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25年後、マレーシアから着信

去年の秋のことだ。
ひとつ仕事が終わったので、わたしは自分を甘やかしてブラウニーを食べに行った。

そこはクルマを展示しているカフェで、そこの車高の高いクルマを見てたら、ある人を思い出してChatを入れてみた。

「前に行ったときに乗せてくれたクルマはこれ?」
「ちょっと違う、俺のはBMW」

ああそうだっけ、前に会ったのは、もう5年も前だから忘れていた。彼はマレーシアン・チャイニーズで、私が25年も前に住んでたときに付き合ってた人だ。

「今料理してた。」と
彼はアサリを土鍋いっぱいに蒸した写真を送ってくれた。


そのあと、ロックダウンの話をしてたら、彼の住む地域での今日の新規感染者数は6千人余り、という記事が送られてきた。

「自炊してビールやめたら、10キロ痩せたわ」って写真が送られてきたから「すごいやん!またお父さんそっくりになってきたね。」と返した。彼はお父さんをもう何年も前に亡くしたと聞いていた。 

彼のお父さんは苦労人で、3人の子どもを育て上げ、彼を日本に留学させた。当時、郊外にあった彼の実家のバスルームは、コンクリートのたたきに四角い水槽があって、そこに貯めた水を手桶で浴びるだけの質素なものだった。

しばらくして、彼からビデオチャットできる?とメッセージがきた。

駅から歩いてたから繋いだ。庭の見える椅子で寛いでる様子。娘が出てきて、Hello!と挨拶した。

何気ない会話。
共通の友人の事業のこと。
この先のこと。

何年も会ってないのに、そこにはなんの断絶も感じられなかった。

コロナの世になって、もう全てが元に戻るということはあり得ない。
そして変わったことと、変わらないことがある。

テクノロジーが人と人との距離をより縮めてくれることは有り難い。だからこそ、技術は上辺の便利さだけではなく、人の本質的な関わりをこそ、繋いでいってほしいと願う。


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