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PEPEとして初個展を終えて

有難いことにお絵描きPEPEとしての初個展を5/2〜5/10に開催させて頂き、無事終了したので活動開始当時を振り返ってみようと思います。

2020年6月頃コロナショックを受けたとこから絵描きとして活動を始めてまさかここまで継続的に活動できているとは。本当に奇跡のようなことだと思ってます。

世の中への不満ぶちまけるため、自分の不甲斐なさを正当化するため。
自分勝手な理由で筆を取り、自慰行為のような薄っぺらい満足感優越感に浸り、結局夜になると不安が押し寄せる。そんな当時の記憶が蘇りました。

当時は自分の内面(思慮深くない表面の負の感情)をただ外に出すことが快感でダークであればあるほど良いと勘違いしておりました。
もちろん作風としては無二なもので勢いはあったのですが人としてと言われるとほぼ獣。
痛い野郎です。
ただ今も個人で活動を続けていけているのは当時の一歩間違えるとテロでも起こすのか、という程のエネルギーというか自分を世間にぶつけたいという激しい衝動がきっかけというのは確実です。
当時のこの尖り具合にだけは感謝しています。

左が自分 右は世間
PEPE
泣いてます

これは初期の3枚。
完璧にやばいですね。懐かしく思える今は穏やかです。

自分には師匠はいませんが45年絵を描き続けている父親がいます。

当時の父の作品と制作趣旨をまとめてもらった文章です。
この世界的大不況、先の見えないコロナショックで迷える息子に何を言えるか。
本当に愛を感じるLINEでのやり取りでした。
何もかも包み込むような優しさと、全てを伝えず考えさせる愛を持った厳しさを感じます。

「協和と不協和」
今ならわかります。独りよがりではだめ。
画面の中でどれだけ騒ごうが現実では虚しくなるだけ。
人は皆寂しいんだもの。
人に流されるわけではない。自分を見つめることは自分を取り巻く環境を見つめること。
じっくりと時間をかけて。答えは誰にもわからない。
大切なのは寄り添おうとすること。

背景と主体がギシギシと言いながら、傷つけ合いながら青い世界で血を流しながら。それが瘡蓋になり少しずつ繋がっていく。

どれだけ世間が、社会が、周りの環境が乱れても自分を確認する行為があれば。
いつでも真ん中に戻って来れる気がします。

ネガティブなきっかけで始めた絵を描くという行為が続けることによって神戸という小さな範囲ではありますが少しでもポジティブなエネルギーを与えるものに変化している。
たった1回しかない人生においてこれは本当に大きな経験です。

腹を切ってでも5体満足に産んでくれた母。
芸術という行為、生き方をDNAレベルで刷り込んでくれた父。

海のように広く故郷の山のように深い心で自分を包んでくれています。ありがとう。お陰様でやっとPEPEとして人に何かを返せる人間になれそうです。

次のステージではもっと優しい絵が描きたいと思いました。

キャンバスという世界に人を生かす絵が描けたらな〜。
命を見つめて。

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