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プロレス対柔道 優宇が生き様を賭けて  鈴木みのるに挑んだ異種格闘技戦

ヒューマンドキュメントストーリー 運命のリングへ

 3年ぶり行動制限の無い夏休み。8月21日はプロレスをはじめとする格闘技興行がこの夏一番多い20大会以上開催されていた。
 その中でもコアなファンの注目を集めたのが佐藤光留自主興行「ファイト~闘う変態達の唄」の富士通スタジアム川崎大会の、「世界一性格の悪い男」鈴木みのるが28年ぶりとなる異種格闘技戦(プロレス対柔道)に臨んだ一戦。
 プロレスラー鈴木みのるの対角線に立った刺客。この試合をプロデュースした佐藤光留が白羽の矢を立てた柔道の超強豪選手が現PURE-J無差別級、センダイ・ガールズワールドタッグ二冠王者の優宇(パートナーは橋本千紘)だった。 

 優宇がプロレスラーになるため小学校5年生から始めたのが柔道だった。
インターハイ、国体、ジュニアオリンピック、関東大会3位など、将来を嘱望されていたが、幼いころから抱いていたプロレスラーになる!という夢を実現するため、柔の道ではなく、その柔道の輝かしい実績をひっさげて憧れのプロレスラーの称号を掴んでいるが、それを掴むための道のりは決して平坦なものではなかった。
 異種格闘技戦のオファーを断る理由はなかったが、その話を聞いた瞬間(とき)、優宇の想いは、プロレスラーを目指したあの頃にタイムスリップしていた。
 優宇。本名は非公表だが、“優”は本名の一部、“宇”は師匠である故木村浩一郎さんのリングネーム=スーパー宇宙パワーの一文字の“宇”を加えて、自分で命名したリングネーム。
 優宇がプロレスと出会ったのは小学校5年生の時、両親と一緒に行った、ららぽーとで行われていたビアガーデン・プロレスだった。これでプロレスにはまってしまった優宇。将来の夢が“プロレスラー”になった瞬間だった。思い立ったら即行動、優宇は高木三四郎に入門を直訴する。この突然の申し出に高木は「まだ小学生なんだから、親の承諾をもらって来て、OKもらえたらまた来てね」と優宇に諭すようにそう話して帰路につかせた。勿論入門を認めるのではなく、やんわりと、諦めさせたつもりの言葉だったのだが…素直な優宇はそうは取らず「親がOKしてくれたら入門させてくれるって、だからOKして」と父親に承諾を取り付けようとした。
 これにはさすがのお父さんも唖然。「OKなんか出せない。何バカな事言ってるんだ、家族の縁を切るぞ」と怒られたのだった。売り言葉に買い言葉。「それなら家族の縁切るね!」そう父親に言うと、そのまま、ららぽーとの高木の元へ。
「親子の縁切って来ましたので、入門させてください」さすがの高木も二の句が続かなかったが「小学生だから、プロはまだ早いよね、だから将来のために柔道をしてみたら?受け身の練習にもなるから。」
果たして家族の縁は切れることはなかったが、このアドバイスに優宇は自宅から一番近く、自転車で通える柔道場を探して、入門を決めている。無事、帰宅した優宇に両親も「優宇がやりたいなら」と、入門を了承したのだった。
 ピアノ、水泳、公文、習字、陸上に球技、バレエは2日持たなかった。「習っててワクワクしたのは柔道だけでした。それに自分から“やりたい”って言ったのは柔道だけなんです。好きこそ物の上手なれですよね。練習は厳しかったけどほんとに楽しかった。最初の一歩が上手くいくか、良い思い出か否かってほんと大切だと思います。この時お世話になった中島先生、白鳥先生、一緒に練習した仲間たちがいたから強くなれた!と思ってます。」
 中学生になった優宇の部活は勿論柔道部だった、関東大会、全中にあとひとつ手が届かなかった。「3年の最後の全中の大会。白星重ねて、決勝に駒進めたんですけど、そこで黒星。お母さんが人目もはばからず号泣してくれて。自分の事のように泣いてくれていたお母さんの姿…ほんとつらかったんです。だから、『高校に入ったらお母さんを絶対、全国に連れて行く!』って誓ったんです」

