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沈黙~サイレンス~

マーティンスコセッシ監督、遠藤周作が原作の映画を見た。

キリシタン弾圧の史実をベースにした、信仰とはなにか、というテーマの映画であった。

いい映画であった。主演の俳優はハクソーリッジでもセブンスデーアドベンチスト教会においてキリスト教を信仰する者として演じていた。よくよくキリスト教と縁の深い方なんだろう。

歴史の事実をあまり知らないで見ていると、キリスト教の布教につとめるパードレと日本人の信徒達の苦難のなかでの信仰心と、非常にも過酷な弾圧を行う幕府という構図になるが、そう単純な話ではない。

日本での布教活動の中心であったイエズス会であるが、キリスト教の布教と植民地化をセットにしていた勢力であったという史実が出てくる。そして、日本人女性を奴隷として海外に売買していたという事実が背景にある。
50万人という説もある。売っていたキリシタン大名がいたという事もあるが、秀吉はその事実を把握し、弾圧したという側面がある。

大分県は徳川時代になるまでにキリシタン大名として名高い大友宗麟の支配地であった。キリシタン弾圧の影響は大分県にも到来する。
豊後崩れ、といわれる、弾圧の歴史があったようだ。

わが故郷の玖珠郡でも220名のキリシタンが弾圧されたという記述がある。

大友勢力下の時代に、玖珠郡衆も影響を受けたであろう。そして、豊薩戦争のときの捕虜が奴隷として売られた可能性もある。転封してきた久留島氏もクリスチャンであった可能性もある。

つまり、古後家のご先祖達は、場合によっては、洗礼を受けたクリスチャンになっていたかもしれないし、踏み絵を踏まされたかもしれない。また、弾圧されたかもしれないし、奴隷として海外に売り飛ばされたかもしれない。

そして、当時の日本人クリスチャンは、キリスト教を本当には理解できなかったと映画でも言われている。ようするに、キリスト教を信じれば死後にパライソに行ける、という、それだけのものになっていたようである。
であるからこそ、殉教するものが続出したという背景があるようだ。

キリシタン大名も、ポルトガルとのつながりにより、銃や火薬を輸入できるし、南蛮貿易も出来る。代金がないから奴隷を売る。そのために洗礼を受けておく。そういう背景も見えてくる。

日本という国は得体のしれない沼である。そういう主張が遠藤周作のものであるし、マーティンスコセッシも共感したのだ。

初詣に神社にいき、葬式は仏教、結婚は教会で、クリスマスも祝う、ハロウィンも。不思議な国といえばそうでもある。

クリスチャン弾圧の歴史。私にとって遠い異国の世界の出来事のようにも思っていたが、意外と身近な出来事であった事にも驚いたのだった。

偶然にもカトリック系保育園に通ったのだが、はたして偶然か。

当時の園長神父であるディプリンジオさん。2017年に逝去されたというニュースをサレジオ会のウェブページで発見した。

そして、玖珠教会の設立に叔父が深く関与していたであろう事もわかってきた。

はたして信仰とは何なのだろうか。

保育園児であった私は、ディプリンジオ神父から何を学んだのだろうか。キリスト教をなにひとつ理解などしていなかったのは間違いない。キリスト生誕のお遊戯会で羊飼いの羊役をやらされただけである。

イタリアからはるばるやってきたディプリンジオ神父。日本で生涯を終えた。信仰に捧げた人生だったのであろう。ディプリンジオ神父にも神は沈黙し続けたのだろうか。ふと、そんな気分になる。

この映画を見て、ディプリンジオ神父を偲ぶ。そういう結末となった。

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