見出し画像

星空の血の雫

夜空に人工衛星を見たことがあるだろうか?

えっ、人工衛星って肉眼で見えるの?と思われる方も多かろう。案外簡単に、見える。国際宇宙ステーションなど大型ものは相応に明るいため、大都市でも簡単に見える。

もっとも見やすいのは夕方、日が沈んでから数時間だ。星のような光が、音もなく一直線に夜空を駆け抜ける。もし点滅せず音も聞こえなければ、それは飛行機ではなく人工衛星である可能性が高い。数秒でスッと消えてしまう流れ星とも明らかに違う。

そういつも見えるものじゃないから、偶然見つかると四葉のクローバーのような嬉しさがある。人が造ったものがあんなに空高くを飛んでいるなんてすごいなぁと思うし、国際宇宙ステーションの場合はあの小さな光の粒の中に人間が乗っているのかと思うと想像力が膨らむ。

コロナの巣篭もりがはじまってほぼ二ヶ月。先月書いた「おうちキャンプ」がほぼ日課になった。夜に寝袋を庭に敷き、ミーちゃんと一緒に寝転んで星を見る。それだけなのだが、自分の庭なのになんだか非日常感があって楽しい。先日、いつものように二人で空を見上げていると人工衛星が空を駆けるのが見えた。明るい。北に見える北斗七星の星々と同じくらいなので、2等星といったところか。

「あ、ミーちゃんあれ、人工衛星!」

興奮する僕が指差す先をミーちゃんは不思議そうに見つめる。

「ジンコウエイセイって、ほしなの?」

良い質問だ。本やネットで見せた人工衛星の形と、今見ている星のような光の点は全く異なる。教育パパが絶好の機会と思って講釈を垂れ始めてからほとんど経たないうちに、今度はミーちゃんが空を指差して興奮した声をあげた。

「あ、またジンコウエイセイ!」

え、そんなはずはない。人工衛星なんてそんなに立て続けに見えるもんじゃない。きっと飛行機と間違えているのだろう。そう思ってミーちゃんの指差す方向を見てみると、たしかに別の人工衛星が飛んでいるではないか!

まあ、四つ葉のクローバーが続けて見つかることもある。今晩は運がいいなあ、と思っていたら、なんとまた来た!そしてもうひとつ!ミーちゃんは喜んで、

「ろく、なな、・・・」

と数えている。まるで通勤ラッシュ時の踏切みたいだ。しかも全て同じ軌道を通っているようで、夜空の同じ方角から現れ同じ方向へ飛んでいく。

寝る時間だったので切り上げて家に戻った。15個ほどは見えただろうか。ミーちゃんは「ジンコウエイセイがいーっぱいみえたよ!」と嬉しそうにママに報告していた。だが、僕の心にはある懸念が湧き始めていた。

---

ミーちゃんが寝る支度をしている間、僕は急いでパソコンを開いて調べた。あっさり見つかった。見えた時間、方角、明るさ、すべて一致する。間違いない。

あれはStarlink(スターリンク)だ。

Starlinkとは、イーロン・マスク率いるSpaceXが構築している衛星インターネットシステムだ。地球の隅々まで宇宙から高速インターネットを提供する。それがビジョンである。そのためには「メガ・コンステレーション」が必要になる。つまり圧倒的多数の人工衛星を低軌道に投入し、「いつでも・どこでも」を実現する。

では、人工衛星はいくつ打ち上げられるのか?現在の計画では、12,000基である。これは人類が現在までに打ち上げたすべての人工衛星の数(約8900基)よりはるかに多い。現在までに420基が打ち上げられている。ミーちゃんと見たのはその一部である。

地球の空が12000の2等星で覆い尽くされる…。その想像に僕は寒気がした。2等星より明るい星は全天で88しかない。光害の全くない僻地でも、肉眼で見える星は8600だ。もちろん、星と同じように、12000基のすべてが常時見えるわけではないが、「いつでも・どこでも」インターネット接続を提供するためには、いつでも・どこからでも一定数の衛星が空に見えている必要がある。高速道路に迷い込んだ蛍のように、星々はStarlinkに圧倒されるだろう。これまでだったら、美しい星空を求める人は遠くの島や山に行けばよかった。これからは、地球のどんな僻地に行こうと、Starlinkから逃げられないのである。

画像1

チリのセロ・トロロ汎米天文台での観測中に偶然写り込んだ19基のStarlink衛星の光跡。
Credit: NSF’s National Optical-Infrared Astronomy Research Laboratory/CTIO/AURA/DELVE

12000機のStarlinkが打ち上がった後の夜空のシミュレーション。ただし見える数と位置を示すのみのもので、明るさは正確ではない(おそらく誇張されている。)。

もっとも、厳密にいえば「いつでも」というわけではない。人工衛星が空に明るく見えるのは太陽光を反射する日の出前・日没後の数時間に限られる。だから夜遅くまで待てばStarlinkはおそらくは肉眼で見えなくなる。そしてSpaceXもこの問題に対してそれなりの対策をしている。これまでに打ち上げた420基のうち1基を黒く塗装し、太陽光の反射を抑えるようにした。しかし0.8等しか暗くならなかった。そこで今度は衛星にサンバイザーを付けた上で、衛星が明るく見える時間帯は姿勢を変えて太陽光がバイザーにブロックされるようにする。こうすることで、「肉眼では見えなくなるほどまで暗くなる」とSpaceXは主張している。

