見出し画像

火星での「はじめてのおつかい」〜パーサヴィアランス初の自動走行の裏側

火星ローバー・パーサヴィアランスの自動走行が、ついに始まった。僕が2年をかけて書いたプログラムが数億km彼方で動いていると思うと感慨深い。

ざっくり言うと、ローバーには手動走行モードと自動走行モードがある。手動走行は子どもが親と手を繋いで歩くようなものだ。ローバーは火星でひとりぼっちだが、地球にいるオペレーターがどこを走りどこで回転するかを全て指示する。

一方、自動走行は子どもが一人でおつかいに行くようなものだ。オペレーターは目的地と立ち入り禁止の場所だけを指定し、あとはローバーが自分で経路を決めて走行する。

画像1

NASA/JPL

大切な我が子にいきなり一人でおつかいに行かせる親はいなかろう。大切なロ―バーのはじめての自動走行も、慎重に、段階的に行われた。

最初はローバーをわざと岩に向けて手動で走らせ、ちゃんとその前で自動停止するかをテストした。もし失敗してもローバーに害のない小さな岩が選ばれ、小さな岩でも自動停止するように認識のスレショルドを下げてのテストだった。

次が初の自動走行。ただし、ほとんど障害物のない安全なテストゾーンで行われる。しかも、間違えてテストゾーンを出てしまったら自動停止するようにコマンドされた。「公園から出ちゃダメよ」と言いつけて子供を遊ばせるようなものだ。目的地までまっすぐ走れれば、このテストは合格だ。

そして最後のテストは障害物のある場所での自動走行だ。目的地がわざと岩の後ろに設定され、ローバーはそれを避けて走らなければいけない。このテストに合格してはじめて、ローバーは一人で「おつかい」に行かせてもらえるようになる。

パーサヴィアランス 初めての自動走行

ローバーと交信できるタイミングは1日に数回しかないため、走行をリアルタイムで見守ることはできない。一度コマンドを送ったら、あとは信じて待つのみだ。たいていの場合、走行は火星現地時間の昼過ぎに行われる。地球にデータが届くのが火星時間の午後4時頃。それを解析してはじめて、テストが成功したか失敗したかがわかる。

テストは一火星日につき一つずつ行われる。地球にいる僕たちは不安な心でデータを待つ。もちろん自信はある。膨大な時間をかけて開発と試験をしてきたプログラムなのだから。でも、おつかいに送り出す親は子がどんなに利口でも「ただいま!」の声を聞くまで不安なものだ。

火星からデータが届く。みんな一斉にデータ解析ソフトを開く。そしてチャットで興奮を分かち合う。「うまくいったみたいだぞ!」「目的地にちゃんと着いたみたいだぞ!」と。

パーサヴィアランスは涼しい顔で全てのテストを一発クリアした。「はじめてのおつかい」も難なく成功。そして7月2日に行われた二度目の「おつかい」では109メートルを自動で走り、オポチュニティが保持していた火星での一日あたり自動走行距離の記録を塗り替えた。まるで地球にいる過保護なオペレーターたちに「心配しすぎなんだよ」と言っているみたいだ。火星から成功の知らせが届くたび、僕たちは宇宙のはるか遠くにいる「我が子」を余計に頼もしく感じる。

画像2

NASA/JPL

ミーちゃんが保育園を卒業した。アメリカでは小学校の前の1年も義務教育なので(Kindergartenの頭文字をとってGrade Kという)、5歳で保育園は終わりなのだ。

ミーちゃんは最初の1年を日本の保育園、その後3年をアメリカの保育園で過ごした。はじめて保育園に連れて行った日のことを今でもよく覚えている。1歳だったミーちゃんは、まさかパパとママに置いていかれるとは夢にも思っていなかったのだろう、何が起きているか分からぬまま保育士さんに抱っこされ、泣かずにバイバイした。

その日は1時間だけの「慣らし保育」だった。僕と妻はミーちゃんのことが気になって、保育園の裏に回り、つま先立ちで塀の上から中を覗いた。時折窓からミーちゃんの姿が見えると、二人で「がんばれミーちゃん!」と小声で応援した。(今から思うと通報されてもおかしくないレベルの怪しいカップルである。)迎えに行ったら、恨みのこもったギャン泣きでママにしがみついてきた。

保育園に通いだして間も無く、ミーちゃんは歩けるようになった。手を繋いでいろんな場所を歩いた。ちょうど僕が火星ローバーの自動運転のプログラムを書いていた頃だった。

もう少しすると、公園をひとりで走り回るようになった。プログラムの開発がひと段落し、地上で試験が行われていた頃だ。

そのローバーが火星に着陸し間も無くして、ミーちゃんは5歳になった。

筒井頼子さんの絵本『はじめてのおつかい』では、5歳のみいちゃんがママに頼まれて一人で牛乳を買いに行く。こちらの5歳のミーちゃんは、まだひとりで買い物に行ったことはない。現代のアメリカ社会は過保護なのか、あるいは危険が多いからか、小学校を卒業するくらいまでは一人で町を歩かせることは社会的に許されていない。小学生を一人で電車通学させるなどもっての外だ。2008年、ニューヨークで9歳の子が一人で地下鉄に乗って出かけた「事件」が起きた。それを許した母親はメディアに袋叩きにされ、「アメリカで最悪の母親」のレッテルを貼られてしまった。

だが、5歳くらいの子どもの心には、ちょっとばかりの「冒険」をしてみたい気持ちが自然と芽生えてくる。ミーちゃんを広い公園に連れて行くと時々、僕の手を振りほどいて勝手に遠くへ走って行く。本心はちょっと怖いのだけれども、パパを心配させるためにわざと後ろを振り返らない。僕も心配していないフリをしてわざと追いかけない。親子の意地の張り合いだ。だいたい最後は僕が負けてミーちゃんを追いかける。捕まえるとミーちゃんは勝ち誇ったかのような笑顔を僕に見せる。負けた、と僕は思いつつも娘の成長が嬉しい。火星ではローバーがひとりで「おつかい」に行くようになった。ミーちゃんも日本にいたら一人でおつかいに行けるだろうか。

だが、ローバーに対しては決して持たない感情がひとつだけある。ミーちゃんの成長を寂しいと思う感情だ。

5歳の誕生日の日、4歳のミーちゃんに会えなくなってしまうのが寂しかった。もっとゆっくり成長してくれてもいいのにと思う。あと10年でも20年でも甘えん坊のパパっ子でいてくれたらいいのにと思う。

でも、僕の寂しさなんておかまいなしに、ミーちゃんはパパの手を振りほどいて未来へ走って行ってしまう。わざとパパを心配させるかのように。いたずらな笑顔を時折僕に見せながら。

画像3




画像4

小野雅裕、技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。

ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?