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天才音楽家・山本直純に想いを馳せる夏〜生誕90年&没後20年に寄せて〜

"山本直純(やまもと・なおずみ)"という人を思い浮かべることのできる方はどれくらいいるだろうか。実際に目の当たりにしたのは今や一定の年齢層に留まってしまっているのではないか。かく言う自分自身も全然世代では無い。

さて、山本直純は昭和の後半から平成前半にかけて作曲家・指揮者・司会者とマルチに活躍した音楽家だった。1932年生まれでちょうど今年が生誕90年ということになる。しかし、彼は早くにこの世を去ってしまった。2002年(69歳)のことである。今年が奇しくも没後20年の節目を迎えている。
整理してみると、2022年は彼の生誕90年&没後20年の2つのメモリアルか重なったということになる。
そんな中で彼の功績と偉業を称え振り返るコンサートが川崎と東京で開催された。その2公演で演奏を務めたのが新日本フィルハーモニー交響楽団であるが、山本直純と新日本フィルは切っても切れない関係がある。まずはそこから書き記していきたい。

山本直純と新日本フィルの関係

新日本フィルハーモニー交響楽団が設立されたのは今からちょうど50年前の1972年9月のことである。当時、とあることにより(詳細は長くなるので省略)日本フィルハーモニー交響楽団の楽員が分裂し、行き場を失っていた者たちに声を掛けて創立したのが始まりで、その声を掛けた人物というのが小澤征爾と山本直純だった。兼ねてから直純は、小澤征爾に対して「お前はヨーロッパに行って頂点を目指せ。俺は日本に残ってクラシック音楽の裾野を広げて、お前(小澤)が指揮できるオーケストラ(=新日本フィル)を用意しておくから」と話しており、小澤征爾のために山本直純が作ったオーケストラが新日本フィルであったということになる。
そして、1972年から始まった自身が司会を務める音楽番組(後述)に積極的に出演させるなどして知名度をあげていった。その後も様々な指揮者と共演を重ねて成長を遂げ、今年(2022年)にめでたく創立50周年をむかえることとなる。
即ち、山本直純生誕90年&没後20年と新日本フィル50年でトリプルでアニバーサリーイヤーが重なった。

50年前の結成演奏会のポスター(筆者撮影)

ミューザ川崎で奏でた直純音楽のオンパレード!

 1公演目は、神奈川県川崎市のミューザ川崎シンフォニーホールで2005年から開催されている夏の音楽祭 フェスタサマーミューザKAWASAKI2022の中の1公演として、8月3日に『新日本フィルハーモニー交響楽団 "山本直純生誕90年と新日本フィル創立50年を祝う!"』と題して行われた。通称”サマーミューザ”にはコロナの関係もあり私的3年ぶりに訪れた。

この公演は直純さんの幅広い作曲作品を通してその業績を振り返ろうという企画趣旨。
(この日、本来は広上淳一さんが指揮を務める予定だったが公演の数日前に新型コロナに感染してしまったために、梅田俊明さんに変更となった)

コンサート前には直純さんのご子息で長男の純ノ介さんと次男の祐ノ介さんを交えたプレトークが行われ、"父親としての直純像"や"音楽家としての直純像"など素顔を垣間見るエピソードが白熱し、20分間では物足りない何時間でも聞いていたいひとときだった。

8月3日公演プログラム

この公演前半のハイライトは"和楽器と管弦楽のたむのカプリチオ"だったように思う。三味線・尺八・和太鼓・小鼓・竜笛の和楽器に、ドラムセットとギターの洋楽器にオーケストラが組み合わさるというこの日一番の大編成。
曲調もジャズ調やロック調、ドラムソロなどなど様々なものが盛り込まれた。まさに楽器も曲調も色々な要素が詰め込まれたカプリチオ!直純さんがやりたかったことの全てが表現された壮大な1曲だった。ちなみにこの曲は、1963年に日本フィルシリーズ(日本フィルが委嘱し新作を発表するプロジェクト)の一環として書かれている。また前回の東京五輪の前年に発表されているというのも興味深い部分である。

