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惑星間テレワーク、勤務は火星時間

(自宅から火星ローバーの仕事をする同僚たち。Credit: NASA/JPL-Caltech)

「火星が夜空に燃えている」- 2018年8月号に掲載した本連載の第2回はそんな書き出しだった。あれから2年2ヶ月。ふたたび火星が地球に接近し、夜空に不気味なほど赤く燃えている。毎月、締め切り間際に編集長に催促されながらこのメルマガの原稿を書いているわけだが、それが火星との会合周期分も続いたと思うと感慨深い。

夜空に燃える火星は2年前と変わらないが、ミーちゃんは随分変わった。2年前、2歳だったミーちゃんと火星を見たとき、彼女はたいてい僕の腕におとなしく収まっていた。4歳になったミーちゃんはいたずら盛りの反抗期。寝る時間になると「かせいをみる」と言い出す。宇宙のことならパパは夜更かしを大目に見てくれると知っているからだ。そのくせ外に出ると火星を見ることよりもパパが望遠鏡を操作するのを邪魔することの方に熱心である。

僕にとっては人生で17回目の火星接近。最初の数回はもちろん覚えていない。その次の数回は父と見た。その後は一人で見たり、友達やその時に付き合っていた人と見たりした。

しかし、今回火星を見る僕の気持ちはこれまでの16回とはだいぶ違う。なぜなら僕が開発に深く携わったパーサヴィアランス・ローバーが、そこを目指して飛んでいるからだ。もはや遠い憧れではない。もうすぐあそこに手が届く。もはや夢は望遠鏡の向こう側ではなく、こちら側にある。

2年前、僕はこう書いた。

「次に火星がやってくるのは2020年10月。きっとミーちゃんは僕よりはるかに英語が上手になっているだろう。『パパのおしごと』であるマーズ2020ローバーが火星に向けて打ち上がる年でもある。一緒に打ち上げを見に行こうと思っている。どんな『おしごと』か、きっともう理解できるようになっているだろう。」

まさかパンデミックが起きるなんて2年前は想像もしていなかった。フロリダへ打ち上げを一緒に見に行くのは叶わなかった。しかし、「パパのロボロボがかせいにいってる」とちゃんと理解してくれていて、嬉しいことこの上ない。

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ミーちゃんが描いたパーサヴィアランス

そして僕が数ヶ月前より新しく始めた仕事も、ちゃんと理解してくれている。ミーちゃんの言葉では「ロボロボにあっちいけ、こっちいけ、っていうおしごと」である。

大人の言葉でいえば、ローバーのオペレーションだ。来年2月に着陸した後、パーサヴィアランスと毎日交信してローバーの管制と運用をする役目を仰せつかった。正確には「あっちいけ、こっちいけ」という役割ではなく、日々のローバーの走行データなどを解析し異常がないかを判断する役割なのだが。宇宙探査機のオペレーションといえば、何十人ものヘッドホンをつけた管制官が暗い部屋に一堂に介してやる仕事を想像するだろう。あれも過去の話。パーサヴィアランスでは運用ツールがクラウド化されたので、ほぼ全ての業務は在宅でできる。自宅から火星と交信する。いわば惑星間テレワークだ。

2月に着陸してから3ヶ月間は「火星時間」で仕事をする。もっと正確にいえば、火星におけるパーサヴィアランスの現地時間の夜間に地球側のスタッフが働く。つまり、火星と地球の間でシフトを組むようなものだ。

なぜそうするかというと、火星ローバーは向こうで一日の仕事を終えた後、データをまとめて地球に送ってくる。火星からデータが届くと地球人が仕事を始める。それを解析し、翌日にローバーに出す指示(コマンド)を作るのに5時間ほどかかる。できたコマンドを火星現地時間の早朝までにローバーに送れば、翌火星日も滞りなくローバーが仕事をできる、というわけだ。

火星の1日はおよそ24時間40分である。だから来年2月から5月まで、始業と終業の時間が毎日40分ずつ遅くなっていく。つまり毎日40分ずつ寝坊できる。火星の1日が地球より少しだけ長かったこの偶然を神様に感謝するしかない。もし火星の1日が23時間だったら、僕は毎日1時間ずつ早起きをする羽目になっていたのだから。

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さて、前回火星がまだ空に燃えていた頃に始まったもう一つのパパの「おしごと」が佳境を迎えている。『宇宙の話をしよう』の執筆である。2018年に出版した前著『宇宙に命はあるのか』の子ども版として始まった企画だ。

ゲラ(原稿を実際の本のレイアウトに組んだもの)が出来上がり、この2週間はそこに赤入れをする仕事をしていた。僕だけではなく、共同制作者となってくれた約100人の子どもや大人の皆さんから膨大な量のフィードバックをもらい、修正は500箇所近くにもなった。先日は表紙をデザインしてくれるデザイナーさんとミーティングをして、装丁のコンセプトが固まった。そしてここ数ヶ月缶詰め状態で頑張ってくれているイラストレーターの利根川さんも、ついにイラストを一通り描き上げてくれた。

僕がとりわけ好きなイラストが、利根川さんが本の最後に添えるために描いてくださったこの一枚である。

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ミーちゃんとパパが夜空を見上げながら静かに、楽しそうに話をしている。もちろん、現実の4歳のミーちゃんとはこうはいかない。エネルギーを持て余した落ち着きのない反抗娘なので、30秒たりともこうやって静かに座っていることはない。そして話題はたいていディズニーである。

まあ、それはそれでいい。ミーちゃんがもっと大きくなったらもっと色んな話をしたいと思う。宇宙やディズニーだけではなく、趣味のこと、世界のこと、そして人生のことについても。

この作品のコンセプトは「読者の子どもと対話する本」である。イラストの中のパパがこの本自体を表現している。ミーちゃんは読者のアバターだ。この本の目的は、一方的に子どもに知識を与えて「教育する」ことではない。まさにこのイラストのように、子どもたちの心に素直に向き合って、静かに楽しくおしゃべりするような存在になって欲しいと思っている。

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『宇宙の話をしよう』の先行予約は、隆祥館書店およびAmazonで受け付けています。


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小野雅裕、技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。

ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

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