見出し画像

洞察力

先日の建築関係団体新年会で久しぶりに先輩会員の女性建築家に会った。

以前から、この方の理路整然と語る話には引き付けられるものがあった。

建築を通して、地域、文化、環境など、幅広い知識を総動員し、経験値を加算して、融通無碍に語る話。

毎回、話を聞くたびに、何時間でも聴いてられますね、と賛辞をお伝えしている。

開場前のソファ席で少しすわって話を聞き始めたが、あっというまに一時間もお話を聞かせて頂いた。

その話のなかで、建築家という職業は、点と点をつなぎあわせて物語を構築する能力が備わっていく職種なんですよ、という話に、まさに、わが意を得たりと膝を叩いてしまった。

日本人建築家の頂点といっていい、プリツカー賞受賞の磯崎さん。まさに、文化人としてその能力を極大値にまで拡張された方だと私は認識している。
建築家であるとともに、歴史家、文筆家、書家、思想家、哲学者といってもいいだろう。

古来の建築家は皆そうした方々であったと思う。レオナルドダビンチしかり、ミケランジェロしかり。芸術家であり建築家であった。

世の中に起きている様々な事象。それらが点として出現してくる。その無数の点の星空を眺めていくうちに、どこかの瞬間に、点と点をむすぶ線がひとつながりになり、大きな背後の事象を直観として洞察する。そのような瞬間があるという。

その直観による洞察。専門分野だけにとらわれている人にはその洞察は起こりえないという。様々なジャンルの事を俯瞰する目がなければ見えてこないものらしい。

建築にとどまらず、様々な事に関心を持ち続けてきた私の50年は、この洞察力を養うための修行であったんだなと腑に落ちる。

その方いわく、こんな話ができるのは、あなたの聞き方がいいからよ、とほめて頂いた。

そういえば、昨年お亡くなりになった沖縄の現代建築の功労者の方のレクチャーを聞いたときの事を思い出した。

レクチャー後、質疑応答となったとき。若手のためのレクチャーにオブザーバー参加していたので、質問は控えようと思っていたのだが、あまりの質問のなさと質問のレベルの低さに、たまらずに質問した。

先生のこれまでの作品作りの格闘はモダニズムを沖縄の伝統と融合される格闘だったと思いますが、その極意をご教授下さい、という質問をした。

その答えは、「良い質問だね。あなたはとても優秀です。よき質問はその答えに勝れる。」ただそれだけだった。結局答えてもらえないまま逝去されてしまったから、もはや永遠に答えは得られない。

であるけれども、先達の残した作品が点として膨大にある。そこを読み解きなさいという答えであろうと理解した。あなたなら読み解けるはず、というエールであると解釈する事にした。

サポートありがとうございます。