休憩を挟み後半は、東京音楽大学合唱団有志の皆さんが加わって歌入りの曲が披露された。
最初は児童合唱曲の傑作と言っても過言ではない、児童合唱と管弦楽のための『えんそく』の中から"第1曲 光る"と"第3曲 おべんとう"の2曲が演奏された(本来は全5曲からなる組曲)。今回は児童合唱ではないものの、情景を浮かべやすいハツラツとした明るさに富んだ曲調は直純イズムが随所に表れた好演となった。

次いで、寺山修司作詞の合唱曲『田園、わが愛』が演奏されるはずであったが、東京音大合唱団メンバーの中に新型コロナ感染者が多く発生したことにより人数が削減されたため演奏は見送りとなってしまった。(直純さん自身も愛した渾身の曲というだけに是非とも聴いてみたかった。是非10年後の生誕100周年記念の折にリベンジを望みたい!)

1曲飛ばして続いては、直純さんが数多く遺した童謡作品から、1年生になったら・こぶたぬきつねこ・おーい海・歌えバンバンの4曲メドレー。この部分のみプレトークにも登場されたご子息の山本祐ノ介さんが(直純さんのトレードマークでもあった)赤いタキシードを着て指揮。
オーケストラアレンジで豪華絢爛にな仕上がりとなり、歌声の明瞭さと耳に残る明るい曲調がロングセラーの所以であることを改めて実感し、一瞬ほっこりとするステージとなった。
父・直純さんを彷彿とさせるダイナミックな指揮姿に直純さんが帰ってきてくれたように錯覚するようなひとときだった。

次はこの日唯一の山本直純作曲"では無い"曲。奥様で作曲家でもあった山本正美氏のスプリング・ハズ・カム。

この後からは山本直純の真骨頂でもあった幅広く多岐に渡った楽曲のオンパレードへと突入する。
まず、1972年開催の札幌冬季オリンピック入場行進曲『白銀の栄光』から。当初は吹奏楽版で発表された本作であるが、後に本人自らが編曲した管弦楽版で演奏。コミカルな中にも行進曲としての勇壮さも併せ持ち、貴重な管弦楽版ならではの重厚な響きも味わうことができた。

直純さんはNHK大河ドラマの音楽を2回担当している。1作目が『風と雲と虹と』と今回演奏された『武田信玄』である。これぞ大河ドラマ!といえる勇ましさと壮大さを感じる作品で、改めて作曲の振り幅の大きさを痛感させてくれた。

ラストは「CMソング・TV・ラジオ番組メドレー」(山本祐ノ介編曲)。一定の年齢より上の方にはドンピシャというタイトルの並んだ豪華8曲メドレー。曲目は以下の通り。

・森永エールチョコレート(大きいことはいいことだ!で有名なテレビCM)
・サントリー純生(テレビCM)
・8時だょ!全員集合(バラエティ番組テーマ)
・マグマ大使(特撮アニメ主題歌)
・3時のあなた(ワイドショー番組テーマ)
・小沢昭一の小沢昭一的こころ(ラジオ番組テーマ)
・ミュージックフェア(現在も続く音楽番組)
・男はつらいよ(大ヒットドラマ・映画)

名曲を余すところ無くふんだんに使い、切れ間なく続いていき最後には"男はつらいよ"(寅さんのテーマ)で和やかに締めるご子息の祐ノ介さんならではの名アレンジ!

アンコールは再び東京音大合唱団のメンバーが登場し、川崎にゆかりのある曲 "川崎市民の歌『好きです かわさき 愛の街』が演奏された。
この曲は、川崎市制60周年記念として1984年に山本直純が作曲したもの。現在では市内各地の合唱団が歌い継いでいるほか、Jリーグ川崎フロンターレの応援歌、一般には市内を走るゴミ収集車から流れる音楽として市民に定着していたりする。ファンファーレから始まって単調のマーチ調で進行し、後半は長調へと転調し明るく清々しく締めくくられる。
川崎の地で山本直純という作曲家をトリビュートするコンサートのラストにふさわしい大団円となった。


新日本フィルの本拠地すみだで振り返る"オーケストラがやっと来た?"