 スポーツ推薦で進んだ高校で、優宇は高校2年の時、インターハイ、国体、ジュニアオリンピックへ出場、関東大会3位という成績を残して、その誓いを果たす。
「お母さん、ほんとにうれしそうだった。私もホント“やりきった目標を達成した!”って思ってました。“お母さんを全国へ連れて行く”って言うのが、あの時の自分の最終目標になっちゃってたんですよね。」
燃え尽き症候群。「これから先どうしよう?私、何がしたいんだろう?」って。
好成績を残す優宇に先輩からの妬みはひどかった。高1の3学期から、先輩からのいじめは始まった。いじめに構う時間すら無駄に思え、練習に励んで順調にその実力を伸ばしていったのだが…高2で、その時の目標にたどり着いてしまった優宇は光明を失ってしまっていた。更に、とどまらぬ陰湿な先輩たちからのいじめが追い打ちをかけてしまった。
 クラスでも笑顔が魅力的だった優宇からその笑顔が消えていった。当時を振り返る「あの時は今ほど跳ね除ける気持ちの強さは無かったんです。もういいかなって」学校へ向かう足取りが重くなってしまった。
 不登校…自分の部屋で日がな一日映画を見続ける日々を送っていた。
毎朝4時起きして、優宇のお弁当を作り、朝練に送り出し、夜は道場の送迎、週末も部活に送り出し、試合があれば必ず応援に駆けつけて、声援を送っていたお母さんは、我が子を信じて、じっと見守っていた。
当時、DDTでコーチをしていた故木村浩一郎さんが、頻繁にプロレス観戦に訪れていた優宇の姿を見ることが無くなっていたことを心配して、知人を伝手に連絡を入れている。「レスリング習いに来ないか」学校への足は向かなかったが徐々に日常を取り戻しかけていた。優宇の心は木村さんの言葉の先に、かすかに光が差すのが見えたのだった。
 お母さんは優宇の小さな心の変化を見逃さなかった。そして…優宇を鴨川シーワールド(通称:鴨シー)へ誘う。「自分から『外に出たい』とは、まだ思えなかったんですけど、最初は嫌々ながらお母さんと出かけました。ダイナミックなシャチのショーに心が晴れていくのが自分でも分って、それからお母さんから『鴨シーに行こう』って誘われるのが楽しみになってました」心が晴れるにつれて、優宇はYouTubeのプロレス観戦(鑑賞)も再開した。
「高2と高3ってクラス持ち上がりじゃないですか。みんな声かけてくれて『クラスみんなも待ってるよ』って」ネックとなっていた、ひとつ上の先輩は卒業していた。
「先輩に対しての気持ちは正直、晴れることもなければ関係を前に進める必要も無かったから、このまま変わることないと思うが、監督の田中先生には本当に可愛がってもらえて、その柔軟な考え方で伸び伸びと学校外の稽古も許してくれました。」
 高校生活を再開し同時に部活も再始動。併せて週3回の実業団の練習にも顔を出すようになった。優宇の日常の風景が自然とそこにはあった。お母さんのお弁当づくりも再開。眠い目をこすりながら起きてくる優宇に朝ご飯を食べさせ、愛情一杯のお弁当を持たせ笑顔で送り出す。毎日のルーティンだ。
 練習きつくなかったかって?「部屋に籠もっていた分、明らかに練習不足ですよね。だから、必死に巻き返して、それでこの高校生活最後の年も関東大会に出ることができたんですよ。ちょっと凄いですよね(笑)結果、高校3年間連続で、関東大会出場出来たのはあの時代では多分、私だけだったんですよ(笑)」
