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小学生のころ、母親の「勉強しなさい!😠」という言葉は、ほぼ右から左だったペペシです😅

学校の放課後には、校庭でドッチボールとか野球をやり、帰宅すればすぐに友人の家に遊びに行く。土日も、当然朝から遊びに行く。

缶けりしたり、虫取りしたり、三角ベースをしたり、今のようにゲームなどありませんから、基本だれかと一緒に遊びます。

今の子どもたちが習い事に忙しく、友達と遊んでいる暇も無いと聞くと、なんで自分はあんなに遊べていたんだろう?と不思議になるぐらい、毎日だれかと遊んでいました。


先日ふと考えてみると、小学校時代同級生だった男の子の家は、すべて覚えています😁

しかも、みんなの家に行って遊んだ記憶があります。

俺、、、いったいどれだけ遊んでいたんだよ~🤣🤣🤣


そんな私ですが、大きな転機となったのは、小学校5年生の2学期から通った「桐杏学園」という進学塾でした。


母がたまたま見つけた新聞の折り込みで、「行ってみる?」と言われたことがきっかけです。

当時の私は、進学塾という言葉も知らなければ、受験して中学に進学するという選択肢があることも知りません。

時代的にも地域的にも、小学校を卒業したらそのまま地元の公立の中学に行く、ということが当たり前だったからです。


5年生の2学期から、たしか週2回西日暮里まで電車で通い、勉強しました。はっきり覚えているのは、それまでの小学校の先生の教え方とまったく違っていたこと。特に算数が、劇的に面白くなりました。

それまで知らなかった、つるかめ算などの解き方を教えてもらい、特に図形の問題を解く面白さ!

一本補助線を入れるだけで、あれよあれよと魔法のように問題を解くことができます😁

友達との遊びも楽しいけど、これも楽しい!😍

あの頃は、本当に楽しく楽しく勉強をしていました😅


進学塾ですから、そこでの友人たちは当然中学受験を目指しています。その流れに乗って、いつの間にか私も受験することに・・・

けれど現実はそう甘くはなく、某有名中学を受験したものの、桜散る😭

5年生の2学期という、中学受験をするにはかなり遅い時期からの勉強開始でしたから、当然ですね。

けれど、桐杏学園に行っていたわずか1年半で、自分の学力が飛躍的に伸びたのは間違いありませんでした。


その後地元の公立中学へ進学しましたが、受験に落ちたことの反動か、まぁびっくりするくらい勉強せず、軟式テニスの部活と遊びばかりの毎日です。

相変わらず母親からは「勉強しなさい!」と言われて、とりあえず机に向かってはいましたが、ほぼ居眠りzzz🥱

けれど手前味噌ですが、成績はかなり優秀な生徒でした😁

中学時代、学年で常に3本の指に入っていたと思います。


そうです!

桐杏学園でのわずか1年半の勉強で、私は中学時代に遊んで暮らせるだけの勉強貯金ができてしまっていたのです!😆

そんな私は内申も素晴らしかったですから、晴れて第一志望だった都立高校へ進学します。

けれど、ここでも私は軟式テニスの部活と遊びばかりの生活。そしてそれに加え、恋愛という青春時代をおおいに満喫します🤣

中学時代より、さらに勉強をしていない生活だったかもしれません😅


そして、、、私は、勉強貯金を使い切りました🤣🤣🤣

それに気づくのは、高校1年の3学期の通知表をもらったとき😱


そして高校2年の秋、英語が得意なわけでもないのに、なぜか突然アメリカに留学を決めるのでした😅

つづく・・・


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