記念企画2公演目は、東京都墨田区のすみだトリフォニーホールが夏の恒例企画として9年目を迎えた、下野竜也プレゼンツ 音楽の魅力発見プロジェクトの第9回目として行われた。
タイトルはその名も『讃・山本直純没後20年 オーケストラがやっと来た』である。
なぜこのタイトルかというと、1972年〜1983年まで約10年間に渡ってTBS系列で全国放送された"伝説の音楽番組"と言われる『オーケストラがやって来た』をもじったものだ。この番組は、山本直純が企画構成・音楽監督・指揮・司会とマルチにこなし、クラシック音楽とバラエティを融合させて魅力を伝えた番組であり、クラシック音楽の裾野を広げることに貢献した大偉業でもある。

今回の公演はこの伝説の番組"オケ来た"の名企画を直純作曲の正統派なクラシック作品とともに振り返るという企画であった。

前半は純・クラシック作品から2作品。
1曲目は、1972年の札幌冬季オリンピック入場行進曲 白銀の栄光で勇壮に幕開け。(曲の詳細については先述の8/3公演の項目をご参照を)
2曲目は、交響譚詩「シンフォニック・バラード」だ。
前述した"オーケストラがやって来た"の番組終了に伴って当時レギュラーオーケストラとして出演していた新日本フィルハーモニー交響楽団(今回のコンサートの演奏も務める)の委嘱作品として作曲された。全4楽章からなる構成でそれぞれの楽章のサブタイトルには、"〜ンス"と付く共通点がある。ユーモア溢れる色彩感の中に、”オーケストラがやって来た”のテーマ曲の変奏や断片のフレーズが散りばめられている部分もあり、当時の新日本フィルの楽員の顔を思い浮かべて書いたというだけに直純流の思いが盛り込まれた作品となっている。
今回の指揮者 下野竜也のコンサート中の解説で、”スコア(総譜)を読み込むと泣けてくるフレーズがたくさんあって、直純先生は作曲しながら泣いていたのでは…"と語っていたように、軽快なフレーズが出て来たと思えば自身が葬送行進曲と名付けた物悲しいフレーズも出てくるなど感情の起伏が激しい一面もある。番組に対して終わってほしくないという切実な思いも込めて書かれたのではないかと想像する。

8月6日の公演プログラム

休憩を挟んで後半は、オーケストラがやって来たの名企画を再現し、その功績を振り返るパートへ。
パイプオルガンの前に掲出された巨大スクリーンに小澤征爾氏が指揮する当時の懐かしの映像が映し出され、後半が始まった。

映像が終わった後、長髪(カツラ)で口髭と黒縁メガネに赤いタキシードを纏った山本直純に扮した下野マエストロが登場し(会場大爆笑)、映像の中でも演奏されていたオケ来たのテーマであるJ.シュトラウス(山本直純編曲):常動曲のアレンジが実際に演奏され、〜♪オーケストラがやっと来た〜♪とパロディーで歌って当時を再現した。(当時の様子は上記リンクの動画を参照して頂きたい)

続いては、山本直純編纂による「オーケストラのデモンストレーション」が演奏された。この曲は、様々な名曲を組み合わせて解説しながら楽器を紹介していくオーケストラやクラシック音楽入門者に向けた直純流の趣向を凝らしたものとなっている。もちろん”直純流”というからにはダジャレやジョークがたくさん飛び出し連発していたそうであるが下野マエストロは今回そこまで忠実に再現(下野流のエッセンスも織り交ぜながら)し、面白おかしく解説を交えて笑いあり涙ありの楽しいステージが繰り広げられた。
また、途中には直純さんの指揮で演奏し現在も新日本フィルに在籍する楽員の直純エピソードトークも展開された。”無茶振りな急な変更は日常茶飯事で…"などの苦労話や”直純さんのオーケストラへの愛情”などの愛に溢れる話もあり、その人情深い人柄を垣間見るエピソードもあり心温まる場面もあった。

