自然に寄り添う
ねじねじシェア会に参加して、ガッテン農法の三浦伸章さんというキーワードを得た。
そこから、福岡正信さんという、自然農法の源流のような人の存在を知る。
そこから、福岡正信さんに影響を受けた木村秋則さんにたどり着く。奇跡のりんごで有名な方。
さらに、福岡正信さんに影響を受けた川口由一さんを知る。
そして、パーマカルチャーを提唱する臼井健二さんに行きつく。フェイスブックで友達にもなっていただいた。
そして、現在、自然農法の流派の一つである炭素循環農法というものも発展しているようだ。これは、再現不能という説もあるらしい。
いずれもパイオニアのような方達で、彼らのような実績を実現するためには、10年の試練に耐え抜いたりとハードルが高いようである。再現性が少ないといってしまえばそうなのだが、そんなに簡単なものじゃなく、覚悟がいるという事だろう。
理由はわからないが、一定周期で、農業とか自給自足への関心がわいてくる。ずいぶん前のマイブームのときも、オーストラリアのパーマカルチャーの本だとか山猿流自給自足の本に夢中になったりもした。漫画家の森村大さんのウーパなどもむさぼるように読んだ時期もある。
さて、こういった日本の自然農法への動きの源流は、福岡正信さんと断定してもいいだろうか。仙人のような風貌と生活スタイルである。
福岡正信さんの動画をいくつか見る。印象深かったのは、囲炉裏の側でみかんを食べているシーン。種を取り出し、そこらへんの容器に放り込んでいる。乾燥した、おそらく一冬で食べたみかんの種。けっこうな量がある。
この種を、冬が明けたら、そこらへんにばら撒くという。ものすごくシンプルである。食事の時間は種の採取の時間ともいえる。
東京の人がひと夏に食べたスイカの種をすべてあつめて、砂漠化した地域にばらまくだけで地球緑化はできる、という。
いろんな種100種類を粘土にまぜて小さな団子状にして、飛行機でばら撒くだけでいい、という。100種類のうち、その環境に適した種子が発芽するらしい。
河川の堤防の緑地に、勝手にこの粘土団子をばらまいていたらしい。粘土団子テロを日本国民が全員行い始めれば、そのへんにいけば野菜や果物が食べ放題の国になる、というアイディアである。
ベトナム戦争時に米軍は燃えやすい雑草の種をばら撒いたらしい。ナパーム弾の効果を高めるためだったらしい。戦後、ベトナムではこの雑草に悩まされているという話もあった。
自然に寄り添う農業の形。雑草、虫、動物、すべては理由があって存在している。その力に寄り添い、100を収穫するのではなく60で良しとする。
農薬を使わず、農作業時間も減り、永続的に60%の収穫が見込めるとすれば、労働時間あたりの収穫量は最大となり持続するはず。
そして、作物の持つ生命エネルギーの強さ。こういった目に見えないものが可視化された場合、たとえば、奇跡のりんごは、値段が高いが、そのりんご一つに含まれる生命エネルギーはマクシマムであれば、納得できるだろう。
安い食品はエネルギーも低く、むしろ害になるからマイナスとなる。
建築家として、自然に寄り添う建築造りを志向してきたが、パッシブハウスというレベルの取り組みにとどまっている。
生命エネルギーを高めてくれる建築というものが実現しえないか。そんな事への関心が年々強くなっている。
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