餅つき大会とモー娘。
正月休みの最終日、ふとした餅つき大会の案内を見つける。
沖縄楽読のメンバーさんの記事。
楽読は約1年間、レッスンを受けた。ほぼ修了した状態であった。そして、その次のステップであるリターンスクールも半年間体験し、出発式を終えていた状態であった。楽読創始者のナナちゃん、ヨンちゃんとも、バリツアーに行き、親しくさせて頂いていた。2019年の話。
2019年は、いろんな意味で、自分を問い直した時期でもあった。鴨頭さんのスタートダッシュセミナーのボランティアスタッフ体験から始まり、倫理法人会の富士研修、楽読、リターンスクール、わもん、など、偶然の糸を手繰り出会うもの全てに「イエス」と答えた。
2019年の年末くらいに、エネルギーが枯渇した感があった。
そこから、プツリと交流を閉ざしてしまっていた。
2020年は、ようやくスタートした建築プロジェクトに集中し始めたのだが、コロナ禍により、ほぼ引きこもり状態となる。コロナ禍の中、倫理法人会の専任幹事として毎週のモーニングセミナーの運営を継続する義務感に圧迫され、消耗しきっていったように思う。そして、11月から、新しい展開が見えてきて、エネルギーが充填されたのだろうか、ムクムクと、他者との交流の意欲が湧き始めた。
12月30日、2020年には見るのを避けていた鴨頭さんの動画をふと見る。
ニシトアキコ学校を知る。偶然を追いかけて受講を決めた。
講座の動画を見て、グループページにて書き込みしたりしていた。
そして、1月1日だろうか、リターンスクールの出発生のグループページへの再招待が創始者のナナちゃんから届く。ずっと拒否していたのだが、絶妙なタイミングで参加する。
すると、1月3日に餅つき大会があるという記事にたどり着く。
そして、久しぶりに参加した、という流れだ。
一年振りにイベントに顔を出した私を暖かく迎えてくれた仲間たち。そして、しばらくすると、ナナちゃん、ヨンちゃんも到着。
この2人には、バリツアーの時から、イジってもらっている。以前と変わらずにイジってもらった。建築家でございますと、クールに振る舞うような事が多いのだが、本質はイジってもらいたいキャラだと思う。
そして、なぜか、あべこうじさんと高橋愛ちゃん夫婦が同行していたのだ。
速攻でツーショット写真をお願いし、一緒に餅つき大会、出し物として、古典琉舞、エイサー、などの新年を祝う奉納の舞を見た。
さて、モー娘。の高橋愛ちゃん。
我々50代は、モー娘。誕生のバラエティ番組をちょうど見ていた世代だ。
1997年。私がちょうど28歳で、来年は独立しようとしていた時期である。
そこからのモーニング娘。の怒涛の活躍は、私の建築家人生に並走する形であった。高橋愛ちゃんが加入した時期、素朴な福井訛りで、テッテケテーと石橋貴明にいじられていたのを覚えている。
しだいに、モー娘。の関心が薄くなっていった時期、2011年くらいだろうか、モー娘。のプラチナ期の凄さをまとめた動画を見る。凄いクオリティだなと、ライブDVDを買い求め、仕事に疲れた夜に、夜な夜な見ていた。
世界に誇れるクオリティだと思った。高橋愛は、私の中で尊敬の対象になっている。どん底のモーニング娘。を復権させ、現在のモー娘。に繋いだ、中興の祖。
そのリーダーである高橋愛。
実際に会った愛ちゃんは、小柄で繊細な空気感を漂わせていた。あのプラチナ期の堂々たるステージパフォーマンスのイメージではない。プライベートのリラックスした姿であった。
そして、つんく 。同世代。人生の絶頂期に声を失うという試練。
そこで葛藤し、立ち直る姿は、強烈な感動を覚えた。
奇しくも、前日、鴨ちゃんとつんく の対談動画を見たばかりであった。
コロナ禍に影響を受けるモー娘。達のためになんとかできないかと、鴨ちゃんに学びに来て、闘病の影響で痩せ細り、文字でしか対話できないもどかしさに立ち向かう姿。感動する。
一連の偶然の繋がりを感じた1月3日であった。
そして、ナナちゃんヨンちゃんは南城市百名に拠点を昨年末に構えたという。いわば同じ南城市民。今度遊びに行く約束をした。
偶然を追いかけて、想像すら出来ないような素敵な1日に巡り会えた。
偶然を見つけたら追いかけてみる。この人生のコンセプト、本格再開だ。
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