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ピンぼけ望遠鏡で宇宙の果てをのぞく2

~研究の現状~

前回は宇宙赤外線背景放射という遠い宇宙から地球に降り注いでいる目に見えない光の話をしました。今回は私たちが宇宙赤外線背景放射をどのように観測するかについて紹介します。


赤外線の天体観測を大気圏外で行うわけ

前回の終わりに宇宙赤外線背景放射を捉えるには大気の影響がない宇宙空間からの観測が有利であることに触れました。ここではその理由を考えてみましょう。
宇宙からやって来るさまざまな波長をもつ光の、大気吸収の強さを図1に示します。可視光はほとんど吸収されずに地上に届きますが、赤外線は吸収が少なかったり完全に吸収されてしまったりする波長があることがわかります。光の吸収が少ない波長では地上の望遠鏡でも観測が行われていますが、完全に吸収される波長では当然ながら大気圏外に出なければ観測できません。もっと波長を広げてみると、電波は地上から良い観測ができますが、紫外線やX線は地上に届かず観測には人工衛星が活躍することになります。

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図1: 光の波長による大気の吸収率の違い(©️ JPL/Caltech)

大気圏外に出るわけは大気の吸収だけではありません。星を観察しようとするとき陽が沈み辺りが暗くなるのを待たなければならないことは誰もが知っていることです。雨や曇りの日には昼夜問わず星の観察ができないのは仕方ないとして、晴れた日でも昼には星の観察ができないのは、大気全体が太陽光を散乱してどんな星よりもずっと明るく光るからです。晴れた日の空が青く見えるのは、極めて小さな粒子(ここでは大気の分子)による光の散乱では光の波長が短いほど急激に散乱が強まる「レイリー散乱」という現象によるものです。雲が白く見えるのは、雲の水滴は光の波長と比べて大きいので散乱の強さに色の区別がなくなるからです。大気圏外に出れば天気に左右されず昼夜にも関係なく観測ができる重要性はおわかりと思います。
空がレイリー散乱で光っているなら、可視光よりも波長が長い赤外線で見た空は昼でも夜のように暗いのでは?と思うかもしれません。実はそのとおり、赤外線で見た空は昼でも比較的暗く、明るい星なら赤外線カメラで観察できるのです。とは言え、さすがに遠い宇宙の暗い天体を観測できるほどには昼の空は暗くなりません。
結局のところ、赤外線の大気吸収が少ない波長で夜に観測すれば地上望遠鏡でも良いじゃないか、と思われるかもしれません。しかし、太陽がいない夜でも大気そのものの発光が残ります。夜の大気発光を「夜光」と呼びますが、怪しく夜空が光るオーロラは可視光の夜光の代表です。オーロラは地磁気に捕らえられた太陽風粒子と地球大気が衝突しておこる発光で、北極圏でもたまにしか見られないものです。いっぽう赤外線の夜光は、昼に太陽にあぶられて活発になった大気が夜にじわじわと発光するもので、いつも同じような強さで光っています。赤外線の夜光はさして明るくもないのですが、遠い宇宙の観測を行うには昼間の青空と同じようにまぶしいのです。空全体がぼんやり光る夜光は、同じく空全体に広がる宇宙赤外線背景放射の観測に特に大きな影響を与えるのです。