しかし懸念は残る。SpaceXはこれまでこの問題に対して過度に楽観的だったからだ。2019年5月に最初の60基が打ち上げられた直後、上がる懸念の声をイーロン・マスクは「星が見える時間帯には衛星は見えない」と一蹴した。ところがすぐに世界中から「スターリンク・トレイン」を見たという報告が相次ぎ、天文台での観測にもStarlinkの衛星が写り込んで、天文学者から大きな懸念が上がる。

そこで2020年1月の3度目の打ち上げの時に1基だけ実験的に黒く塗った。打ち上げ前に「目立った効果がある」とSpaceXは主張していた。しかし蓋を開けてみれば効果は限定的だった。そこで現在、サンバイザーを取り付ける設計変更を行なっている、という経緯である。今度こそ、SpaceXが言う通りの効果があれば良いのだが。

そしてSpaceXはこの間にも対策のなされていないStarlink衛星を打ち上げ続け、その数は420に達した。次の60基の打ち上げは、このメルマガが出る数日前の5月17日に予定されている。

僕はこの問題はいづれは技術的に解決可能なものだと思っている。SpaceXも懸念の声を無視しているわけではない。

だが、それでも僕の腑に落ちないのは、あくまでSpaceXが星空よりもビジネスを優先させているように思えることだ。どうして、最初の60基を打ち上げて問題が指摘された後や、黒い塗装の効果が薄かったことが分かった後も、打ち上げを継続したのだろう。試験衛星をピギーバックで1基ずつ打ち上げ、効果を確認したのちに60基づつの打ち上げに戻すのが筋ではなかろうか。つまりは、星空よりも12000基のメガコンステレーションを完成させることが最優先なのだろう。もしサンバイザーが期待通りの効果をあげなくても、打ち上げは予定通り続けるのだろうか。

何よりも僕が悲しいのは、宇宙を目指す者たちが星空よりもビジネスを優先させている現実である。かつて宇宙に魅せられた子どもたちが、現代の世界中の子どもたちから宇宙に魅せられる機会を奪うかもしれない可能性に対し、真摯に向き合っていないことである。

僕も星空に魅せられた子どもの一人だった。5歳の頃、僕は父が買ってくれた望遠鏡ではじめて星空に触れ、宇宙の虜になった。星の美しい冬の夜には父と白い息を吐きながらベランダに出て、カイロで手を温めながら星を眺めた。遠くに旅行に行く時も必ず夜に星空を眺めた。はじめて見た天の川。流れ星。深い静寂。無数の星々。じっと見ていたら吸い込まれてしまいそうで、その美しさは怖いとさえ思うほどだった。

そもそも、人類の科学は星空から生まれた。完全に規則的な星々の運行、その中にあって5つの惑星だけはなぜ一見不規則な運行をするのか。古代の哲学者がそれを理解しようと思索を重ねたことが、科学の礎の一つになった。SpaceXのロケットも人工衛星も、その礎の上に立っているのである。

我々は今一度、星空に対して、自然や宇宙に対して、謙虚になるべきではなかろうか。公害により多くの人を苦しめ自然を傷つけてきた経験から、我々は何も学んでいないのだろうか。そして未来の子どもたちは、空に輝く星々に気づきもせず、宇宙から提供されるインターネットでYouTubeやオンラインゲームに浸って夜を過ごすのだろうか。星空が消えても誰も公害病になることはなかろう。困るのは星を目印に飛行する渡り鳥くらいだ。だが、これまで何万年も人間の魂の奥深くにあった「何か」が、すっぽりと抜け落ちてしまうような気がしてならない。その「何か」は果たして、インターネットよりも重要ではないものだろうか。

まずはSpaceXの対策がちゃんと機能することを祈ろう。僕が小さい頃に父と星空を見上げた美しい思い出。それが、ミーちゃんの子や、孫や、ひ孫の世代にも受け継がれるものであってほしいと、僕は切に思う。


参考情報:
・ 実際のスターリンク・トレインの映像はYoutubeに多くアップロードされている:https://www.youtube.com/results?search_query=starlink+train
・ 実際に自分で見てみて、この問題について考えてみてほしい。スターリンク・トレインを見ることができる時刻や方角はこのページから知ることができる:https://findstarlink.com/
・ SpaceX側の光害対策についての説明:https://www.spacex.com/news/2020/04/28/starlink-update


【AI4Marsプロジェクト】

AI4Mars: https://www.zooniverse.org/projects/hiro-ono/ai4mars?language=ja

画像2

小野さんが始められた、誰でも自宅からNASAの火星探査に参加できるプロジェクトです!キュリオシティが撮影した画像に「砂」「岩」などのラベル付けをすることで、小野さんが開発している火星向けの地形判別アルゴリズムが「賢く」なり、火星ローバーの安全性の向上に役立ちます。誰でも参加できます。専門知識は不要で、小学校高学年のお子様でも大丈夫です。日本語の説明ビデオもあります。

みんなでAI4Mars with 宇宙漫談
毎週土曜日21:30, YouTube Live

画像3

過去のプレイリスト:https://www.youtube.com/playlist?list=PLXFkLebY3z7KmjzNDFbSSJubmhAxh8oh6
【みんなでAI4Mars with 宇宙漫談 エピソード2〜ヴォゴンの攻撃】
5/23放送リンク: https://youtu.be/TGbcF4_TQ0A

小野さんによる週刊のYouTube Liveが始まりました!小野さんがゆるりと繰り広げる宇宙漫談を聴きながら、上記のAI4Marsをみんなでやろうという企画です。火星ローバーの話からアルテミス計画、エウロパ探査まで、非常にディープな宇宙の小ネタが満載です!



画像4

小野雅裕、技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。

ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?