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子どもにとって大事なこと

大人にとっては些細でも、子どもにとって大事なことがある。

『星の王子さま』にこんな一節がある。主人公は故障し不時着した飛行機の修理に忙しく、質問攻めにしてくる小さな王子様をこう言って叱った。

「大事なことで、忙しいんだ、僕は!」

すると王子様はひどく傷ついてしまった。彼の質問は故郷の小惑星に一輪だけ咲いているバラのトゲについてだった。彼にとって、それはとても大事なことだった。

先日、いつものように仕事を終えた僕を妻とミーちゃんが車で迎えに来てくれたのだが、車に乗るとチャイルドシートの上の姫様がえらくお怒りだった。

聞いてみると、理由はこうだ。普段は在宅勤務の妻がまずミーちゃんの保育園に迎えに行き、次に僕のところに来てくれる。しかしこの日は妻が僕の職場の近くで仕事があったので、まず僕をピックアップした後、二人でミーちゃんを迎えに行く予定だった。

ところが妻の仕事が遅くなり、保育園の閉園ギリギリになってしまったので、予定を変更してまずミーちゃんを迎えに行った。すると、パパとママが二人でお迎えに来てくれると期待していたミーちゃんは、どうしてパパが来なかったのかと怒ってしまったのである。しかもどうやら、「今日はパパとママがダブルで来てくれるんだ!」と友人に自慢していたらしいから、なおさらである。

ミーちゃんにとって、誰が保育園に迎えに来るかはとても大事なことらしい。普段のお迎えはママなので、たまに僕が行くと、ビックリマンチョコで天使シールが出るくらい特別な感じがするようだ。(僕の世代にしか通じない?)さらにパパとママが二人でお迎えに来るとなると、それはもうヘッドシール級にスペシャルな日になる。(僕は一枚も当てた記憶がない。)

翌日、そのお詫びにと、仕事を少し早く切り上げて僕を先に迎えに来てもらい、二人でミーちゃんを迎えに行った。僕たちの声を聞くと、ミーちゃんはおもちゃを放り投げ、弾けんばかりの笑顔で僕たちに飛びついてきた。そしてその晩もずっとご機嫌だった。

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そんな我が家のお姫様が現在夢中になっているのが、『アナ雪』なるお姫様映画である。先日、一緒に映画館に観に行った。「Frozenを観に行こう!」と言ったら、「ちがうよ、Frozen 『2』だよ!」と真剣に怒られた。

ミーちゃんはもちろん『アナ雪』の歌を全て覚えている。『2』の歌も全部歌える。そして僕はデュエットの相手をしなくてはいけない。ある朝、僕は『生まれてはじめて』のエルサ・パートを歌うように指示されたのだが、間違えてアナのパートを歌ってしまった。姫君はカンカンに怒って大泣きである。朝一番にミーティングがあるから早くしなくては、という大人の事情なんて構ってくれるわけがない。誰がアナを歌うかの方がはるかに大事なのである。

そういえば僕も32年怨念深く恨み続けていることがある。5歳の時、金沢の病院に入院していて、母も病室の床に布団を敷いて一緒に寝泊まりしてくれていた。小さな子どもが入院しているといろんな人が哀れんでくれて、いろんな物をくれる。誰かから青函トンネルのテレホンカードをもらったのだが、大の電車好きだった僕はそれが小さな宝物だった。

(若い読者の方はテレホンカードをご存じないだろうか。みのもんたの健康番組に出演してクイズに答えるともらえるカードのことである。ポケベル全盛期には上野界隈の路上の怪しいオッサンが偽造品を売っていた。)

ところがある夜、母が遠くの友達と長電話して勝手にそのカードを使ってしまった。しかも一気に50度全部である!僕は大泣きした。母にしてみれば、使わずにとっておいても勿体ないし、ずっと病院に寝泊まりで誰かと話したかったに違いない。でも当時の僕にとっては、なぜかそれが泣きわめくほどに大事なことだった。

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アメリカではサンクスギビング(感謝祭)が終わり、街はクリスマス一色である。

先日、すっかりおばあちゃんになった母から早めのクリスマスプレゼントが届いた。もちろんすべてミーちゃんへのものである。(宛名すら僕ではなく妻だった。)アナ雪のタブレット、アナ雪のパジャマ、アナ雪の本、もう何から何までアナ雪。いったい小野家は年間いくらディズニーに貢いでいるのか。そもそも僕が小さい頃は、母にねだっても30円のビックリマンチョコすらなかなか買ってくれなかったのに、この変わりようはいったい何なんだ。

そんなアナ雪フルコースの中に一つ、母が手でラッピングした小さな包みが入っていた。開けてみると、それは僕が小さな頃にクリスマスツリーに飾っていたオーナメントだった。金属の上にサンタクロースや雪だるまの絵が印刷してある。僕を可愛がってくれていた老婦人が毎年クリスマスにひとつづつ送ってくれたものだそうで、「84」「85」と年が刻まれている。

幼い頃の記憶とは、大海に投げた石ころのようなものである。見えなくなり忘れてしまっても、必ず消えずに残っている。

金属の飾りを手にとってみていると、遠い昔の記憶が、深い海の底から、ありありと蘇ってきた。

毎年この時期、父が物置からクリスマスツリーを出してきてくれた。妹と一緒に飾りをくくりつけ、雪に見立てた綿をちぎって載せた。まだ父も母も若かった。楽しかった。幸せな時代だった。

大人になると、子供の頃に大事にしていたものを忘れていってしまうものである。こうして僕が子どもの頃に大事にしていたものを、母が35年も大切にとっておいてくれたことがとても嬉しかった。テレホンカードの件は許してやるか。

「いま忙しいの!」と子どもに怒鳴ってまで大人が勤しんでいることは、子どもが大事にしていることと比べて、果たしてどれほど大事なのだろうか。大人同士でも同じだ。結局は、他人がそれをどれほど大事にしているか想像するイマジネーションがあるかの問題だと思う。なんにせよ、広い広い宇宙からみれば、人が大事にしているほとんどのものは小さな可愛いものだろう。

もうすぐクリスマス、そしてお正月だ。大人も子どもも、お互いが大事にしていることを大事にし合い、幸せな団欒の時を過ごそうではないか。

メリー・クリスマス!


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小野雅裕 | NASAジェット推進研究所・技術者・作家。

NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。

ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。


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