赤外線を観測する望遠鏡はどんなものか

私たちはこれまで、JAXAとして国内宇宙機関が統合される前の1995年に打ち上げた多目的衛星スペースフライヤーユニット(SFU)の赤外線望遠鏡「IRTS」や、その魂を受け継ぎ2006年に打ち上げられた赤外線天文衛星「あかり」を駆使し宇宙赤外線背景放射の観測を行ってきました。
SFUは当時若かりし若田宇宙飛行士がスペースシャトルで見事に回収したため、IRTSの実物はSFUとともに上野の国立科学博物館にて展示されています。衛星が回収されることは滅多になく、その装置の実物を目にすることができるのはすばらしいことです。
「あかり」はすでに運用停止し大気突入を待つばかりですが、その試験モデルは名古屋市科学館に展示されその勇姿が見られます。話がそれますが、名古屋市科学館の天文主幹である野田学さんは大学院の先輩として親しくし、家族と名古屋へ遊びに行った際にも世界一のプラネタリウムとともに驚くほど工夫された見せ方の「あかり」展示を紹介してもらいました。「あかり」衛星を懸命に開発し運用した日々がフラッシュバックし泣きそうになりました。
日本の赤外線天文衛星の歩みやそれに関わる人々の逸話などは山ほどありますが、ここでは語り尽くせないので、ひとまず宇宙赤外線背景放射に話を戻しましょう。
赤外線が暖かいところから強く出ることは、体温分布を見るサーモグラフィーなどでおなじみでしょう。宇宙赤外線を観測することは宇宙の中で暖かい場所を見つけるようなものです。もしも望遠鏡が暖かいと自身が出す赤外線が邪魔になり、宇宙から来る弱い赤外線をキャッチできないので、せっかく大気圏外へ出ても意味がありません。
人工衛星に搭載する赤外線望遠鏡は、形こそ通常の天体望遠鏡とさして変わりはないですが、特別なのは極端に低い温度まで冷やされていることです。例えば、「あかり」の観測装置は約−270℃まで冷やされました。原理的に到達しうる低温の限界(絶対温度ゼロ)が−273℃ほどであることを考えると、赤外線望遠鏡の特殊性というか面倒くささがお分かりでしょう。では、これを実現する装置はどんなものかを説明しましょう。

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図2: 赤外線天文衛星「あかり」(©️ JAXA)

図2には「あかり」の全体像を示します。半分から下は衛星本体で、正しい姿勢を保ったり地上との通信をしたりする部分です。半分から上のキラキラ輝いている圧力釜のようなものが赤外線の観測装置です。これは「クライオスタット」と呼ばれるもので、内部を真空かつ低温に保つ魔法瓶のようなはたらきをします。内部には口径約70cmの赤外線望遠鏡や検出器が組み込まれており、先ほど述べた温度まで冷凍機と液体ヘリウムで冷やされています。冷凍機はおなじみの冷蔵庫と同じく気体を圧縮・膨張させる仕組みですが、もちろん極端に低い温度になるよう特別に開発されたものです。液体ヘリウムは吸うとアヒル声になるヘリウムが液体になるまで冷やしたもので、これをタンクに溜め込んで低温を保ちます。病院のMRI用の超伝導磁石にも同じように使われています。冷凍機は壊れるまで使えるのですが、液体ヘリウムは徐々に蒸発してゆくので望遠鏡が冷えていられる期間は限られます。このため「あかり」は1年半ほどで主要な観測期間を終えました。IRTSも「あかり」と同じような全体構造を持っていますが、小ぶりで冷凍機も持ってなかったので2ヶ月ほどで観測を終えました。しかし、限られた観測期間の中で宇宙赤外線背景放射を捉えることに成功したのです。

では、この続きは11月号の特集記事にてお届けします。どうぞお楽しみに。


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松浦 周二(まつうら しゅうじ)
関西学院大学 理工学部 物理学科 教授
学位: 博士(理学) 名古屋大学大学院理学研究科(宇宙理学専攻)
職歴: 新技術事業団 研究員、カリフォルニア工科大学 研究員、JAXA宇宙科学研究所 助教 を経て、2015年より現職


主な研究分野:
赤外線天文学、観測的宇宙論、テラヘルツ技術の開発
・観測ロケットや人工衛星を用いた赤外線の宇宙背景放射を観測することで、初代星や原始ブラックホールおよび原始銀河を探索している。
・「あかり」衛星やロケット搭載機器の開発を自ら手がけ、宇宙背景放射の観測についてのパイオニア的な研究を進めてきた。
・「はやぶさ/はやぶさ2」の機器開発を担当するとともに、惑星探査機により宇宙背景放射観測を行なうIPST (InterPlanetary Space Telescope)計画を世界で初めて提案するなど、将来の宇宙探査計画を推進している。

主な著書: ・Terahertz Optoelectronics(共著、Springer)
 ・テラヘルツテクノロジー(分筆,NTS)、テラヘルツ技術総覧(分筆、NGT)
 ・宇宙天文大辞典(分筆,地人書館)、宇宙物理学ハンドブック(分筆、朝倉書店)

学術論文: 赤外線の宇宙背景放射に関する分野を中心に100編以上

ホームページ: http://sci-tech.ksc.kwansei.ac.jp/~matsuura/

趣味: コーヒー豆挽きと皿洗い。

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