「半年の引きこもりに、悔いがないと言えば嘘になります。私の黒い歴史ですから、でも、あんないじめで、自分で自分の進む道を閉じてはだめだって!不登校…決していい思い出じゃないけど、その分された事をしたような人間にならずにすんだ。いくらか弱い人の気持ちに寄り添える人間になれたかな!と、あのとき学費払ってくれてた両親には本当にごめんなさい。あの時も自分を信じてくれていて、ありがとう。みんなが支えてくれたから今の自分があるし、今度、凄い夢の対決が実現するよ!って。でも、実は高3で私の目標、プロレスじゃなくなっていたんです。」
 復学した優宇の将来の夢…それは“自分を救ってくれた海の生き物たちに関わった仕事”に変わっていたのだ。
「わたし、千葉県出身だから、海が身近にあったし“海が好き!”なんだって。これは海に関わる仕事しかない!って」
 学校は優宇が実業団に行くか、柔道の強豪大学に進学する!ものとばかり思っていた。優宇の意思は堅かった。都内の海洋系の専門学校に入学した優宇。柔道の練習は継続していたが動物たちと触れ合う授業は充実していた。
「何が一番自分には合っているか?水族館の研修にはじまり、マザー牧場、奄美大島では住み込み研修、パンくんがいる阿蘇カドリー・ドミニオンの宮沢さんの元で動物のトレーニングについての研修してます。動物たちのお世話してると、あの子たちが何を思っているのか?言葉じゃなくても心が通じるんです。最終的にはドルフィン・トレーナーを目指していたけど、海の魅力にとても引き込まれて就職は江ノ島にあるダイビング・ショップにそこのインストラクターとして就職したんですが、体調壊してしまって、ドクターストップを宣告されちゃって、長い時間、海に入るのはダメだって」
逗子に一人住まいしていた優宇だったが、まずは体調回復を優先させるため実家で療養生活を送る。優宇の体調は日に日に回復していった。
 夏が近づいてきたある日、地元の幼なじみから新木場で開催されるDDTのビヤガーデン・プロレス観戦の誘いを受ける。「20歳になったし、お酒飲んでプロレス観られるから行こうよって。二つ返事で新木場行きました。そしたら、ライブのプロレス、ホント楽しくて。私、プロレスラーになるのが夢だったんだ!って。そしたら、その後、観戦に行った後楽園で高木さんが『今度、DDTでプロレス教室開講します』って、これって今考えても運命ですよね。小5の時見た光景じゃないのって、もうその場で入校決めました。20歳過ぎてたので親の承諾も要りませんでしたし(笑)」
「すごく遠回りしましたけど、振り返るとどれも無駄な道(経験)じゃなかったって。」
 そして…優宇はプロレスラーの称号を掴んだ。
「柔道であのプロレスラー鈴木みのるに挑めって!私、運命論者じゃないですけど、もうこれが“運命”すよね。」
試合が近づくと優宇は「自分の中での点がいっぱいつながったのが川崎だと思うんです。柔道をやってなかったら…プロレスを始めていなかったら…東京女子を辞めていなかったら……本当に(点は)いっぱいあるんですけど、(6月12日の)『PleinsGaz!』という興行で鈴木みのるさんと試合をして……組んでいたら分からなかったじゃないですか!対戦相手だったから、光留さんが『いいじゃん』となってくださったわけで。こういう小っちゃい点が線になってつながって、夢が叶うっていう瞬間を8月21日に観に来てほしい」と自身のインスタグラムで意気込みを語っていた。
 優宇が自分のバックボーンでもある柔道家として、そのアイデンティを賭けてプロレスラー鈴木に挑む。プラス、ミクスドマッチ=男女の粋を超える闘いに挑んだのだからプロレス・ファンが注目しないわけがなかった。
 
