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東大落ちのフラーレン

こんにちは。ぺぺです。

先日、大学受験を終え、只今ひと段落している次第です。

ここに来てくれているみんなの多くは知っていると思いますが、私は前期試験で東京大学理科二類に不合格という結果に終わりました。これを執筆している段階では後期試験の北海道大学の結果待ちという状況です。

さて、大学受験という人生における一大イベントにおいて格闘するにあたり私はいくつかの塾にお世話になりました。当たり前ですが、そのような機関に合否結果を報告するのはお世話をして頂いていた私の義務であります。
しかし、いざ東大に落ちてしまったという事実を報告しようとすると、せっかくここまで育てて頂いたのに関わらず、その恩に報いることが出来なかったという言い知れぬ罪悪感及び子供のようなある種のコンプレックスに苛まれて報告が出来ないでいました。一応学校の担任の先生には先に報告していて、慰めの言葉をもらっていました。それでも塾の先生には(本当になんとなく)不合格を報告するとがっかりされて、冷たい目で見られてしまうのではないかという恐怖感から報告が出来ないでいました。

そのようにして報告を先延ばしにすればするほど、自身の実力不足がコンプレックスに感じられ、益々報告したくなくなるという負のループに嵌ってしまいました。

私が塾の先生に報告をしたのはある日、朝起きて直ぐ、頭が冴えていない状況下でした。
頭が冴えてあれこれ考えてしまうよりは、ぼやけた頭でポロッと零す方が精神的に楽だと直感してやっと報告するに至りました。
返答は案じていたよりもずっと優しく、僕のこれまでの努力を真正面から肯定して貰えた気がして安心感を感じました。これまでネガティブな思考を連ねていたのである意味拍子抜けしました。

私は他人を信用するのに莫大な時間を要する人間で(人との接し方において、とても傲慢であるとは認識している)、中高6年間を見て頂いた学校の先生には全幅の信頼を寄せていましたが、そのほかの指導者を心の底から信頼していたかと問われると自信を持ってYESと言えない自分がいます。
本当に自分は穿った考えしか出来ないなぁと辟易してしまいますが、完全に信頼しきれていない人間からの励ましの言葉は自分にとって大した励みになっておらず、正直僕と一緒に戦ってくれた受験仲間からの労りの言葉の方が身に染みて感謝を感じられました。前期、後期全力戦闘ありがとうございます。

冗長になってしまいすみません。

「合否結果報告嫌々期」というこの経験から得た教訓といたしましては、
たとえ完全な信頼関係が築かれていなくとも、周囲の人々は努力の過程をしっかり見てくれているということです。綺麗事は好まない性(さが)なので、付け足して自分の気持ちを吐露します。
こんなにいろんな人に応援してもらえるイベントは恐らく受験ぐらいです。
しかし、本当に信頼している人からの真な応援は受験でもこれからのイベントでも、その絶対量はあまり変化しないように思います。あくまで社会経験に乏しいカス高校生モラトリアム中の人間の戯言ですが。

ダラダラ書き連ねてしまい申し訳ございません。
もしここまで読んでくれてた人がいたら本当にありがとうございます。

あまり人生を達観もどきせず、地に足をつけてこれからの人生を歩んでいこうと思います。

                                  ぺぺ


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