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七年傷

雨後の筍。
春、雨の度に暖かくなってゆくそして筍もよく出て来る。
雨が降らないとなかなか出て来ないが一度降れば次から次へと。
竹藪にて腰を下ろし筍を定点観測すると面白い。ジッと視詰める先のそれは、少しづつ伸びているのだから。特に目線の高さ辺り迄来ればよく分かる。なんという成長の速さなのかと。淡竹がとりわけ判り易い。
が、そんなに伸びたら筋張ってしまうしエグ味が強くて食用にはならぬのだけれども。、。

筍の灰汁取りには、色々な方法があり一般的には糠とか米の研ぎ汁とか椿の葉とかと一緒に煮るのだけど、我が家では鷹の爪と一緒に鍋の中へ。そして湯がぐらっと沸いたら終わり。決して煮てはならず驚かす程度。
そういう事なので、しっかりとエグ味が残るし食べ過ぎると胃に負担がかかる訳だが長年食べ慣れたから余所で食べたり処理済みの貰い物だと物足りなく感じる。春の山菜は苦味やエグ味を味わうものだと思えばアクの抜き過ぎは台無しだろう。

6歳頃、近所の小母さんから、筍を食べ過ぎると七年傷になるから気を付けなさいという話を聴かされ恐ろしくなって13歳位まで食べる事が出来なかった。
どうやら、現在の様に食料が豊富で無かった頃の話で、産後の肥立ちがその後の母の命を左右するから産後の不安定な時期に筍を食べ過ぎると胃が悪くなったり消化不良で母体に良くないので産道の傷が治り難いという事らしいが、ヒトケタの子供にそれは理解出来ず、自分も怪我が七年も治らないのだと思った。
今でいうトラウマ。
急に筍を食べなくなった自分を不思議に思ったらしく理由を話すと腹を抱えて笑う大人たち、こちらは実際問題、直ぐに転ぶし知らぬ間に傷が出来るから七年傷なんて恐ろしいから必死だった。
成長と共に悪知恵が更に働く様になりある時、怪我をしなければ傷つかないなら食べても問題無いと自分の中で訳の分からない屁理屈を捏ねて捏ねて食べた。食欲には敵わなかっただけだが、あの時の恐怖と食欲のせめぎ合いの後、口にした筍の食感と味は忘れる事は出来そうに無い。

長年のトラウマは見事取り去り、いまでは平気の平左。幼少時より好んで食べるのは穂先。

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