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パパのロボロボ、 火星へ旅立つ

前日の夜は心配であまり眠れなかった。半分は寝過ごして見逃してしまう心配。もう半分はロケットが爆発して全てが海の藻屑になってしまう心配だった。

15年前、22歳だった僕は日本からアメリカに渡った。2個のスーツケースには日本食と、身の回り品と、夢がいっぱいに詰まっていた。いつか自分が作った宇宙探査機を宇宙へ飛ばす夢だった。

火星ローバー・パーサヴィアランスの打ち上げは、カリフォルニア時間の7月30日午前4時50分に予定されていた。このローバーには文字通り何千時間も、僕の持てる技術と情熱の全てを注いできた。15年もかかってしまった。たった一つの夢を叶えるために15年。その間、僕は結婚し、娘を授かった。そして37歳になった。

僕が子供の頃、忌野清志郎さんの「パパの歌」という曲があった。当時は忌野清志郎さんを知らなかったし「忌野」なんて漢字も読めなかったが、みんなの歌か何かで流れていたので知った。あの両生類みたいな独特の声でこう歌う。

働くパパはちょっとちがう
働くパパは光っている
働くパパはいい汗かいてる
働くパパは男だぜ

今の時代ならば働くママも光っているとなるだろうが、いづれにせよ、親は仕事で頑張っている姿を子どもに見て欲しいという願望が心のどこかにあるものだ。

娘のミーちゃんが生まれてすぐの頃、こう思ったことを覚えている。

「ローバーが打ち上がる頃、この子は4歳だな。」

それからずっと、僕は楽しみにしていた。2020年の夏には一家でフロリダのケープ・カナベラルへ行き、パパのローバーを載せたロケットが宇宙へ飛び立つのを一緒に見るんだ。働くパパの晴れ舞台を見てもらうんだ。ずっとそう思っていた。

こんなことになろうとは、僕も、ミーちゃんも、世界の誰も想像していなかった。

アメリカは今、パンデミックの世界的中心だ。この原稿を書いている8月9日の時点で感染者500万人、死者16万人を数える。パーサヴィアランスが打ち上がるフロリダは、アメリカでもとりわけ感染が激しい地域である。そんな場所に家族を連れて行くのは、どう考えてもできない。だから打ち上げは画面越しに見る他なかった。

打ち上げの前日。NASAのWebページの”Send your name to Mars” (あなたの名前を火星に送ろう)キャンペーンで作った「火星へのボーディング・パス」を白黒プリンターで印刷してあげると、ミーちゃんは喜んで色を塗り始めた。塗りながら、ミーちゃんがこう言った。

「あした、ミーちゃんもパパのロボロボがうちゅうにいくのをみるから、おこしてね!」

それを聞いた時、僕は本当に嬉しかった。15年越しの夢が叶うこと自体よりももっと嬉しかったかもしれない。ミーちゃんは僕の仕事を理解してくれている。そしてそれを見たいと言ってくれているのだ。忌野清志郎の歌が頭の中に流れた。とても誇らしく感じた。寝る前、ミーちゃんは可愛らしく色を塗った家族三人分の火星行きのボーディング・パスをソファーに置いて(座席指定のつもりだったらしい)、ベッドに入った。

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翌朝4時。浅い眠りのまま目覚ましが鳴り、僕は布団を出てインターネットのストリーミングをつけた。打ち上げまで50分。準備は順調に進んでいる。ミーちゃんを起こすのは直前でいい。そう思っていたら、4時半頃に珍しく地震があった。地球もカウントダウンに参加したいらしい。おかげで僕が起こさずとも妻とミーちゃんが起きてきた。

10分前。地震によるJPLの被害はなく、カウントダウンは予定通り続けられた。天気は90%の確率でGoと報告された。

5分前、ロケットが内部電源に切り替え。

最後は家族で声を合わせてカウントダウンした。

10, 9, 8, 7, 6, 5, ...

ロケットが眩い炎に包まれ、空へと飛び出していった。ミーちゃんはボーディング・パスを片手に持ちながら大はしゃぎしていた。僕は不安で息もできなかった。

10分ほどしてロケットが地球周回軌道に乗り、第一回目の燃焼終了。30分後に第二段ロケットのエンジンが再着火され、パーサヴィアランスは火星へ向かう軌道に乗った。トラブルひとつない、完璧な打ち上げだった。

パーサヴィアランスとは、日本語で「忍耐」という意味だ。今、人類を代表して火星に旅立つローバーの名として、これほどふさわしい名前はないだろう。世界中の市民が何かを我慢し、日常生活の何かを犠牲にして、見えないウイルスとの戦いに加わっている。この戦いは忍耐力の勝負だ。ウイルスとの我慢比べだ。忍耐力で人類はウイルスに勝つのだ。

将来、ミーちゃんはこの日のことを覚えていてくれるだろうか。きっと、覚えていてくれると思っている。そして将来、この日のことを振り返った時、きっと分かってくれるだろう。15年の忍耐の末に叶えたパパの夢。そして人類が苦しい時代を共に耐え抜き克服したことも。

行け、パーサヴィアランス。火星で大活躍して、人類の夢はウイルスなんかに負けないことを証明してやるんだ。

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打ち上げや着陸の時にピーナッツを食べるというJPL流の「願掛け」がある。ミーちゃんと千葉県産のピーナッツをつまみながら願を掛けた。



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小野雅裕、技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。

ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

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