、それが相手にとってどの程度嬉しいのか、見当もつかない。褒めようが褒めまいが、良いものは良いわけで、そのように生活は進んでいくけれど、でももし私が褒めることにも意味があるのなら、その言葉は対象にどのように作用するのだろう。あまり考えたことがなかった。


デートをしたいと口では言うけれど、道端にハートが落ちているはずもなく、トボトボと歩いて家に帰る。

「ねぇ、明日デートしようよ。」
「えっ、嬉しい。何する?」
「デートしようよ。」
「だから、デートで何するの?」
「デートはデートだよ。デートをしようよ。」
「もう、面倒くさい人嫌い。」

ここまで会話が一直線に進んで、どこかの誰かに一直線に嫌われて、私はデートに辿り着けない。私にとって、デートという言葉の解像度はそんなものだ。だったら、デートとは何かについて考えるデートがあってもいいじゃない。そんなことを言い出す面倒くさい人、私も大嫌いだ。そういえば、今日は水曜日だっけ?

「ねぇ、明日木曜日しようよ。」
「えっ、うん、木曜日だけど。何する?」
「木曜日しようよ。」
「だから、木曜日に何するの?」
「木曜日は木曜日だよ。木曜日しようよ。」
「もう、面倒くさい人嫌い。」
「じゃあ、明日は日曜日にする?」

このほうが私らしいかも。明日は日曜日にしようかな。仕事あるけど。そして、明日が日曜日だって言い張る面倒くさい人、私は大好きです!