気持ちと気持ちは比較できない
私のこと、好き?
若い時、交際相手に尋ねたことがある。
私には夫がいた。2年前まで。
付き合いだしたのは10年前。周りからも「本当、彼氏大好きだよね」って言われるくらいの恋をしていた。とにかく夢中だった。
社会人になって、遠距離になったことが私の気持ちをさらに盛り上げ、2年で仕事を退職し彼氏の元へ飛んで行った。
一方、彼氏は私が初めての彼女だった。恋に恋してるというよりは、熟年夫婦の側というような落ち着きがあり、「一緒にいてドキドキするというよりは落ち着く、空気みたいな感じ」と表現していた。
そう、最初から私はお互いの「好き」の種類の違いを感じていた。
でも、主観的である私の「好き」は、夫の「好き」と比較することができない。たとえ数値化したとしても、同じものを同じ尺度で数値化したという証明もできない。
比べる必要や、気持ちが同じである必要があるの?と疑問に思う人がいるかもしれない。まさにその通り。相手の気持ちを推し量ることは無駄なことだ。
だから違和感があっても結婚した。お互い好きには変わりないから。でもその溝はずっと続いて、ある時、気持ちの違いを決定づける出来事が起こる。それはまた後日話したい。
しかしいくら割り切っていても人は不安になる。安心したいから相手の気持ちを知りたいと思う。
これは悪循環の入り口。「好き」だけでなく感情には種類や強度が様々で人によって持ち合わせている深さも違う。自分の気持ちを基準に相手を見ようとしようものなら、行き着く先は確実に「不安」のループだ。
感情は心の中で湧き、自己完結すれば良いのだけど、口に出したり態度に出してしまうものだからタチが悪い。外に出された感情は、相手にヒントだけを与え放置される。
このように考えると、人の感情というものは何とも比較できないし、知ることは困難だ。故に相手の感情は目標設定が難しく、期待してはいけないものだと結論づけられる。
でもどうして人は人に期待してしまうのだろう。期待に応えてくれる確率は低いし、確かめるすべもないのに。
どうして人は人を信じるという無謀なことをするのだろうか。
人間は不思議だ。
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