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火星の旅、人生の旅

先月のメルマガ発行日早朝の火星ローバー・パーサヴィアランスの着陸を、みなさんはご覧になっただろうか。搭載された7台のカメラが火星大気圏への突入から着陸までのダイナミックなイベントを克明に記録しており、公開された映像はまるで最新のCGIを駆使したSF映画のようだった

「『恐怖の7分』の間、僕は固唾を呑んで時々刻々と届くデータを見守るだろう。着陸成功の信号が届いたら飛び跳ねて喜ぶだろう。心の中で仲間たちと抱き合うだろう。泣くだろうか。泣くかもしれない。でも涙の味は昔とは違う。忍耐(パーサヴィアランス)の末に夢を叶えた涙なのだから。」

先月、僕はこう書いた。実際のところは泣かなかった。あまりにも嬉しくてぴょんぴょんと飛び跳ねていた。僕は感動モノの小説を読んだり映画を見たりしたら電車や飛行機の中でも涙を堪えられないのだが、そういえば受験に合格した時もミーちゃんが生まれた時も涙はなく、嬉しくてぴょんぴょん飛び跳ねていた。(もちろん妻からは「私は痛くて大変だったのに…」と叱られた。)どうやら僕はそういうタイプらしい。

本当なら職場で同僚と抱き合って喜ぶところだが、この状況なので当日シフトに入る人以外は家から見ることになった。でもそのおかげで、ミーちゃんと一緒に見ることができた。着陸はロサンゼルスの昼12時過ぎだったので、保育園からいったん引き取ってきたのである。ミーちゃんにとっては昼間にお迎えに来てくれたことが一番嬉しかったようだが、ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶパパの姿を大きくなっても覚えていてくれるだろうか。

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喜びに沸いたのもつかの間。僕の担当は走行だ。本当の仕事はこれからである。若い頃によくしたバックパックの旅の始めに、知らない国に着いた時の高揚感と似ていた。飛行機を降りる。異国の空気が肺に入ってくる。入国審査を通り、パスポートにスタンプをしてもらい、さあこれから旅が始まるぞ、この旅でいったいどんな出会いがあるのだろう。そんなワクワクだ。

パーサヴィアランスの火星の旅は長旅だ。とりあえずの旅程は2年。ローバーが元気に動いていればさらに延長される。旅の目的は太古の昔に存在したかもしれない地球外生命の痕跡を探すこと。35億年前の川が作った三角州を横断し、クレーターの縁の峠を越え、その先のシルチス台地へと至るロングジャーニー。そして集めたサンプルは将来のミッションが地球へ持ち帰る計画だ。

僕の最初のシフトは着陸から4ソル目(ソルは火星の一日)に予定されていたが、このソルに走る予定がなく、トラブルも何もなかったのでキャンセルされた。

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ソル10にいよいよ僕の出番が回ってきた。夜6時、早めの夕食を胃袋に掻き込んで出発。敷地内は人気がなかったが、パーサヴィアランスのオペレーションのビルに入ると活気にあふれていた。持ち場に着く。ヘッドセットを頭に装着する。パソコンにログインする。さあ、いよいよだ。

毎ソルのシフトはフライト・ディレクターが選ぶ “wake-up song” (お目覚めの歌)で始まる。普段はロックやポップが多いが、このソルに選ばれたのはカール・セーガンがホストしたテレビ番組「コスモス」のテーマソング。フライト・ディレクターが選曲に込めた思いをヘッドセット越しに演説する。ローバーは観測機器のチェックアップを終え、「目」を開き、人類の歴史に残るだろう旅へとこれから踏み出すのだ、と。オペレーション・ルームに拍手が起こった。

ほどなくしてローバーからのデータが届いた。何度も訓練を重ねたから焦りや緊張はない。一目見たところ大きな異常はなさそうだ。細かい疑問点がいくつかあったが、ヘッドセット越しに担当の人に確認して問題なしと判明。ひとつだけ想定外のリクエストがフライト・ディレクターから来たが、在宅で待機してくれていた同僚にSlackで助けを借りて解決。退屈するほどイベントレスでもなく、パニックになるほどイベントフルでもなく、新米が経験値を積むにはほどよいさじ加減のシフトだった。

ミーちゃんへのお土産に、オペレーションルームの隣のキッチンに置いてあるアイスクリームをひとつくすねて帰宅すると、午前3時前だった。家族が寝静まった家で静かに飲むビールは、旅路の夜に飲む一杯のように美味しかった。

高村光太郎の『道程』という詩にこんな一節がある。

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立っている

パーサヴィアランスの旅は人類の道を切り拓く旅だ。思いがけない発見がたくさんあるだろうし、トラブルに見舞われることもあるだろう。それも含めて楽しみながら歩いて行こうじゃないか。

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この時期の小野家はイベント続きだ。妻の誕生日、ミーちゃんの5歳の誕生日、そして10回目の結婚記念日が相次いでやってきた。この状況では人を呼んでパーティーなんてできないから、両おじいちゃんとおばあちゃんだけSkypeで登場してもらい、家族だけでささやかに祝った。

振り返ってみて、これまでの人生でいちばん早く過ぎた5年と10年だった。

結婚も子育ても旅のようだと思う。ひとつの出会いからその旅は始まる。誰も生きたことのない僕たちだけの人生だから、僕たちの前に道はなく、僕たちの後ろに道は出来る。

これらの旅もまだまだ序盤。ここまではなかなか良い旅をしてきたと思う。さあ、これからどうなるか。きっと嬉しいことや喜ばしいこともたくさんあるだろう。トラブルに見舞われることもあるかもしれない。それを含めて楽しみながら、未来を信じて歩いて行こうじゃないか。

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ひとコマ・宇宙の話をしよう

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宇宙の話をしよう』の最初のコラムは火星の地図。パーサヴィアランスがどこに着陸したか、見つけられますか?



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小野雅裕、技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。

ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

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