巨大スクリーンが掲げられた開演前の様子(筆者撮影)

次に”オケ来た”番組内の名物企画であった「1分間指揮者コーナー」が再現された。これは当時、著名人や文化人がゲストで招かれて指揮台に立ち1分間だけクラシックの名曲を指揮するという企画。これも巨大スクリーンに当時の映像が映し出され、布施明、林家三平(先代)、手塚治虫などの豪華ゲストが指揮していた様子が紹介。
そして、下野マエストロの発案で”直純先生と最も深く接していた方にお手本を見せて頂きます!”と言うと、今回はチェリストとしてオーケストラに参加していた御子息で次男の山本祐ノ介さんが指揮台に招かれた(3日の公演では当初から指揮者として登場していた)。課題曲として提示されたブラームス:ハンガリー舞曲第5番を父親さながらのダイナミックな指揮で圧倒して見せた。
その後に客席から1名参加者を募って挑戦してもらったが、その方も的確で見事な指揮を披露してくれていた。

プログラム最後は、山本直純の編曲の妙を味わうという趣旨でドヴォルザーク:ユモレスクが演奏された。もちろんこれも直純流なので単にユモレスクを管弦楽編曲しただけのものではない。冒頭は原曲のメロディーが聞こえてくるが、次第にフォスターの民謡の旋律が聞こえ出し、続いてユモレスク原曲の旋律と融合していくというこれぞ天才しか成し得ない凄技を堪能することができた。

公演プログラム表紙

直純さんがかつてオーケストラに撒いた"愛情"という名の種を50年後に新日本フィルが演奏を通して汲み取り、直純さんが描いたであろう想いを下野竜也さんが(直純さんに扮して)メッセージとして後世に伝え、生誕90年&没後20年にふさわしい大輪の花を本拠地すみだトリフォニーホールで咲かせた。


山本直純という天才音楽家が遺したもの〜生誕100周年の未来に向けて

年々増える山本直純コレクション

没後から20年という月日が経ち、実際に彼を目の当たりにした世代も一定の年齢層に留まり、我々のような若年層にとっては存在自体を知らなかったり忘れ去られてきている。
筆者自身が山本直純という音楽家にこだわる理由として、全然世代ではないからこそ、作品の素晴らしさや彼のクラシック音楽とオーケストラへの愛に対して共感やリスペクトを感じているから。
リアルタイムでその凄さを目の当たりに出来なかった反動もあるかもしれない。

直純音楽の特徴として、日本人の心にスッと入り親しみやすく耳に残る音楽という印象を受ける。象徴的な例を挙げるとするならば、男はつらいよ(寅さん)のテーマ音楽ではないかと思う。一音目が鳴っただけで、"あ、寅さんだ!"と思い起こさせ情景が浮かんでくる。1発の音で人々の心を掴むことのできるのは並大抵では無く、これこそ天才というべき人が成せる技であるとひしひしと痛感させられる。

今回の生誕90年&没後20年という節目に、再評価するチャンスが巡ってきていると感じている。この夏だけでも関連する記念企画が2公演開催され、改めて山本直純という音楽家にスポットが当たり功績や作品の素晴らしさを振り返る機会が出来たことを非常に感慨深く思っている。公演当日は日中の猛暑やコロナ第7波の影響もあり正直なところ集客があまり振るわなかった。(欲を言えばもうすこしメディアが取り上げてほしかった…)

10年後の生誕100周年&没後30年の2032年にはコロナ禍が明け平和に満ちて、たくさんの人々が集い盛大にアニバーサリーイヤーをお祝いできる世の中であってほしいと切に願ってやまない。

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