四代目タイガーマスク

※この記事は、執筆者の記憶だけを頼りに書いているため、実際の内容と相違がある場合もございますので、あらかじめご了承ください。


これは、僕が大好きだったプロレスラーの話。

みなさんは、タイガーマスクをご存知だろうか。

もともとは、梶原一騎原作の漫画で、虎の仮面を被ったヒーローが悪者をやっつけるストーリーで、当時の子供達を熱狂させたらしい。

これは、昭和のお話なので、平成生まれの僕はまだ生まれておらず、どれくらいの熱狂具合だったのかをまったく知らない。

そんなアニメの中のヒーローが、実際にプロレスラーとしてデビューする。

それが、佐山サトル扮する、いわゆる初代タイガーマスクだ。

空中殺法というスピーディで軽快で独特な動きから繰り出される技たちで、当時のプロレスファンたちを熱狂させた。

しかし、それも平成生まれの僕は知らない。

プロレス中継を見ていて、過去の試合映像としてタイガーマスクとダイナマイト・キッドや小林邦昭が戦っている姿を何度か見たことがあるくらいで、その当時のファンたちの熱狂具合なんて、僕は知らない。

僕が知っているタイガーマスクは、それから数十年のちに、みちのくプロレスというインディー団体に現れた、四代目タイガーマスクだ。

そもそもタイガーマスクはずるい。

わかりやすく虎の縞柄の入ったマスク、虎の獰猛さを表現するような白のひげ、それだけで子供心にはかっこよく映る。

当時の新日本プロレスジュニアのトップ選手だった獣神サンダーライガーよりもかっこよく映ったし、エル・サムライやケンドーカシンなんて比べ物にならなかった。

そもそもエル・サムライは地味だし、ブヨンブヨンすぎる。

ケンドーカシンも、ちょっとマスクの感じが子供には怖すぎるし、なによりも戦い方が渋すぎる。

子供はもっと、飛んで跳ねて欲しいのだ。

そうは言っても、ただ飛んで跳ねていればいいというわけではない。

フェイスペイントをちょっとだけしながら、困ったらとりあえずトップロープからボディプレスをするAKIRAなんて全然かっこよく見えなかったし、田中稔扮するヒートなんて、マスクを被った田中稔でしかなかったし、そもそも原作がヘボすぎる。

他のどんな選手よりも、四代目タイガーマスクは輝いていた。

そして、自分にとって忘れられない、四代目タイガーマスクとのエピソードがある。

大阪府立体育館だっただろうか、当時のG-1クライマックスを観に行ったときの話だ。

親父が取ってきてくれた席は、なんと最前列で、リングのすぐ近く。

嬉しすぎる反面、子供の自分にとってはリングが近すぎて、プロレスラーの迫力に圧倒されて、少し怖かった。

そんな中、とある試合のときに、一人のプロレスラーが試合中にリング外の僕の目の前に放り出された。

リング上からは、場外へのトペを狙うプロレスラーの姿がある。

やばい、あいつ、こっちへ向かって飛んで来よる!!!

場外へのダイビング技というのは、プロレスラーも大きな危険を伴うし、最前列で見ている客にとっても危険を伴う。

たまに、衝撃に耐えきれず、鉄柵を超えてプロレスラーが客席に入ってしまうことだってある。

身体の小さい僕が、プロレスラーの下敷きになってぺしゃんこになってしまう最悪の事態にもなりかねない。

そんな恐怖を感じた自分は、「トペや!怖い!」と叫んだ。

すると、リングサイドで試合を観戦していたプロレスラーが、僕の前にスッと身体を入れてくれた。

それが、四代目タイガーマスクだったのだ。

「怖い!」という子供の声を聞いて、なにも言わずにスッと間に入る、四代目タイガーマスク。

一瞬で惚れた。

かっこよすぎて、そのときから、僕はあなたのファンです。

結局、リング上の選手は、トペはしなかった。

とにかくその日の記憶は、四代目タイガーマスクが僕のことを身を挺して守ろうとしてくれたということと、安田忠夫が観客席からは全く何も見えない角度でギロチンチョークを決めて勝ってしまい会場が変な空気になったということと、天山がアナコンダバイスという地味すぎる新技を披露したということだけである。

その3つの思い出の中でも、四代目タイガーマスクの思い出は、なによりも鮮烈に覚えている。

それから、二十年近くが経ったが、いまも四代目タイガーマスクは、変わらずタイガーマスクとして現役を続けているそうだ。

この記事を書きながら、また四代目タイガーマスクの試合を見に行きたいなと改めて思った。

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