見出し画像

津波古に引き寄せられる人々

沖縄との縁が強くなり始めた2014年、まずは、壺川に部屋を借りた。それが加速して、浦添市の経塚に引っ越しする。沖縄で暮らす醍醐味として、ビーチの側で海が見えて猫が飼える所に暮らしたい。本格移住を考え始めた2016年にそんな思いが強くなり、北谷か東浜か安座間あたりかなと検索していたところ、ポンと検索にヒットしたのが、佐敷の津波古であった。

すぐに下見に行く。
朝日の登る海が一望でき、歩いてビーチに行けて、イタリアンレストランの隣。沖縄そば屋もある。ペット可。駐車場も縦列2台。家賃も格安。職場や那覇市中心部や空港からの距離もちょうど良い。即決したのは言うまでもない。2016年の事。暮らし始めてすぐに、最上階の海がダイレクトに見える部屋が空いたので、すぐに部屋を移り、2017年5月には、大分に残していた猫を連れてきた。本格移住のスタートだった。

今は営業してないが、沖縄そば「青猫」の常連となる。休日のお昼に店に顔を出したのがきっかけで、夜の営業も始めたので、通い始める。お酒は持ち込み可で、1000円か2000円で、洒落た料理を楽しみながらママさんと語らうのが習慣になっていた。

佐敷津波古に住めるのは選ばれた人だけなんだよ。そんな話をママさんから聞く。地域を愛する人はそんな事言いたくなるんだろうと思って聞き流していたが、数人から同じ事を言われ、何でかなと気になり始めていた。

サトウヒカリ、というユーチューバー に、天の浜で出会う。スピリチュアルな青年で、若い人の間で人気があるという。彼もスピリチュアルなお母さんと一緒に津波古に移住していた。なぜに、津波古だったのかを聞くと、何かに呼ばれたという。龍神とかなんとか言っていたような気がする。

那覇市から移転開校したフリースクールの珊瑚舎スコーレ。関係者と親しくなり、経緯を聞くと、そもそも津波古の山の中に、「やまがまり」と称した、パーマカルチャー拠点を作っていたという。珊瑚舎という名前にもあるように、海沿いに校舎を作りたかったらしく、10数年越しにようやくこの地に移れたという。校舎は天の浜と竜宮神の隣だ。

先日、北海道のご夫婦に天の浜で出会った。月に1回は沖縄に遊びに来るらしいが、わざわざ、与那原に宿を取り、このビーチでまったりするだけのために来るという。理由は分からないらしい。

津波古には何かがある。そう確信して、津波古の歴史を調べてみた。
そもそも佐敷は琉球王朝を統一した第1尚氏の拠点であり、津波古の馬天港は貿易港として賑わっていたという。あがりまーい、の休憩所もあり、歴史は古い。

津波古公民館にて区長と話していると、土帝君と天人森というのがあると言う。場所を聞いてみると、珊瑚舎スコーレのやまがまりの近く。土帝君は農耕の神とされ、その周囲は公園として整備されていた。中国から伝わった信仰らしい。周辺を花いっぱいにする運動があるらしく、ボランティア参加する事にした。

もう一つ、天人森。案内看板はあるが、ひっそりとした山の中にあった。
昔、天人(アマンチュ)が降臨した場所とされ、津波古の古典芸能の舞である「天人」というもので伝承されているという。津波古の4大家系の一つは唐人森とも呼び、太陽崇拝の祈りの場として利用されていたとある。

アマンチュ。琉球神話のアマミキヨ、浜比嘉島のアマミチュ。沖縄には、アマミキヨにゆかりのある聖地があちこちにある。このアマンチュの森もその一つである可能性が高い。

竜宮神の祭られる天の浜。天人森、土帝君。この3つの聖地がやたらと気になるのだった。

太陽神、竜神神、農業神。

そして、天の浜のビーチクリーンを始めてから、次々と巻き起こる、シンクロニシティによって、数年に一度しか巡ってこない、天赦日、一粒万倍日などがミックスされたスペシャルな日である3月31日に久高島に行く運びとなった。その翌日の4月1日にヤハラヅカサに行き、4月2日から、環境保護団体の「地球守」による齋場御嶽の調査に参加する運びとなった。ありえないようなシンクロニシティによって導かれたのである。

津波古には選ばれた人しか住むことは出来ない。
その言葉は真実であると感じざるを得ません!

そんなの、単なる偶然だよ、と一笑に付される人もいるだろうが、
自分はそうは思いません!

信じるか信じないかはあなた次第です。ビシッ!

あばれる君のやりすぎ都市伝説風にまとめてみました。



サポートありがとうございます。