見出し画像

Twinkle Twinkle-2018.7月創刊号

2歳の娘のミーちゃんは星のことを「トゥインクル・トゥインクル」と呼ぶ。きらきら星の”Twinkle twinkle little star…”という歌詞からである。テレビの天気予報で夜晴れの予報を表す星のマークが出てきたら、喜んで「トゥインクル・トゥインクルだ!」と叫ぶ。天気が悪く雲マークばかり並んでいると「トゥインクル・トゥインクル、いないねえ」といかにも残念そうに言う。夜中の天気なんて今まで大して気にしなかったのに、ミーちゃんのおかげで夜晴れていることが楽しくなった。

昔はもっと夜の天気を気にしていた。たしか小学1年の時だっただろうか、父が立派な望遠鏡を買ってくれた。口径10センチほどの屈折式望遠鏡。庭の物置には父が大学時代に手作りしたニュートン式望遠鏡がホコリをかぶっていたのだが、子供には屈折式の方が扱いやすいということで買ってくれた。いや、買ってくれたというより、本当は父が欲しかったのである。「息子の教育のため。」これが、妻の財布の紐を緩めるもっとも効果的ないいわけである。

この望遠鏡が僕の宇宙への興味の入り口のひとつとなったことは、前著『宇宙を目指して海を渡る』に書いた通りである。月のクレーター。木星の衛星。土星の輪。東京からでもこの魔法の筒を覗けばよく見える。毎週のように東京の実家のベランダから父と天体観測をした。心が宇宙に吸い込まれていった。

小学校高学年になり、夜遅くまで塾に通うようになって、望遠鏡はお蔵入りした。中学、高校、大学生になり、宇宙への興味は消えることはなかったが、夜星を眺めることはあまりなくなった。他に色々な遊びを覚えたのもあるが、それよりも父と一緒にというのが恥ずかしかった。思春期になって僕もそれなりに親に反抗していた時期だった。父も仲間を失い夜空を見上げることが少なくなった。

やがて僕はロサンゼルス近郊にあるNASAジェット推進研究所に就職した。毎日火星の仕事をしているのに、そういえば生の火星を見ることは、依然あまりなかった。忙しくて家に帰っても仕事ばかりで空を見上げるという発想すら忘れていた。ベランダに出れば本物の火星が輝いているのに、部屋にこもりパソコンに向かって火星ローバーの仕事に勤しんでいた。

僕を再び夜空の世界へ引き戻してくれたのは、ミーちゃんだった。ミーちゃんは妻の仕事の関係で東京に住んでいる。太平洋をひとっとびしてミーちゃんに会いに行き、夜に抱っこして帰る道すがら、ビルの谷間から星が見えると指差して「トゥインクル・トゥインクルだよ」と教えた。絵本に出てくる5本の角がある形をしていないから、最初は少し戸惑ったかもしれない。しかしすぐに飲み込んで、やがて自分で夜空に星を探すようになった。保育園の帰り道、抱っこされながら落っこちそうなほど後ろにのけぞって空を見上げ、見つけたら大喜びで指差して「トゥインクル・トゥインクルだ!」と教えてくれた。ミーちゃんが指差す方を見る。たしかに輝いていた。昔々に、父と眺めた星々が。

そこでロサンゼルスに戻った僕はインターネットで情報を集め始めた。ミーちゃんにちょうどいい望遠鏡はどれかな、と。小さな望遠鏡でも月のクレーターならよく見えるが、やはり土星の輪や木星の縞がちゃんと見えた方が楽しいだろう。それには口径6インチはあったほうがいいか。欲張って8インチを買えば星雲や星団も見えるらしい。しかしちょっと待てよ、8インチはさすがに大きすぎるし、ロサンゼルスだと光害でどのみち淡い天体は見えないだろうし・・・

迷いに迷った挙句、6インチのドブソニアン式望遠鏡を買った。地面に直接置いて使うドブソニアン式ならば80センチのミーちゃんの身長でも抱っこせずに望遠鏡を覗ける。惑星を見るなら高倍率が必要ということで接眼レンズを買い足し、キャンプに行った時に淡い星を探すための電子システムも付け、お会計は全部で580ドル也。妻は苦い顔をしたが、「ミーちゃんのためなら…」と渋々オーケー。妻の財布の紐を緩めるにはこの方法に限る。

一週間ほどしてロサンゼルスのアパートに大きな箱が届いた。開ける時の胸のワクワクは、子供の頃に新しいおもちゃの箱を開ける時と同じだった。夜中に望遠鏡を持ってアパートの屋上に出た。南にものすごい存在感を放つ明るい星が出ている。木星に間違いない。望遠鏡のテストにはもってこいだ。

望遠鏡をその星へ向ける。まずは低倍率の接眼レンズで覗く。いた!ガリレオ衛星も3つ見える。視野のちょうど真ん中に木星を持って来て高倍率のレンズに付け替える。大気の揺らぎでぼやけてはいるが、星を包むクリーム色の雲、そしてそこにかかる数本の縞が、たしかに見えた。

次に土星を探す。もう出ているはずだ。木星から東側に目を向ける。あれかな、と思ったが自信がない。スマホのアプリで確認する。接眼レンズに目を押し当てる。見えた!輪がある!隣には衛星のタイタンも見える!このワクワク。宇宙のはるか彼方を望遠鏡の筒に捕まえた満足感。ふと、隣に父がいる気がした。

ミーちゃんと妻は7月にロサンゼルスに移住してくる。そしたら早速星を見よう。その頃には金星と火星も見頃になっている。月も見せてあげよう。冬になって惑星が見えなくなったら、スバルやオリオン大星雲を見よう。ミーちゃんは喜んでくれるかな。

ミーちゃんのパパになって、なぜ子育てが楽しいかよく分かった。自分も子供に戻れるからだ。また2歳に戻って、ミーちゃんと一緒に成長していくんだ。でも、子はいづれ父を追い越して成長していく。いつまで一緒に、トゥインクル・トゥインクルを見てくれるかな。

小野雅裕
技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。

ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?