 プロレス対柔道の歴史…その因縁の対決を紐解けば、プロレス黎明期の1954年12月22日、蔵前国技館で実現した力道山対木村政彦の昭和巌流島の対決を端緒に、1976年2月6日、日本武道館でのアントニオ猪木対ウイリエム・ルスカ、1989年4月24日「格闘衛星☆闘強導夢」でのアントニオ猪木対ショータ・チョチョシビリ、同年11月29日の「U-COSMOS」での前田日明対ウィリー・ウィルヘルム戦など数々のビッグマッチがある。
 異種格闘技戦ではその対戦ルールがどちらのジャンルに有利になっているかが勝敗を分ける重要なポイント。
 鈴木(プロレス)対優宇(柔道)のルールは「エニウェア畳ルール」を採用
詳細は・移動式の畳を導入(優宇のセコンドが畳を移動する)
・リング内外いかなる場所でも「畳の上では」柔道ルールを採用。
・投げで一本、・押さえ込み30秒で一本、・合わせ技で一本。その他、畳の上では国際柔道ルールに則る。
・それ以外は通常のプロレスルール。として対戦が実現した。
 
 2022年8月21日(日曜日)夕方から川崎方面では雨も予報されていたが、関係者・観客を心配させた空が泣き出すこと無く、夜の帳が落ち、照明が灯った富士通スタジアム川崎に異種格闘技戦開催コールが告げられた。まず入場したのは優宇。両手にはプロレスラーとして勝ち取っている称号、PURE-J無差別級、センダイ・ガールズワールドタッグの2本のベルトを誇示し、道着を纏い、柔道家らしく素足でリングイン。続いてプロレスラー鈴木がテーマ曲「風になれ」がスタジアムに響く中入場。リングの片隅には二畳の移動式畳が敷かれて午後7時5分、異種格闘技戦のゴングが鳴らされた。
 鈴木は優宇のセコンドのシュレックの道着を奪うと“柔道勝負”を挑むが、あっという間に優宇の絵に描いたような払い腰でマットに叩きつけられ秒殺!?しかし、畳の上でなかったため一本とはならず。命拾い?した鈴木は道着を投げ捨て、プロレスで勝負。

 ローキックで優宇の動きを止め、巧みに場外へ戦場を移す。優宇のセコンドが畳を場外に移動する。試合巧者の鈴木は本部席にあったペンを奪って、優宇の額へ非情の凶器攻撃。ペースを狂わされた優宇だったが場外の畳へ払い腰を狙うもののいなされ、鈴木に有効を奪われてしまった。
 観客の声援を受け、優宇も奮起。リングに戦場を移し、優宇も道着を脱ぎ捨て、得意の逆水平チョップを何発も鈴木に見舞う。鈴木も胸を突き出してそれを受ける。優宇のチョップが鈴木の胸板にたたき込まれる、その爆裂音が会場に響き汗が飛び散る。まさにお互いのプライドが火花を散らしていた。
 チョークスリーパーで優宇のスタミナを奪った鈴木は畳を2枚重ね、マットのクッションを効かなくして、留めのゴッチ式パイルドライバーを狙うが優宇も死力を振り絞ってリバースに返す。鈴木が畳に両手をついた刹那、優宇が起死回生の袈裟固めを極まる。30秒で鈴木から一本勝ちだ。会場にカウントが響く10秒、20秒…あと10秒で金星!?しかし、鈴木がすり抜ける。金星を逃した優宇に再びチョークスリーパーで動きを止め、間髪入れずゴッチ式パイルドライバー、優宇の脳天が畳に食い込む。天を仰ぐ優宇はマット上で3カウントを聞いた。真夏の夜の夢対決、プロレス対柔道の異種格闘技戦は14分32秒、鈴木みのる=プロレスの勝利となり、28年ぶりに3度目の異種格闘技戦に臨んだ鈴木は2勝1敗の勝ち越しとなった。

