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心理学者がやる気について考えてみた

こんな記事を見ました。「やる気」について、脳研究者が解説している記事です。どうやら「やる気というものは存在しない」そうです。

心理学では、古くから「やる気」について研究してきた歴史があるので、心理学の専門家である私の立場からすると、声を大にして「やる気」は存在しないと断定しませんが、私自身は「やる気」は身体の内側から内発的に出てくるものではないと考えています。

そこで今回の記事では、心理学者の立場から、「やる気」について少し違った捉え方をして考えてみます。

やる気とは?

やる気は、「動機づけ」の観点から考えることができそうです。動機づけには、大きく分ければ「内発的動機づけ」と「外発的動機づけ」に区別されています。

内発的動機づけと外発的動機づけの違い

内発的動機づけ」と「外発的動機づけ」の区別は、研究者によって様々な観点や定義がありますが,速水(1995)では、両者を区別するために、2つの考え方が紹介されています。

1つ目は、内発的動機づけによって実行される行動は「行動そのものが目的化している」であり、外発的動機づけによって実行される行動は「行動そのものは手段である」であるという区別です。つまり、行動自体が目的なのか、行動は手段なのかという分類です。

2つ目は、行動が誰によって開始されたものかという視点から区別されています。つまり、本人自身によって行動が開始される場合には「内発的動機づけ」があると考え、本人以外の要因によって行動が開始される場合には「外発的動機づけ」があると考えます。

これらの2つの考え方を知っても、私自身には、どうも「内発的動機づけ」の考え方がしっくりきません。というのも,そもそも、行動自体が目的化していることに疑問を持っているからです。外的からの刺激なしに,自分自身によって行動が開始される場合があることについても不思議に思っています。

一般的に「やる気」と言われているものは,心理学で言う「内発的動機づけ」を意味すると考えられそうです。つまり、やる気とは、「内発的なもの」で、「体のどこかから湧き上がってくるもの」だと思われているということです。この考え方は、たしかにイメージしやすいですが、そう考えた場合、やる気を引き起こす原因は、体のどこかにあるのでしょうか?

自分の感覚では、内発的に動機づけられている人=やる気がある人というのは、納得できないです。ある行動そのものをやりたくてやっている(行動すること自体が目的であり、行動は目的のための手段ではない)ということですが、自分自身そのような考え方をしていないのと、行動は、目的を達成するための手段と考える方が、自然だと思っています。

下記では、内発的動機づけについてもう少し考えてみました。

内発的動機づけの歴史的背景

「内発的動機づけ」は良いものとされている一方で、「外発的動機づけ」は,内発的動機づけを阻害するという研究(Deci, 1975)などが行われることによって、"悪いもの"として考えられてきた歴史的背景があります。このような歴史的背景から、教育現場では、「内発的動機づけ」がもてはやされてきました。

内発的動機づけは、教育においてそれほど重要でしょうか?そもそも教育自体が、教育する側が、教育される側に対して、特定の価値観を押しつける側面があると考えると、そこには、教育する側(外的からの刺激)があるのであって、教育される側の内発的なもの(やる気)は存在しないような気がします。

例えば、「勉強」を例に挙げて考えてみると、勉強するという行動自体が楽しくてやっていることが、内発的に動機づけられている状態だと考えられますが、ほとんどの人は、受験のために勉強しているのではないでしょうか?

勉強を始めるときに、何かしらの「きっかけ」(外的な刺激)があったはずです。例えば、その勉強が受験に必要だったとか,その勉強を教えてくれる先生が好きだったとかです。このように考えてみると、教育で大事なのは、どうやって外発的にどう気づけるかだと思うのです。

私たちは外的な刺激によって行動し、その結果、動機づけられると言えます。人間は、内発的なものから行動するのではなく、外発的に行動するのです。つまり、人間は、目的を達成するために行動するのです。このように考えると、「外発的動機づけ」は,内発的動機づけを阻害するという説がありますが、「外発的動機づけ」が大事のように思えませんか?

“やる気”なんてなくてもいい

動機づけについての見解は様々ですが、冒頭で述べたように、私は、「やる気」は身体の内側から内発的に出てくるものではないと考えています。心理学的には間違った見解を述べているかもしれません。心理学では、いわゆる「内的なもの」を仮定するため、「やる気→行動」という考え方が一般的だからです。

でも、日常の中では、やる気が出ないことだってあるんじゃないかと思うのです。その時は、行動できないのでしょうか?また、やる気がないと人としてダメなのでしょうか?そんなことはないはずです。

目的を達成するために行動する、つまり、外発的動機づけでもいいと思います。むしろ、ある目標を達成するために行動するのが人間の本質と考えることができます。このような考え方では、ある環境における外的な刺激によって、本人自身に目標が立てられて、本人はその目標を達成するために行動し、目標が達成された結果、別の目標が立てられて行動するという「環境→目標→行動」が循環すると考えられます。

「やる気」という概念は、他者から見たとき、本人の行動によってしか判断することができません。実際に、現実場面では、行動し続ける人こそがやる気がある人と見られているのではないでしょうか?

このように考えると、やる気を出すより必要なのは、自分の目標を達成できる環境に身を置き、ある目標を達成するための行動を取りやる気を周りの人に伝えることだと思います。

参考文献

  • Deci, E. L. (1975). Intrinsic motivation. New York, NY: Plenum Press. (安藤延男・石田梅男(1980)(訳)内発的動機づけ 誠信書房)

  • 速水敏彦 (1995). 外発と内発の間に位置する達成動機づけ 心理学評論, 38, 171-193.

  • 鹿毛雅治 (1994). 内発的動機づけ研究の展望 教育心理学研究, 42, 345-359.

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