 試合が決すればノーサイド、鈴木と優宇がお互いに礼。勝者・鈴木が健闘を称え優宇に握手を求めると…握手した瞬間、払い腰で鈴木を投げようとするアクションを見せ、負けん気の強いところを見せた優宇だった。
「凄い痛みで目が覚めた朝、人生で1番痛かった。鈴木みのるにあんなに強気で立ち向かえたのは間違いなくお客さんの声援があったから!自分相手に異種格闘技戦を受けてボコボコにしてくれた事は今まで生きてきた道は最高で、これからの生きていく私の自信です。ありがとうござました。」と翌日にツイートを寄せている。その後、この試合の感想を佐藤に伝えたところ「レスラーなら3回くらいそんなときはあるんだって…あと2回もこれがあるんでしょうか。だとしても私はまだまだ見たことない世界を見続けたいし、また鈴木みのる選手の前に立つ。これからも熱い声援よろしくお願いします!」とファンにメッセージを送っている。
テーブル上は黒星だが、プロとしてその引き出しの中身を確実に増やした優宇だった!と誰もが認めるところだが、この戦い(異種格闘技戦)は無謀な戦いではなかったのか?改めて優宇に聞いてみた。「一部では無謀な戦いって言われてたみたいですけど無謀だけど無法(ノールール)じゃなかったんです。異種格闘技戦としてしっかりとしたルールを提示してもらえて、移動式の畳の上で一本取れば私の勝ち!それが私には見えてました。だから、また鈴木みのるの前に立ちます。」これはもう再戦への期待が膨らむばかり。
 リング上では勝負士として厳しい表情を崩すことがない優宇(YMZ興行は除く)だが、ひとたびリングを下りれば、そのはじける笑顔でファンを暖かく包み込んでくれる。
 高校時代、一時(いっとき)夢の途中に笑顔を置き忘れて来た優宇。その忘れ物を取り戻すため乗り越えた試練があった。遠回りは無駄ではなかった。その道で様々な経験を積んだから、そこで学んだから、辿りついた現在(いま)がある。だからリング内外でファンを引きつける今の優宇がいる。
東京女子プロレス退団後、所属となったプロレスリングEVE、試合開始前の煽りVTRで見たPURE-Jの防衛戦。代表のダンは「いま見ているボリショイとレオンの試合がこれまでのEVEで一番盛り上がった試合だよ」優宇のEVEでの目標が定まった「英国のファンのハートを掴んだPURE-Jのベルトを掴んでここ(英国)で防衛戦を行うのが次の目標と恩返し」今、そのベルトは優宇の手元にある。
対鈴木戦から1ヶ月後の9月23日、PURE-Jいたばしグリーンホール大会で優宇は保持する同無差別級選手権初防衛戦の舞台に立っていた。初防衛戦の相手は鋼を破って挑戦権を手に入れたAKARIだった。
 AKARIに試合直前の挑戦への思いを聞いてみた。「チレ対ハポンって、みんな言っているけど。私のルチャの原点(故郷)はここ(PURE-J)。みんな、ハポンは第2の故郷って言ってくれるけど、日本に住んで4年になります。ビザの関係でチレに帰ることもありますけど、チレに着いてもすぐに早くハポンに帰りたいって思っている私がいます。私はここでルチャドーラの夢を叶えて、闘っています。ハポンのPURE-Jのルチャドーラとして、このプライドを賭けて、今日、ベルト取り返します。」
 受けて立った優宇。AKARIの猛攻に耐え、ハイアングルのパワーボムで粉砕、初防衛に成功した。王者、試合後のコメントでは「EVE(イギリス)で見た、PURE-Jのタイトルマッチ。このベルトを取るって夢を叶えて、今日も私の元に戻って来た。これ(ベルト)を持ってEVEに戻れます。今日、このベルト防衛したことで、EVEが認定する2つのベルトにも挑戦したい!って気持ちが強くなりました。気持ちはいつも挑戦者ですから、ベルト幾つ持っていてもいいですもんね。EVEに戻るワクワクが一層強くなりました。」
 優宇はEVEに年内凱旋スケジュールをリクエスト中でその返事待ちとのこと。シングル(PURE-J)、タッグ(仙女)のベルトだけでは、まだお腹がいっぱいになっていない。挑戦者の気持ちを忘れない優宇がお腹を満たすための次のターゲットとしてEVEの2つのベルトがロックオンされた。  
 ホーム(EVE)に凱旋した暁にはそのリングで優宇旋風が吹き荒れそうだ!年内EVE凱旋確定の折には、東京女子を離れ、世界基準を目指した欧州各国の苦難に満ちた武者修行時代のエピソードを織り交ぜ別の機会でしっかりと紹介したい。
 と本稿を仕上げて、UPしようとしていたところ、EVEが「11月13日、EVEインターナショナル王者ローラ・ディ・マテオ対PURE-J無差別級王者・優宇とのダブルタイトルマッチ開催決定」をリリース。優宇のロンドンEVE凱旋逆上陸決定です。この試合、YouTubeのプロレスリングEVEでオンライン配信もあり、要チェックです!

 8.21川崎大会のメインエベントは龍魂・天龍源一郎が立ち会い人としてゴングを鳴らし6人タッグ、佐藤光留、SUSHI、椎葉おうじ組が河野真幸、矢野啓太、レイ・パロマ組と対戦し、佐藤が21分42秒、キャプチュードアームバーでパロマを下し、川崎大会3度目にして佐藤が初白星を飾っている。
(優宇選手のインスタグラム、ツイッターの本人コメントを元に取材最構成して本文に掲載しています。)

8月21日 富士通スタジアム川崎 
ニコプロpresents佐藤光留自主興行「ファイト~闘う変態達の唄」

 RYSKパートナーズ/マーシャルワールドpresents夏の異種格闘技戦in川崎
プロレス対柔道特別ルール”時間無制限1本勝負
 ○鈴木みのる[パンクラスMISSION/プロレス](14分32秒 ゴッチ式パイルドライバーon the畳→体固め)●優宇[プロレスリングEVE/柔道]


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